第3話 dressing room 1

「ねえ、ちょっとっ? 直哉ったら!」


 背中に受けた痛みで直哉は正気に戻った。


「ん、ああ」

「もう! ぼおっとするのはぼっちの時だけにしなさいよ。せっかくデートに誘ってあげたんだから」


 息がかかるほどの距離に近づいた顔に驚いて体をのけぞらせると、幼馴染の陽向ひなたあかりが、勝ち誇ったような笑みを浮かべた。

 間をおかず、直哉は灯の額に頭をぶつけて反撃を加える。ついでに、ニヤリという文字が浮かびそうな挑戦的な笑みで対抗した。


「いッたーい!」


 灯が額を両手で押さえる。ヒールの上に伸びる脚にぴたりと張り付いたジーンズを、後ずさりするたびにヒラヒラとなびくコートの内側からのぞかせながら叫んだ。


「そのデートとやらの邪魔をして悪かったな。そもそも……」


 女性服売り場の試着室前に腰を下ろしていた直哉は、灯から目を逸らして周りを盗み見た。

 直哉にとって、そこは全くの異界だった。

 まるで地獄行きが決定していたのに手違いで天国に送られ、誰かに気づかれないかとビクビクしているような気分だ。


「そんな考えだからいつまでもモテないのよ!」


 灯の暴言を耳にした女性客の一人が、直哉の顔をチラリと見て通り過ぎた。

 はいはいその通りです、モテない男ってのは俺のことですよ。だけどお姉さん、人前で平然と男を断罪するこの女だって、腐れ縁の俺みたいな男くらいしか、一緒に出かける相手もいない口先だけの女なんですよ。


 などと考えていると、まるで直哉の思考を一字一句正確に読み取ったかのように、灯はピシャリと言った。


「はいはい、私のことはいいから。それじゃちょっと別のお店見てくるから、あんたはしっかり自分のデート相手をエスコートしなさいよ」

「な、どこ行くんだ。俺はお前らの買い物に付き合ってるだけ、で」

 言い終わらないうち、灯は直哉の前にしゃがんで顔を近づけて言った。

「いーい? 直哉。これはあなたと彼女の問題」

 灯は閉じられた試着室のカーテンの向こうを指さして言った。

「どんな理由かは知らないけど、はあなたを頼ってきたの……。だから、今度こそ目をそらさないで。これは、きっとチャンスなのよ」

「目をそらす? チャンスって、何のことだ?」

「それは……」

 灯は何かに耐えるように、強く握った手を太ももの間に挟みながら言った。

「今度こそちゃんと伝えるための、」

 先を促そうと口を開きかけた直哉を遮るように、試着室の中からの声がした。


「あの、灯さん。まだそこにいます?」

「うん。サイズは大丈夫そう?」


 灯はかすれた声でそう答えると、直哉に向き直って言った。


「無理にほめようとしなくていいの、でもちゃんと言ってあげるのよ。似合ってるって」

「だからそれが、」

 ほめろと言っているようなものだと言おうとして、また試着室の声にさえぎられた。


「サイズは大丈夫そうです。ただ、こんな可愛いの、私にはちょっと」

 彼女がカーテンの向こうから言った。

「よかった。私はちょっと席を外すけど、直哉をここに置いとくから。何かあったら直哉に何でも言ってちょうだい」

「えっ、あの、灯さん!?」

「あ、おい」

「だいじょぶ、私の見立てに間違いはないわ!」

 二人が呼び止める声を払うように灯はひらひらと直哉に手をふり、ショッピングモールの通路へと消えていった。


「あの、な、直哉、さん?」

「あ、」

 直哉は返事をしようとしてカーテンを見つめた。

 だが布一枚へだてた向こうで、入葉がどんな表情をしているかも、何をしているかもわからない。

 そんな状況で、何を話せばいい?


 いや、違う。

 見えていても、見えていなくても、一緒なのだ。

 俺は彼女のことを、まだ何も知らないのだから――

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