紙とペンと
ペーパーレス化が進む今日の日本。正直なところ、私はペーパーレスに消極的な日本人のひとりだ。教科書は紙のままであってほしいし、資料も紙媒体で読みたい。たしかに、学校で配られるプリントはかさばるし、1年もたつと馬鹿にならない重さになる。ただ、勉強すればするほどぼろぼろになっていく教科書をみるのは、頑張った証のようでなんだか誇らしかった。高校時代にとった何十冊ものノートは、今でもたまに見返す。自分の字が確立したと思っていた高校の三年間でも、案外自分の字体が変化していておもしろい。
私の文字は、友人に言わせると、「一発できよって当てられる」文字らしい。自分にとってはいつも書いているなんてことのないものだが、他の人からすると特徴的にみえるようだ。
私は、字を書くことも好きだが字を見ることも好きで、「あ、この人のこの字、好きだなあ。」と思うと、その形を記憶して練習することもある。つい先日も、ふと見かけた「あ」がかわいらしく、ここ数日「あ」を書くときは、あのかわいらしい「あ」を意識して書いている。その「あ」は、むぎゅっと横長で、小さい子が結ぶのに失敗したリボンのような形をしていた。
実をいうと、私の文字は、その約半分が盗作したものである。だから、やけに角ばったひらがなもあれば丸っこいカタカナもある。文字を単品で見るとでこぼこしているのに、それが文章になると私の雰囲気を醸し出すのだからおもしろい。
また、使うペンによって字が変わるのも楽しい。インクがさらさらと出てくるペンだと心なしか文字も細めで爽やかになるし、固いインクのボールペンを使うと、なんだか頑固おやじのような文字になる。だから、その日の気分によって使うペンも変わる。最近のお気に入りは鉛筆で、紙に触れたときの感触がふんわりしていていまの気分に合っている。
他の人の文字を見てみると、しっかり者の友人の文字が案外チマっとマルっとしていたり、女の子らしい友人の文字はころんとしていたりと、想像と違うことも想像通りのこともあって、気づかれないようにひとり楽しませてもらっている。
もし、『100人がかいた あ 』などという本が出版されたらすぐに書店に走る。そして100通りの「あ」を几帳面にはしからはしまで全部チェックしたら、私の「あ」はきっとまた変化するのだ。
もしかすると、つぎの「あ」は戦に負けたことのない武士がかくような、筋骨隆々な「あ」になる、かもしれない。
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