命の灯火

 ルメスは、自らの頬の血を何度も拭っていた。自分に傷が付くのが、信じられなかったのだろう。なわなわなと肩を震わして、こちらを見据えた。その目は、ついさっきのちゃらけた態度を思わせる様なものではなく、確実な殺し屋の目だった。

「ふ、ふふふ。まただ。またお得意の減らず口かぁ?そうだ。これはただのまぐれだ!ただの小さい切り傷ごときで……。調子に乗らない方がいい……」

「まるで自分に言い聞かせているみたいだな。そんなに減らず口が怖いか?」

「黙れ!」

また、予備動作無しの攻撃。彼はその場から姿を消した。だが、もはや、目は閉じる必要がない。風の音も、聞かなくても良い。見える。さっきの攻撃で分かった。彼の動きは、確実に遅くなっている。目を見開く。彼が近づいてくるのが分かる。あいつが俺の間合いに入った瞬間、決着は付く。……今だ。


ビチャっという音が響く。風は吹き荒れ、決着は、この一撃で付いた。返り血がつく。俺のすぐ横で、彼は膝を付いていた。

「く……くそが……」

勝負ありだ。剣を柄に収めた。


 「どうして。どうして俺の攻撃が読めた……」

男は、仰向けになって、そう俺に問いかけた。口から血を垂らして、腹部の傷も、かなり深そうだった。ただ、彼には、死期が迫った時の様な安らかさがあった。騒ぐようなこともせず、ただ深い呼吸を繰り返していた。

「お前の敗因は、自分で付けた火に気を配らなかったことだ」

「……火。俺が殺した奴のか……」

「ああ、お前が蹴った死体には、まだランタンが付いていた。ランタンが壊れ、内部の火が、死体に燃え移ったんだ。燃えれば、当然だが煙が出る。お前は気付かず、その有害な煙を吸い続けていたんだよ。動きが鈍るのも当然さ」

ルメスは、深いため息を付いた。

「くそ……ああ、くそ。なんで、なんで気付かなかった。煙に気付いてれば、俺は……」

「いいや、気付けなかったね」

「……なんでだ」

「お前の欠損は左腕だけじゃない。左腕を切り落としたせいで、欠損の部位がリセットされたんだ。そして生憎新しい欠損部位となったのは、お前の嗅覚だ」

彼は、今の今まで気づいていない様だった。この場が、恐ろしいほどの死臭で染まっていることを、炎から出る有害な煙の臭いを、彼はとうの昔に忘れていた。

「はは、くそが。……そういうことか、畜生。ついてねえな、俺。最初から最後まで、しくじってばかりか……」

彼の切り傷から、血と共に美しく光るオーブがぼんやりと見えてきた。もう直ぐに死ぬ合図だ。

「あ゛あ……なあ……死ぬ前にさ、最後に、お前の名前、教えてくれよ……」

彼が震えた手で、俺を指差す。今の今まで、完全な敵だったというのに、何故か、この瞬間だけは、微かな親しさを感じた。確かな友情を感じた。

「……ハリス。シャンヌ・ハリスだ。覚えとけよ」

「……ああ、きっと冥土に行ったって、覚えてるよ……」


 男は、その言葉を皮切りに、パタリと動かなくなった。その瞬間。血よりも早く、とめどない勢いでオーブが溢れ出た。高く、噴き上げられたオーブは、命の灯火だった。しばらく、俺はそれを眺めていた。


 その奥で転がっている一人の仲間を思い出し、俺は急いでアドニスの方に死体を近づけた。

「おい。アドニス。死んでないだろうな。演技はもう終わりだぞ」

アドニスの体をポンと叩く。アドニスはうつ伏せの状態からむくりと顔をあげ、俺の顔を見た。

「酷い言われ様ですね。まだ痛むんですよ」

そう言いながらも、アドニスは立ち上がり、そしてふらふらと死体に近付き、しゃがみ込んだ。美しいオーブが彼の体に吸収される。

「おお、やっぱり傷の治りが早いですよ。もう血が止まりました」

嬉々として、状況を話すアドニスに、俺は素直に共感はできなかった。

「ルメス・クリウス……か」

なんとなしに、彼のことを思う。彼という人間が、一人死んだ感覚が、なんとなく。本当になんとなく勿体無いような気がした。ただ名を交わしたのみの関係だったが、道さえ違えば、また、彼がしくじることもないのだろうとも思った。

「……あなた、変な情を持ち込んでないでしょうね」

心がなんとも見透かされたようだ。いい気はしない。

「持ち込んじゃ悪いか?俺はお前ほど冷酷ではないんだ」

「悪いとは言ってませんよ。ただ、碌なことにならなさそうなだけです」

「それは悪いことじゃないのか?」

「さあ、もう行きますよ。オーブは既に尽きました」

「あ、今誤魔化したろ——」

容赦なく進むアドニスに俺は急いでついていくのだった


 ……道は永劫続いている。ふと、後ろを振り返る。空っぽになった彼が、嫌に目立って見えた。彼の灯火を貰って、俺たちは今生きている。そう思った。


 闇は永劫続いている。そしてこの灯火が、この闇を照らす。それは、摂理の様にも思えた。それでいて、そう思うと、俺は、この道で合っていたと思える様になった。足は勝手に前へ踏み出す。そう、彼らのためにも、俺は前に進まなくてはならないのだ。

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