奈楽童子


 事件が解決した二日後、私はふたたび、芦矢さんのお宅に向かいました。どうしても、気になったことをいくつか確認したかったからです。でも、二回目だというのに、またもや方向音痴を発揮してしまいました。


 もし、小太りな黒服の男が案内してくれなければ、私は芦矢さんの古民家に辿り着けなかったかもしれません。おそらく、黒服の男もクロと同じ式神なのでしょう。


「いらっしゃい。来るのが遅いので、また道に迷ったのかと思ったよ」


 芦矢さんは柔らかな笑顔で出迎えてくれました。炬燵のある部屋に通されて、美味しいコーヒーを御馳走になったのも二日前と同じです。人心地がついたところで、私は切り出しました。


「〈カッパの手のミイラ〉は専門家の補修がおわりしだい、川上家に戻される予定です。すべて、芦矢さんのおかげです。本当にありがとうございました」


「永瀬ミワさんの容体はいかがですか?」


「翌日には入院先で意識を回復しました。容態は安定していますし、先生のお許しが出れば退院することになる予定です。ただ、憑かれていた時の記憶がすっぽり抜け落ちています」


「でしょうね。その記憶は一生もどらない方がいいと思います」


「芦矢さん、今更なんですが、ミワさんに憑いていたものは何だったんですか? 最初は河童だと思っていましたが、私たちは鬼のような巨大な手も見ました。あれは何だったんですか?」


「寧々さんの言った通りです。奈落童子の手だから、鬼の手で合っています」


 奈楽童子とは、鬼の名前です。日本で有名な鬼は酒呑童子ですが、その家来にあたるのが奈楽童子。最近では、奈楽市のゆるキャラにもなっています。鬼退治で有名な源頼光から灰をかけられて早々に逃げ出した、という民話が奈楽市に残っています。


「河童と鬼が今のような姿かたちになったのは、そんなに昔ではありません。どちらも根っこは同じものだったと僕は考えています。専門家の中には、それが水辺に出ると河童と呼ばれ、山に出ると天狗、都に出ると鬼になる、と言った人もいました」


「芦矢さん、川上家の家宝も、〈河童のミイラ〉ではなかったということですか?」


「身も蓋もない言い方になるけど、妖怪のミイラなんてありえないからね。昔の職人がそれらしく作った見世物か工芸品だったんだろう。動物の死骸の一部を加工したり、複数の動物を組み合わせたりしたものだった、と言われている」


「〈河童のミイラ〉ではなかったことはわかりました。では、〈鬼のミイラ〉だったんですか?」


「いや、それも違いますね。寧々さんが目撃した巨大な鬼の手は、〈ミイラ〉を媒介にして大勢の人の想いが具現化したものです。一般的に、悪霊とか怨霊と呼ばれていますが……。これ以上は、想像にお任せしますよ」


 ここまで言われたので、いくら勘の鈍い私でもわかりました。あの〈ミイラ〉の正体は猿などではなく人間、それも亡くなった子供の手だったのでしょう。


 あることを思いつき、私はヒヤリとしました。川上家の人々は〈河童の手〉の正体が〈子供の手〉だったと知っていたのでしょうか? いや、やはり、〈河童の手〉だと信じていたと思いたいものです。


 芦矢さんの説明は続きます。

「〈ミイラ〉は媒介にすぎません。ミワさんの中にあった想い、例えば怒りや嫉妬といったマイナスの感情が、〈ミイラ〉と化学反応を起こして、鬼を生み出したのでしょう。中国の鬼は死者の霊魂を意味し、目に見えないものです。日本の鬼は巨大な妖怪というイメージですが、実際には、やはり目に見えません。鬼とは本来、僕たち人間の心の邪悪な部分が表に現れたものですからね」


 姿が見えなくとも、鬼はいたるところに存在するのです。

 人のいるところには必ず、鬼も存在しているのでしょう。











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