第7話 来訪棟の迎撃課



 ものがひしゃげたような、声であっても声とは思えない異音。喉を無理やり圧し潰して声を出させたような不快としか言えない声。

 その声が着実に大きくなっている。まっすぐにこちらに向かっている……。


「に、逃げなくちゃ……」


 話をするなどと考えが甘かった。この異音じみた声の主はもはや自分の知っている来訪者ではなく別のなにかだ。

 見つからないように森を抜けて助けを求めなくては。

 そう考え、震える足をなんとか律して木陰から出ようとし……、


『ゲェ……グェェェ!』


 という酷く歪な声と、そして目の前に一瞬にして現れた身の丈を超える薄水色の軟体、ぎょろりと動き睨みつけてくる五つの赤い瞳に、ルディは高い悲鳴をあげた。


「いやぁぁ!」

「ルディ!!」


 何かがルディの体にぶつかり、その衝撃に耐えきれず地面に倒れ込む。

 痛みを感じる余裕すらなく顔を上げ、目の前に立つ人物の姿に、その背に、見覚えのある外套と銀色の髪に、ルディは小さく「ハヴェル……」と呟いた。


 彼が目の前に立っている。今まさにルディに襲い掛からんとしていた薄水色の軟体を剣で受けとめながら。

 両者の力は拮抗しているのか剣は微かに震え、ギリギリと擦れる音がルディの耳に届いた。


「ハヴェル……、どうしてここに……」

「話は後だ、立てるか?」


 背中を向けたまま尋ねてくるハヴェルに、ルディは慌てて答えると共に立ち上がった。

 彼の背中越しにドゥエドゥエさんの姿が見える。……否、あれはもうルディの知る『ドゥエドゥエさん』ではない。同じ形をしているが全く別の、怖くて暴力的な何かだ。


「くそっ、なんだよこの力……!」


 ハヴェルが唸るような声色で呟く。それほどまでに目の前の薄水色の来訪者の力が強いのだろう。

 彼の腕や手を見れば渾身の力で押しのけようとしているのが分かる。だが剣の刃に触れている来訪者の一部はびくともしない。切ることも、押しのけることも許さないのだ。


 両者の力が拮抗しているのは剣を握った事の無いルディにも一目で分かる。

 それはつまり、いつどちらが圧し負けてもおかしくないという事だ。


「ハヴェル、逃げましょう。彼は足が遅いの。だから走れば逃げられるはず」

「足が遅い……。そうか、分かった!」


 威勢よく答えるのとほぼ同時に、ハヴェルが渾身の力を込めて剣を押しやった。

 当然、薄水色の来訪者もまたそれに抵抗するように力を入れる。

 だが次の瞬間ハヴェルはさっと身を引いた。攻撃に出るかと思いきや一転して退く彼の動きの落差についていけず、来訪者がバランスを崩してぐらりと大きく体を揺らした。仮に人間であったなら前のめりになって躓くようなものだろうか。


「行くぞ走れ! ルディ!」


 即座に踵を返したハヴェルがルディの手を掴んで走り出す。

 彼に手を引かれるように、ルディもまた震えそうになる足をなんとか律して走り出した。



 ◆◆◆



 森の入り口には馬が一頭木に繋がれていた。ハヴェルが乗ってきた馬だという。

 ハヴェルが駆け寄ると繋いでいたロープを解き、まずはルディを乗せるためにと手を差し伸べてきた。

 ルディはその手を取ろうとし……、僅かに躊躇って森へと視線をやった。来訪者はまだ来ていない。自分達を追いかけてきているのかも分からない。


 怖かった。今でも怖い。

 あの瞬間を思い出すと心臓が潰されそうな恐怖心に駆られる。


 だけどこのまま逃げて良いのだろうか……。


「ねぇ、これからどうなるの?」

「どうって、来訪棟に戻ったらすぐに報告して、ひとまずこの森は立ち入り禁止にしないと」

「……ドゥエドゥエさんは?」

「それは……。多分、俺達が出撃になるだろうな」


 不自然に視線を逸らしてハヴェルが答える。口にしたくないが、事実なのだから伝えなくてはと考えたのだろう。

 彼からの返事に、ルディは分かっていながらも「そんな」と小さく声をあげてしまった。


 ハヴェルが口にした『俺達』とは『先行課』のことだ。だがこの状況を考えるに『遊撃課』の意味で口にしたのだろう。


 普段、来訪者が出現すると最初に先行課が向かい、来訪者を保護すると同時にその能力や性格を見定め、適した部署に世話を回す。

 だが彼等の役割はそれだけではない。

 現れたのが危険な来訪者だった際、その場で彼等が処分を下す。そのために彼等は先陣を切り、ゆえに彼等は剣の実力を求められ、そして彼等だけが来訪棟の中で剣を所持しているのだ。


 つまり今この状況下、迎撃課が出動すればドゥエドゥエさんは……。


「で、でも、彼は凄く良い人だったのよ。私達の言葉もすぐに理解してくれたの」

「でもルディを襲ったのは事実だろう。来訪者が国民に怪我を負わす、または怪我を負わす意志があると判断した場合、処分対象となる。これは国の決まりだ」

「処分って……。でも私、怪我してないわ! 私が勝手に驚いて逃げただけで、もしかしたら何か誤解があるだけかもしれない!」

「……本当にそう思うのか?」


 鋭く的確なハヴェルの言葉に、ルディは言葉を詰まらせてしまった。

 ルディ自身、自分の言い分がまったく見当違いだと分かる。


 確かにドゥエドゥエさんは温厚で知的で優しく、あの瞬間までの彼は無害な来訪者だった。


 あの瞬間までは。


 それ以降のドゥエドゥエさんは狂暴としか言いようがない。

 異音のような声を発し、ルディに襲い掛かってきた。ルディを庇うハヴェルに対しても容赦なく、彼が圧し負けかねないほどの力を見せていた。

 それに、あの恐ろしい赤い瞳……。


 ……赤い瞳?

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