第9話 呼応



『グェ……グエ……』と異様な声が聞こえる。それとずるずると何かを引きずる音。

 ドゥエドゥエさんも軟体ゆえ擦って移動していたが、その時には音をたてないし足元も汚れていなかった。理屈は分からないが軟体の来訪者には彼等なりの歩き方があるのだ。

 だが今ルディ達の視線の先で徘徊するアレは、ずるずると音をたてて体を引きずり、土や落ち葉も擦って随分と汚れている。やはりアレはドゥエドゥエさんとは違う。


 だけどあの中にはまだドゥエドゥエさんの意識が残っているはず。

 意識を乗っ取られる事がどれほど辛いかはルディには分からないが、それでもドゥエドゥエさんならばきっと自分の訴えに気付いてくれるはず。

 そう話せばハヴェルが頷いて返してきた。彼の表情にもまた決意が宿っている。凛々しく勇ましい顔だ。


「良いか、もし無理だと判断したら俺を置いてでも逃げろ」

「ハヴェルは無理だと判断したら私を置いて逃げるの?」


 ルディが尋ねて返せば、ハヴェルが「馬鹿を言うな」と言い捨てた。


「お前を置いて逃げるわけないだろ」


 彼の言葉にルディも頷いた。自分だって同じ気持ちだ。


 そうして生い茂る木々の隙間からその姿が現れると、ルディはハヴェルと共に隠れていた木の影からさっと出て行った。

 目の前の軟体の来訪者がぶるりと大きく体を震わせ『グェ』と歪な音を出した。

 五つの赤い瞳がぎょろりと動いて一斉にルディを睨みつける。その異質さ、異様な光景、鋭い眼光、全てに恐怖が湧く。


 だけど用があるのは目の前の来訪者ではない。


「ドゥエドゥエさん! 聞いて!」


 静かな森の中にルディの声が響いた。


「今、貴方の中に別の来訪者が居て、それが貴方を乗っ取ろうとしているの! でもドゥエドゥエさんならそいつを追い払える! 私達が協力するから!」

『グェ……グェゲェ……』

「体のどこかにそいつを追いやって! そうしたらハヴェルが切り離すわ!」

『……グッ、ゲェ……グエェ!!!』


 歪な音がより強くなる。ルディを怒鳴りつけているのか、雄叫びか、それとも中で争っているのか……。

 その声にもルディは臆することなく、「ドゥエドゥエさん!」と彼を呼んだ。


 次の瞬間、五つある赤い瞳の一つ僅かに揺らぎ、別の色を滲ませた。

 青だ。

 赤から次第に青く、ゆっくりとだが着実に色味を変えていく……。


「ハヴェル! 目が!」

「見ろ、また一つ青くなった!」

「ドゥエドゥエさんが戦って追いやってるんだわ!!」


 五つある瞳の内、二つ、そして更に三つ目が青色に戻る。

 そしてまた一つ青に染まり、その瞬間、軟体が激しく震えた。


『グェ……ドゥ……ドゥエ!』


 歪な異音を押しのけて発せられたこの声は……。


「ハヴェル! 赤い瞳のところを切って!!」

「任せろ!」


 ルディが声をあげれば、剣を構えていたハヴェルが素早く動いて目の前の軟体へと切り掛かった。

 鋭く磨かれた剣で、薄水色の軟体に迷いのない太刀筋を描く。


 ほんの僅かな沈黙。

 荒々しい場というのが嘘のように静まり返り、風に草木が揺れる微かな音さえも耳に届く。


 その沈黙を破ったのは、ズシャッと何かが地面に落ちる音。



 薄水色の塊。大きは両手の上に乗る程度だろうか。

 中央には赤い瞳が一つだけあり、それが忙しなくぎょろぎょろと動いている。まるでそれだけで独立している生き物かのように。


 硬直していたルディは声を発する事も動く事も出来ず、ハヴェルが剣を鞘に戻す微かな音でようやくビクリと体を震わせた。

 はっと我に返ると同時に、自分が呼吸すらも忘れていた事に気付く。慌ててドゥエドゥエさんの様子を窺うハヴェルのもとへと駆け寄った。


「ハヴェル! ドゥエドゥエさんは!?」

「切り離した衝撃で意識が朦朧としてるのかもしれない。といっても、俺は彼がなんて言ってるのか分からないんだけどな。ルディ、訳してくれ」

「分かった。……ドゥエドゥエさん、大丈夫ですか」


 願うような気持ちでルディが話しかける。

 それに対して四つに減った瞳がゆっくりとルディへと向けられた。全て青い瞳だ。


『ドゥエ……、ドゥエドゥエ』

「大丈夫、って言ってる。良かった、中に居たのはちゃんと切り離せたみたい……」


 分かる範囲内でだがドゥエドゥエさんの言葉を訳すと、切り離した衝撃こそ残っているが苦痛は無く、そして体の中に感じて日増しに増えていった異物感も無くなっているのだという。

 この話にハヴェルが安堵したように「そうか」と答えた。


「あっちも動けないみたいだし、ひとまず解決したと判断して良さそうだな。なぁルディ、俺達、新米だけどよくやったと……、ルディ!?」


 ハヴェルがぎょっとしてルディを呼ぶ。

 そんな彼をルディは地面に座り込みながら見上げた。……事態を解決したと理解した瞬間に力が抜けて立っていられなくなったのだ。

 それを話せばハヴェルもまたしゃがんでルディの目線に合わせてきた。窺うように顔を覗き込み、苦笑する。


「もう大丈夫だから、安心しろって」

「う、うん……。でも、なんだか安心したのに怖かったのが戻ってきて、今になって失敗したらどうなってたかを考えちゃったの。それが怖くなって……。それで力が抜けちゃって……」


 不安も恐怖も押し留めて危険な来訪者に挑んだ。

 その押し留めていた感情達が緊張が解けた瞬間に一斉に舞い戻ってきたのだ。それと安堵が綯い交ぜになり、様々な感情が渦巻いて体の力を奪ってしまった。


 試しに立ち上がろうとするも、足に全く力が入らない。

 これはしばらく立つのは無理そうだ。



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