噂の式神
芦矢さんのヤマハGX250トリッカーは、トライアルバイクのようなスタイルをしています。見かけ通りのスマートさを発揮して、軽快に国道を駆け抜けていきました。
川上家は、交通アクセスの悪い山間部にあります。バスの本数も日に数えるほどしかなく、最寄りのバス停から徒歩50分といったところ。バイクで行くのが最良の手段でした。
私はヘルメットを借りて、芦矢さんの腰に両手を回していました。バイクに乗るのは初めてだけど、とても運転が丁寧なので、安心して後部シートに収まっていられました。
川上家は霊峰である竜晄山の麓にあります。町の中心からかなり離れていますが、スマホのマップを一度見ただけで、芦矢さんは少しも迷わずに目的地にたどり着くことができました。
私は川上家の中に入ると、まず、雨戸を開けで、澱んだ空気を入れ替えました。私たちの健康のためという以外に、お屋敷の管理にも関わっています。人が住まなくなった家が傷みやすいのは、木が湿気で腐ってしまうからです。
「住人が身体を壊して入院中なので、昨年から誰も住んでいないんです。貴重品はすべて身内の方が預かっているんですが、まさか河童のミイラが盗まれるとは思っていなかったらしくて」
「でも、犯人はこちらにミイラがあることを知っていた。何か、心当たりはおありですか?」
「ミイラのことは身内しか知りません。先祖代々、部外者には見せるな、という決まりらしくて」
「雑誌やテレビの取材を受けたことはなかったんですね」
「はい。川上家の方々はマスコミ嫌いなので、一度もなかったと聞いています」
芦矢さんは頷きながら、仏間の押し入れを確認しています。その中に河童のミイラが仕舞われていたのです。押し入れの周辺を念入りにチェックしてから、私たちはゆっくりと家の中を見て回ります。
「どうですか? 何かわかりますか?」
「ええ、犯人は男の子のようですね。子といっても小学生よりは大きく、高校生ほどではない」
「というと、中学生?」
「子供と大人の間、心と身体がアンバランスな13歳か14歳でしょう」
つまり、私と同じ年ごろです。
「あの、決して信用していないわけじゃないんですが……」
「寧々さんは訊きたいのは、その根拠ですね。すいません。言葉で説明するのは難しいのですが、見てわかりやすいのは、足跡ですね」
芦矢さんの指の先を辿ると、なるほど、うっすらと積もった埃の上に、足跡らしきものがあります。見る角度を変えると、あたりに数多くの足跡が浮かび上がりました。
「ご家族らしき足跡を除くと、残ったのは一つだけ。他にも、てのひらの痕跡がありました。それぞれの大きさや歩幅から、大まかな身長と体重がわかります」
「はぁ、なるほど」
「ただ、これだけで犯人を追跡するのは難しいな。市内の中学生だけでも1万人、男の子に限定しても5000人は下らないでしょう」
そう言って、芦矢さんはスタスタと部屋を後にします。私は慌てて後を追いかけました。
芦矢さんは廊下を通りぬけて、陽当たりの良い軒先で立ち止まります。なぜか、ぼんやりと、庭を眺めていました。ずっと手入れをしていないので、庭には雑草が生い茂っています。すっかり荒れ放題でした。
ふと、何か小さなものが草むらの中で動きました。黒い影がチラチラをのぞきます。目を凝らすと、それは子犬のようでした。
正確に言えば、子犬ではありません。大きさは30cmほどなので、子犬サイズなのですが、シルエットは成犬そのものでした。
芦矢さんがしゃがみこむと、その黒犬が駆け寄ってきました。見るからに頭がよく、機敏な動作も若々しく見えます。踏ん張っている足にも力強さが感じられました。
黒犬は芦矢さんの差し出した指先に鼻を近づけると、「ウォン」と啼きました。
芦矢さんが右の拳を口元にあてて、小声で何事か囁きました。すると、黒犬は弾かれたように、庭を飛び出していきます。まるで、弾丸のようなスピードでした。
芦矢さんが口にしたのは、「
「急々如律令」とは、「律令のごとく早くせよ」という意味であり、陰陽道の呪力のある言葉として知られています。
私は訊かずにはいられませんでした。
「今のは、噂の〈式神〉ですか?」
芦矢さんは何も言わず、にっこり笑っただけです。
〈式神〉とは、陰陽師が使役する精霊や鬼神のこと。シキジンやシキノカミ、単にシキとも呼ばれます。最も有名な使い手は、もちろん安倍晴明でしょう。平安時代に活躍した陰陽師であり、『今昔物語集』や『宇治拾遺物語』などに数多くのエピソードが収められています。
もう一人、
目の前にいる芦矢さんも、漢字がちがうとはいえ、同じ読みのアシヤですし、道彦という名前にも「道」が含まれています。だからというわけではありませんが、芦矢さんが〈式神使い〉であるという噂に間違いはなさそうでした。
芦矢さんはゆっくり立ち上がり、
「後始末を済ませたら、すぐにクロを追いかけましょう。数時間以内に犯人の元にたどり着けるはずです」
クロとは黒犬の名前なのでしょう。素直に見たままのネーミングです。
屋敷の雨戸を元通りにして戸締りを終えると、私たちは出発しました。
二人を乗せたGX250は疾風のように、山道を駆け降りていきます。
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