第4話 財布と相談



「よぉルディ、相変わらず暇そうだな」


 ハヴェルが話しかけてきたのはその日の夕方。

 歓迎課の受付カウンターに寄りかかりながら話しかけてくる彼に、ルディはツンと澄まして「ご用件は」とだけ返した。

 周囲で囁き合う声が聞こえてくるが、これは他の課の女性達だ。チラチラと横目でハヴェルに視線をやり、中には「今日も素敵」だの「格好良い」だのと話している。


「用件を仰ってください」

「そうつれない態度を取るなよ。どうせ今日も定時上がりなんだろ」


 ハヴェルがチラと柱に掛けられている時計を見上げた。

 あと数十分で就業時刻。課によっては仕事を片付け、課によっては残業だと気合いを入れ直す時間だ。歓迎課が前者であるのは言うまでもない。

 普段ならばルディも就業時刻になると机の上を片付ける。だが今日は違う。


「今日はまだ仕事があるの。ドゥエドゥエさんの書類を作成しなきゃいけないのよ」

「誰だよドゥエドゥエ、……もしかして今日の来訪者か?」


 問われ、ルディはコクリと頷いた。

『ドゥエドゥエさん』は今日案内されてきた来訪者だ。手足も無ければくびれも無い半透明の軟体で、色濃い青い瞳が五つ。そして『ドゥエドゥエ』としか喋らない。


「あの来訪者と意志の疎通が出来たのか?」

「私じゃ無理だったわ。ドゥエドゥエさん、ずっと『ドゥエドゥエ』としか言わないんだもの。でも先生がドゥエドゥエさんの『ドゥエドゥエ』って声の変化に法則を見つけて、先生だけは少し会話が出来るようになったの」

「そうか、さすがブルーノ殿。異世界言語の第一人者は違うな」

「そりゃそうよ、だって先生だもの。それで、ドゥエドゥエさんは文字が書けないから私が代わりに書類を用意してるの」


 ドゥエドゥエさんに文字を書いてもらおうとペンを手渡したところ、軟体の中にペンを取り込まれてしまった。

 薄い水色の軟体の中にペンがふよふよと浮いている光景はなんとも言い難く、ルディは「お気に入りのペンを渡さなくて良かった」と心の中で呟いた。

 そうして異世界言語の第一人者であるブルーノを介して色々と聞き出し、それを元にルディが必要書類を作成している。今日中にこれを作成し、来訪棟の専門部署に受理してもらわなければならないのだ。


「だからハヴェルと話をしている時間はないの」

「でもその後は空いてるんだろ。待っててやるから、飯に行こうぜ」

「どうして私がハヴェルと食事に行かなきゃいけないのよ」

「奢ってやるし、好きな店を選んでいい。悪い話じゃないだろ」


 どうだ、と誘ってくるハヴェルに、ルディは断ろうとし……。


「財布と相談するわ」


 そう宣言し、机の横に掛けている鞄から財布を取り出した。

 ここでぴしゃりと断れば格好良かったのかもしれないが、今日は給料日前、少しお財布の中が心許なかったのだ。夕食代が浮くのは悔しいかな有難い話でもある。

 だからこそ財布の中身を確認……、せず、右手に財布を持って顔の高さまで掲げてみた。


「ねぇ、どう思う? 財布さん」

「まさか本当に相談をしだすとは……」

『そうだねぇ、財布的には驕りって言うのは魅力的だねぇ(ルディの裏声)』

「返事するのか財布……」


 ルディが裏声で財布役を演じだせばハヴェルが呆れた声を出す。

 だがルディは真剣な顔付きで財布を見つめた。まるで財布に意志があるかのように「そうねぇ」と話を続ける。


「でも相手はハヴェルよ? いくら向こうから言い出したとはいえ、ハヴェルに貸しを作るのも考えものよね」

『だけどルディ、好きなお店を選んで良いって言ってるよ。普段は行けないお高いお店を選んでも良いんじゃない?(裏声)』

「なるほど、それは確かに有りね。さすが私の財布だわ」


 うんうん、とルディが頷く。

 そんなルディと財布の一人二役のやりとりに、カウンターに肘をついて眺めていたハヴェルが「そろそろ良いか」と割って入ってきた。

 財布と見つめあっていたルディが彼へと視線をやる。その際に手にしていた財布もクルと彼の方へと向けた。


「なぁ財布、お前の中に予約票があるだろう?」


 ハヴェルが問えば、ルディが「予約票……」と呟いた。

 この茶番劇を眺めていた者達が、ハヴェルに対して「お前も財布に話しかけるのか」と考えたのは言うまでもない。


「予約票……、そ、そうだわ! 明後日発売の本の予約票!! お財布さん、貴方の中に予約票が入ってるわ!」

『あぁ、忘れていた! 奮発して豪華初回版を予約してしまったんだ! なんてこったルディ、給料日前なのに!!(裏声)』


 ルディと財布が同時に嘆く。といっても結局はルディが一人で声を変えて嘆いているだけなのだが。

 もはや茶番とすら言えない寸劇に、それでもハヴェルは再び「なぁ財布よ」と話しかけた。周囲の視線が「まだ付き合うのか」というものに変わっていくのだが、生憎とルディもハヴェルも気付いていない。


「突然誘うのは紳士としてマナー違反だ。その詫びに、明日の朝に食えるようにテイクアウトも買ってやろう」

『明日の朝食……?(裏声)』

「あぁ、そうだ。つまり今夜の夕食代と明日の朝食代が浮くんだ。悪い話じゃないだろう」

『そ、そうだね……。どう思う、ルディ?(裏声)』


 財布に問われ、ルディは「そうね……」と真剣な声色で考え込んだ。

 そうして悩むこと数十秒。その果てに意を決したと顔を上げると、


「お財布もこう言ってることだし、行くわ」


 と、了承の言葉を口にした。

 ハヴェルの表情がパッと明るくなる。


「そうか、それなら俺の仕事が終わったら迎えに来るからな。良いか、忘れるなよ」

「分かってるわよ。それより、応じてあげるんだから残りの仕事も頑張りなさよ。新米」

「だからお前だって新米で……。まぁ良いや、それじゃまた後でな」


 明るい声色のまま、ハヴェルが踵を返して去っていく。

 それを見届け、ルディはまったくと言いたげに深く息を吐き、さて自分の仕事に戻ろうと振り返り……、


「な、なんですか皆さん……。それに先生まで」


 ブルーノや課の仲間達の妙に微笑まし気な表情に、なんとも言えない居心地の悪さを覚えた。


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