闇雲
正面には、伏せた一人の男がいた。剣をその男の背に深く突き立てる。勢い良く抜くと、血がブワッと噴き、相手は力無く沈み、そして死んだ。傷口からは怪しく光るオーブが湯水のように溢れ出て、地面に流れた血を薄暗く照らしている。俺はその血濡れた剣を拭き、鞘にゆっくりと収めた。
「……四人目」
「数えるの、辞めた方がいいですよ」
そう言いアドニスは死体に寄り、ランタンを手元に手繰り寄せる。調査が始まった。
「……ブローチから察するに、結構前から潜ってるみたいですね。剣を交えてみた感想はどうです」
アドニスが胸元あたりを弄りながら、またいつものようにそう言った。能力の向上を調べる資料にするとのことだ。
「確かに、相手は片手だったが、にしては力が強かった……気もする」
「不確定的ですね。他に違和感とかないものですか」
「何しろ攻撃がワンパターンでな。純粋な力でしか推し測れなさそうだ。そんなに気になるなら君が戦ってみればいい」
「私は後衛ですから」
「はあ、そうかい」
彼の言い分にはめっぽう深いため息が出るばかりだ。
「それで?どうだ。何か収穫はあったか?」
「いやあ、何も。謎が深まるばかりです」
彼も彼で、ため息をふうとついた。彼もまた、弱っているようだった。
「一番の謎は、彼らに理性がない事です」
彼の手が死体の頬に触れた。
「今まで私が見た欠損のある冒険者は、皆正気を保っていました。意思の疎通ができていた。なのに、ダンジョンにいる冒険者は、ほぼ会話が通じない。それどころか敵意を持っている。まるで本能のまま動く獰猛な獣のようです」
アドニスはそう言いながら、懐から短剣を取り出した。細身で、素朴な装飾が施された短剣だった。
「理性がないっていうのは、まだ脳の大きな欠損という可能性があります。しかし、きっとこの死体は……」
その短剣が死体の左手の指先を刺し、皮膚が切り裂かれた。しかし、そこからは、一滴の血も垂れなかった。
「やはり、ここが欠損しているようです」
「なるほど、どうりで片手でもあんなに力が強かった訳だ。じゃあ、欠損したのは左手で、能力向上したのは右手ってことか」
「その可能性が高いでしょう。まあ死人に口無しです。実際はどうか分かりませんが」
名残惜しそうに彼は立ち上がり、くるりと向きを変え道を進んだ。
「これでわかったでしょう。彼の欠損は左手に留まっていた。にも関わらず、脳の、それもかなり大きな機能が丸ごと欠損しているとは考えづらい。彼らのああ言った行動は、何か別の理由があるはずです」
すごいな。と純粋に思った。彼は研究者でもあるが、洞察力と好奇心については、冒険者としても充分な才があると言えた。
「……確かに、ここは異様な何かがいる」
はるか前にも、同じ様なことを思っていた様な気がする。
「このダンジョンは、誰かの息がかかっているとしか思えないんだ」
「珍しい、あなたと同意見です」
目の前の闇が、渦巻いて見えた。追う人を引き込ませる様な、そして逃さない様な、永劫続く闇が覆い尽くしていた。
道を進んでいると、ガッと、何かが足に突っかかった。ランタンで下を照らすと、裸の男が、横たえていた。俺は思わず短い呻き声を上げた。
「死んでるか……?」
すかさずアドニスが身体中に触れる。
「ええ、脈がありません。しかも……右足がない。既に切り落とされています」
死体を改めて照らすと、その惨状さが明るみに立った。身体中は切り傷で溢れていて、右足は綺麗に膝から下が丸ごとなかった。地面に血飛沫の痕が強く残っている。
「これは……。酷いな」
風向きが変わる。こちらにむわっとした、あの腐乱臭が漂う。微かな明るさを頼りに、死体を跨ぎ前へ進む。
「結構な広さに、かなりの死体。結構な激戦が繰り広げられたみたいだな」
「どちらかといえば一方的な蹂躙に見えますが……この死体、この臭い、この惨状の黒幕が、まだ近くにいるはずです」
すると、遠くから地を踏み走る音が聞こえた。二人に緊張が走った。剣を抜き、身構える。しかしその剣を振るう前に、走る冒険者はこう叫んだ。
「助けてくれ!」
その返答は、予想していたものとは大きくかけ離れているものだった。冒険者の男は俺たちの前で崩れ落ちた。男がうつ伏せになると、足に切り傷があることが分かった。
「何がありました」
「あいつが来る……。あいつが……」
異常な程気が動転していた。這いつくばりながらでも、進もうとする。いや正しくは、逃げようとしていた。
「だから、何が来るって言うんです」
俺たちも、自然と後ろに下がり始める。
「来るんだよ!『片腕の悪魔』が……!」
男は、鬼気迫る顔でそう言った。悲痛な叫びと共に放たれたその声が、反響して、そして呼応するかのように素早い風が通り抜ける。
「……まずい。何か来る。下がりましょう、ハリスさん!」
俺が咄嗟に一歩後ろへ下がったその瞬間。
目にも見えなかった。かなりの風が吹いたと思う。砂塵がぶわっと、花開くように舞っている。そしてその砂の霧が明ける頃には、男の背から、血が勢い良く上がっていた。
「……あ、ああ…」
まだ微かに声が発せられている。だが、背中からは虚しくもオーブが排泄され始める。その行先は、死んだ男の直ぐ後ろにいた。
「おいおい、なに?まだ誰かいるわけ?」
そこには、片腕の男がただ一人立っていた。
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