第4話 dressing room 2
その日、直哉は自宅にいた。
帰宅したばかりの直哉は、仏壇の前にある丸テーブルのそばに腰を下ろした。
「ただいま」
母の写真と目が合うと、少しだけほっとする。
次に母の隣に置かれた父の写真に目を移す。
父が亡くなったのはついこの間のことだ。だから写真も母のものより新しくていいはずだが、隣の母の写真と同時期に撮られたものだった。
直哉は無意識に手を強く握りしめた。
何か問いたげに直哉を見つめていた母に、直哉はテーブルの上にある菓子ののった器に目をやってこたえた。
「ゼリーがもうないって?」
茶菓子を一個ずつつ指で確かめる。器に並んでいるのは、母が生きていたころとまったく同じ。夕方、手足を真っ黒に汚して帰ってきた直哉に、いつも用意されていたおなじみの菓子たちだ。
一口サイズの最中、せんべい、ゼリー、ようかんなど。
まるで、母が死んだ日から時間が止まったようなその空間が、直哉の帰る場所だった。
「今度買ってくるって。それでいいだろ?」
母の顔を盗み見る。まだ何か問いたげな表情を確認すると、適当に選んだ菓子の包みを開けて口に放りこんだ。しばらくモグモグと咀嚼し、母の写真を横目に捉えながら六畳間の空間に目を泳がせる。
「ああ、もう! 今日はちゃんとガッコ行ってきたって。……高校中退とかにはならねえよ、たぶん」
ようやく満足げな笑顔を浮かべた母の顔を写真の中に認めると、ゴンと音を立ててテーブルの上に額を乗せた。
自分でもばかばかしいとわかっている。
こんなやりとりを、母が亡くなった九歳の時からずっと続けているのだ。
「何やってんだ、俺」
散歩でもしてこよう。
直哉は立ち上がった。
子供の頃からひとりきりで家にいるのは慣れっこだったが、父が亡くなってからの直哉は落ち着きがなかった。
コンビニのバイトがない日は、図書館や書店で人にまぎれて過ごす。
図書館では学校の教科書と多種多様な雑誌を同時に広げ、新たな世界を構築する。
他人のいる場所でのみ、直哉は自分ひとりの時間を過ごすことができた。
建て付けの悪い玄関の引き戸を、ガラスの音をガチャガチャとさせながら開けたとき、直哉は別世界の扉を開けたのではないかと思った。
靴のまま川遊びでもしていたかのような濡れ汚れたスニーカー。ジーンズに白いTシャツを着て、海外旅行に使うようなローラーのついたスーツケースを引いた女の子がいた。
そもそも、親戚もなく、父親と二人暮らしだった直哉の家に客などこない。
郵便は道路に面したポストに投函されるので、玄関の前に人が立っていることなど一部の例外を除いてまずないのだ。
直哉が最初に思ったのは、近くで宅急便のトラックが事故で川に転落。非常事態で呼び出された非番スタッフの彼女が川に入って荷物を回収、その足で直哉の家宛のスーツケースを配達しにきた、というようなことだった。
しかしスーツケースには宛先のラベルも貼られていないし、何より彼女自身がスーツケースの前に立って、お届け物は私自身、とばかりに直哉の前に立っていた。そして玄関前の砂利の上には、彼女が付けたと思われる足跡が、まるでそこで複数の人間が長い間立ち話をしていたかのように無数に残されていた。
「君は……」
直哉が言葉を発した時、目の前の女の子も散々迷った末ようやく決心がついたというふうに息を吸い込んだ。相手が話を初めたと同時に言葉を被せるようにしゃべってしまう。この間の悪い感じ、どこかで。
「あの時、病院で――」
「入葉、です」
「え?」
彼女の名前を知ったのは、父が亡くなった爆破事件の負傷者が運び込まれた病院のひとつだった。
直哉が、飛んできたガラスで切った足の傷の処置をしてもらった後、ロビーや廊下に溢れた負傷者の数を呆然と眺めていた時だ。
「入葉、
直哉の目の前でペコリとお辞儀をして、こんな緊急事態にしては不自然なほど丁寧な言い方で彼女は自己紹介した。
ホコリで汚れたり、あちこち小さく破れたTシャツとジーンズを着ている。
顔についた泥は血が混じって赤黒く固まっていた。
「君、大丈夫?」
直哉が口にしたのは、彼女のケガに対する気遣いではなかった。
とても大丈夫には見えない相手を前にして、直哉が感じた彼女の心の声に対するものだった。
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