ゾンビまがい


 私はミワさんの姿を見て、背筋が寒くなりました。

「芦矢さん、あれが河童憑きなんですか? 淫らな振る舞いをすると聞いていたのに、あれではまるで」

 ハジメくんの前なので、私は「ゾンビ」という言葉を飲み込みました。


「寧々さん、かなり厄介なことになっているようだ。ハジメくんと一緒に、できるだけ遠くに離れてくれ」

「わかりました。ハジメくん、行こう」

「すいません。姉さんのことをよろしくお願いします」


 ハジメくんの言葉に頷いて、芦矢さんは改めてミワさんの方に向き直りました。

 ミワさんは時折、転びそうになったり、両手を振り回したりしています。身体を思い通りに動かせないのかもしれません。

 私たちが充分に離れたことを確認してから、芦矢さんはスタスタと歩きだしました。ミワさんとの距離が次第に詰まっていきます。


 頭を振ったせいでフードが外れて、ミワさんの顔があらわになりました。元はチャーミングなルックスなのでしょうが、今は仮面のように無表情でした。もしかしたら、何も見えておらず、ただ本能のままに動いているのかもしれません。


 芦矢さんは間近で観察して、直感的に確信したといいます。やはり河童憑きではない、もっと厄介なものが憑いている、と。

 二人の距離が3mを切った時、ミワさんの口が大きく開きました。四つん這いになって、猛獣のように襲いかかりました。明らかに、芦矢の首筋を狙っています。


 でも、芦矢さんは紙一重でかわして、ミワさんの背後に回り込みました。そして、素早く彼女の両脚をはらったのです。


 ミワさんは勢いよく、うつ伏せに倒れました。芦矢さんは彼女の背中に膝をつき、体重をかけながら、彼女の両腕を絞り上げます。ミワさんは脚をバタつかせていますが、それ以上は動くことができません。


「芦矢さん、大丈夫ですか⁉」

「まだ終わっていません。寧々さん、そこを動かないで」


 その時、不気味なことが起こりました。私の抱えていたコンビニ袋がガサガサと動き出したかと思うと、勢いよく芦矢さんの方向に飛んで行ったのです。

 いえ、正確には、コンビニ袋ではなく〈カッパの手のミイラ〉であり、芦矢さんではなくミワさんに向かっていったのでしょう。


〈カッパのミイラ〉はミワさんの頭をつかみました。偶然その形になったのではなく、確かな意志によって頭部をつかんだように見えました。ミワさんに密着することで、彼女の滋養を吸収したのか、〈ミイラ〉は瑞々みずみずしい肌艶はだつやに変化していきます。しかも、次第に大きくなっていきました。


 異形の手は数十倍の大きさになり、ずっしりとした質感をともなっています。まるで、巨人の手のようです。化け物じみた大きさから見て、私には鬼の手のように見えました。しかも、指を器用に使って、俊敏な動きを見せます。


 芦矢さんは鬼の手に捕らえられてしまいました。でも、彼の表情に焦りや脅えは見当たりません。

「オン・カカカ・ビサンマエイ・ソワカ」と、地蔵菩薩の真言を唱えます。


 鬼の手はのたうって苦しみ始めました。拘束から逃れた芦矢は呼吸を整えると、両手で素早く閃かせました。ハイスピードの手話のようですが、それは早九字と呼ばれるものです。

「臨、兵、闘、者、皆、陣、列、在、前」と、九字に合わせて印を結んでいたのです。


 これによって、芦矢さんは毘沙門天、十一面観音、如意輪観音、不動明王、愛染明王、聖観音、阿弥陀如来、弥勒菩薩、文殊菩薩の力を得たことになります。


 神々の大いなる力は一陣の風と化して、一瞬のうちに、鬼の手を粉々に引き裂いてしまいました。





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