第6話 cafeteria

 ショッピングモールの中庭に面したフードコート。

 灯と直哉、入葉の三人はうららかな日差しに照らされ、一見仲のいい友達同士という雰囲気で座っていた。


 フードコートの半分は、室内部分とガラスで仕切られた屋根付きのオープンカフェのようになっていて、店から店へとプロムナードを通って移動する家族連れやペット連れの客が見渡せた。


 そんななごやかな雰囲気の中。

 トントントンと神経質そうな音が聞こえる。

 灯が不機嫌そうに、人差し指でテーブルをたたく音だ。

 組んだ足の片方をブラブラとさせて、さりげなく蹴とばしているのは直哉の足だった。


 灯の自宅は直哉の家の目の前にあるが、直哉とはたまに母親が作った料理を差し入れに持っていく時に会うくらいで、休みの日に一緒に出かけることなどなかった。

 しかし入葉がやってきてからは、灯は二人を監視する保護者のような気持ちで直哉の家に出入りするようになった。


 最初、直哉は自分の母親が使っていた部屋を入葉に提供しようとしたが、それは灯が猛反対して却下した。直哉は直哉で、入葉が家に泊まるなら自分は離れの倉庫部屋に寝ると言いだし、一家のあるじ母屋おもやにいないなんて変だとやはり灯が反対した。

 しばらく灯と直哉の意見は対立していたが、すぐに灯は入葉の良妻賢母りょうさいけんぼぶりに魅せられ、この子なら直哉が母屋にいなくてもうまくやっていけると判断して、この問題はいったんの解決をみた。ちなみに賢母が世話する子供が誰かというと、放っておくとまともな食事を取らない直哉のことである。


 直哉が入葉の試着した服を買ってあげなかったという理由で、灯は誰の目にも明らかな不満顔を浮かべていた。目の前の直哉はそれに気づかぬフリで、生意気にも入葉に対して保護者のような目を向けている。

 その入葉はといえば、灯が勧めたチョコレートムースドリンクを飲んでいるのだが、どうも様子が変だった。目をキラキラさせながら一心不乱にストローにむしゃぶりついている姿が、まるで子供みたいなのだ。


 灯が我慢しきれなくなって直哉にささやく。


「ちょっと、これ何?」

「何ってなにが」

「入葉ちゃんよ! なんか様子が変じゃない。あんたいったい何したの?」

「何も。というか、こいつ時々こういうことあるんだよ。この間もテレビの子供番組を見てこんな顔になってた」

 直哉のその言葉に、灯はあからさまな対抗意識を燃やした。

 ふーん、こいつ。私が知らない入葉ちゃんのことを。

 灯は目の前で赤ん坊のように飲み物に夢中になっている同年代の女の子の顔を見て、子供番組に夢中になっている入葉を想像してみた。

 どうしようもなく保護欲をそそられること以外、分からないことだらけの入葉である。何か納得のいく説明を探したが、心当たりのあることは何も見つからなかった。

 それに今は直哉に言っておきたいことが他にある。


「こんど同じことがあったら私を呼んで」

「なんで?」

「なんでって……。まあ、一緒にその番組、見てみたいだけ、かな」

「……ふう、なんだよそれ」

「なによその呆れたみたいな反応。そういう自分はどうなの? あんたなんであの服を買ってあげなかったのよ」

「え? なんで」

「はあ、これだから。いい? 私はあなたに女の子にプレゼントするチャンスを作ってあげたのよ?」

「……は? そんなの聞いてないぞ」

「だって! 私があげるって言った服はぜんっ……ぜん着てくれないのよ。着てほしいじゃない。あんなに可愛いのよ」

「お前、入葉のかっこちゃんと見たか?」

 直哉はジーンズにワイシャツという、入葉の飾り気のない服装を指さした。

「灯が着せようとしてるようなキラキラした服を、ホイホイ着る奴に見えないだろ?」

「何よ。あんたが言うセリフじゃないでしょ。入葉ちゃんを追い出すことしか考えてないくせに」

「は? 俺はそんなこと――」

「とにかく、あんたがプレゼントしたら着てくれるかもしれないでしょ。なんたって……あんたん家に嫁入よめいりにきたんだから」

「っヨメ!?」


 直哉は慌てて口をパクパクし、飲んでいたコーヒーをこぼした。

 嫁というのは直哉をからかうための冗談だ。

 入葉ちゃんを嫁に?

 冗談じゃない。

 彼女は直哉のお父さんが亡くなったあの爆破事件に巻き込まれた被害者のひとりで、直哉に病院で優しく声をかけられて、ちょっと好きになっただけだ。弱っている女の子に言い寄るなんて、なんて最低な男。入葉ちゃんだって、すぐに自分の目がくもっていたことに気づいて、出ていくことだろう。こんな頼りがいのない男のところにわざわざ嫁にきたいと思う女の子がいるわけがないのだ。


「……はあ、もういいわ。で、どうだった、私が選んだ服は?」

「そりゃ……。お前にしては、その、珍しく他人のこと考えたなあって」

「ふむふむ、どうして?」

 灯はさりげなく先をうながす。

「ちゃんと……、似合ってた」

 ぶっきらぼうな言葉。でもその顔を見ればわかる。

 試着室のカーテンが開いたとき、直哉がそこに見たものに心打たれたことを。灯はそれで満足した。

「上出来よ」

「は!?」

「私もね、自分の趣味を押し付けるだけじゃダメだって気づいたの」

「今頃気づいたのかよ」

「だって、入葉ちゃん専用の服なんてそうそう買える余裕ないもん。でも気づいたの。入葉ちゃんの財布代わりのパトロンがいるじゃない!」

「……そのパトロンってのは、もしかして」

「あんただってバイトぐらいしてるんだから大丈夫よ!」

「やっぱり……。っていうか、さっき俺が飲み物こぼした時、こんな奴のとこに誰も嫁にはこないとか思ってたろ」

「へっ!?」

 なんだろう。直哉ってこういうところだけは鋭いのだ。被害妄想が過ぎるというか、なんというか。ううん、違う。理由は分からないけど、なんかイライラする。女の子が直哉を頼ってきたっていうのに、覇気がないどころか自分は関係ないみたいな顔をして……。


「できるって言えばいいじゃない!」

「は?」

「だから、俺にだってちゃんとやしなえるって言えばいいじゃない!」

 私、どうしてこんなにイライラしてるんだろう? 灯はイライラの原因が分からず、八つ当たりみたいな自分の言葉を止めることもできなかった。

「なんだよ、急に……。養う? 高校生なんだから養えなくて当然だろ? そんなに面倒見たいならお前がやればいいじゃないか」

「すぐそうやって人に……、自分は関係ないって言うの!? ……全部、私が悪いの? 私が心配したらおかしいって言うの?」

 泣くなんてカッコ悪い。カッコ悪いけど。声が震えて、我慢しないと涙が出そうだ。

 私が取り乱したせいで、ただ事ではない雰囲気を察した周囲の客の視線を感じる。

 直哉は直哉で、私が泣きそうなのに気づいてオロオロしている。やっぱりカッコ悪いヤツ。さえない顔がゆらゆら揺れて、ますます救いようのない姿になっていく。そんなに人を避けてたら、ブクブク太って孤独死しちゃうんだから。

 直哉のお母さんは、あんなに優しくていい人だったのに。

 直哉のお母さんが亡くなって落ち込んだのは、あんただけじゃない。

 お葬式でずっとメソメソしてるアイツを見て、私は決心したんだ。

 もう、直哉の前では泣かないって。

 だから!

「アンタの面倒見るのは私だから!」

「……はあ!?」

 メソメソ泣き出したと思ったら、突然怒ったように言い捨てる灯の変化に直哉は驚いていた。

「とにかく、アンタがひとり立ちできるまで私が面倒みるんだから。だから私のアドバイスはありがたく聞いときなさい」

「なんだよ。お前、俺の母親のつもりかよ」

 子供扱いされて怒っている直哉の顔を、私は余裕の笑みで見守る。

 アンタの言う通りだよ。

 直哉のお母さんから勇気をもらったのは、この私なんだから。


「ねえ、ワンちゃん」

 突然、入葉が子供っぽい声で何かつぶやいた。

 灯が入葉に顔を向けると、彼女は声だけでなく表情まで子供っぽかった。

 子供の前でみっともない姿を見せていたような罪悪感にとらわれる。

 気持ちが高ぶっていた灯が、こぼれ落ちた感情を拾い集めるのに時間がかかっている間、かわりに直哉が反応した。


「ああ、そういえばそこのペットショップ、ドッグランもあったな」

 直哉が、カートに乗った白いフサフサの長い毛をもった大型犬を見て言った。


 急に入葉の父親のように振る舞おうとする直哉。さっきの私の言葉に対抗しているつもりだろうか。灯は犬を視界の端に捉えながらも、直哉の顔をしっかりと観察した。


「ふん、そういうこと……」


 直哉は入葉にだけ注意を向けていフリをしているが、しっかりと灯を意識している。

 灯と同じように、戦う相手が誰かをしっかり認識しているのだ。


「いいわ、第2ラウンドはペットショップね」


 突如としてはじまった、どちらが入葉の親にふさわしいか対決。

 その勝負は、入葉がテーブルの上に置きっぱなしにした、飲み終わったグラスをどちらが片付けるかですでに始まっていた。

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