鮮血

 あんな大層なことを言ったものの、勝負はそう簡単に終わらなかった。相手は足を切ろうと、腹を突こうと、一切怯まない。正直、もう死んでいてもおかしくないほど血が流れている。至る所に血、血、血。気が滅入りそうだ。真っ暗闇の中でも、その真っ赤な液体は特に光り輝いて見えた。最早、何も考えない方が気が楽だ。俺は剣を振り上げた。

 攻撃を続ける。相手の動きはますます鈍って、足は半ば機能を失っていた。それでも、這いずりながら、残された手で、俺の方に向かっていく。

 ——狂気的だ。気持ち悪い。人間じゃない。


 ——ああ、なんて腹立たしい。いつのまにか、この不気味な感情は、俺は怒りだと認識していた。地団駄を踏み、既に血まみれの相手に鞭を打つように剣を振るう。肉が裂け、血が垂れ、半ば殴るように振った。どんという鈍い音が響く。ビチャっと血が散り、振り下ろした剣先から血がポタリと落ちた。

 

 その音に目が覚めた。ふと相手を見下げる。剣を地に突き刺し、首を項垂れ、宙に浮いた手は震えている。傷だらけの真っ赤な体から血を垂れ流し、下には赤色の水溜まりができていた。しかし、相手はその手を地につき、体を俺の方へ向かわせようとした。……まだ、まだ俺に殺意を向けているのか、こいつは。

 剣をまた強く握りしめる。露呈したこいつのうなじを見る。今なら、終わらせる。決める。俺はその首に、狙いを定めて……。


 ——……。


 ……俺は剣を引いた。恐ろしいことに、無理だった。さっき叩いた大口が、嘘みたいに、腕に力が入らない。無理だ。だって、今、俺は、人を殺そうとしている。


 今までずっと言い聞かせていた。こんな奴はきっと人じゃない。俺たちと同じ生物な訳がないと。でも、どんなに気が触れていても、相手は人間だった。相手の荒い呼吸音が聞こえる。血が出ている。体が動いている。生命だった。相手はただの人間だった。それを殺す俺は、ただの人殺しだ。自分の中の自分が警鐘を鳴らしている気がした。戻れない。確信があった。手の震えが止まらない。たじり、よろける。一歩後ろに下がる。このまま、いっそ逃げれば——。


「……う」


 ……ハッと息を呑んだ。目を見開く。小さな、ほんの微かなうめき声が、俺の耳に入った。これは俺の声じゃない。この正面にくたばっている男からの声だ。生きてる。目の前の人間は今、話そうとしている。

 ……何だ、何を話そうとしている。俺の今の顔は酷い顔をしているだろう。俺への恨みか、命乞いか、思えば思う程、喉を締めるような感覚が俺を襲った。思わず顔をゆがます。このゆがんだ目で、相手を睨みつける。彼は、震えていた。口からはあと息を吐く。重い。酷い溜息だった。胸の奥から、じわりと罪悪感が染み込んでいく。黒い。何かだ。俺の体を、黒い何かが蝕んでいく。呼吸が荒くなる。そして俺は、俺は自己を忘れた。相手を睨む。相手は荒い呼吸で口を開け、そして今、その口から何か言葉を発そうと……して、いる。して、して——。う……。


「うあ゛あああああああぁぁぁぁぁぁ!」


 ——!。


 フーッ。フーッ。


そんな荒く深い呼吸は、俺から出ていた。俺は今、何をした?何も分からなかった。気付けば、相手はもう動いていない。首が、首が胴と離れて転がっている。目を異様に見開く。心臓が揺れに揺れる。これは現実か?疑うほどだった。いや、正しくは現実でありたかったのか。手が震えている。もう、手遅れだ。俺は今、人を殺した。

 

 剣をカラリと落とす。


 そして呆然と、ただなんとなく下を見ると、信じられない程多くの光の球が、俺に向かっていた。魔物の比ではない。死体を見ると、そこから数多の球が溢れ出ていた。カラカラ……と、綺麗な音を立てて、それが俺に向かって……。

 はは。なんて幻想的だ。笑みが溢れ出た。はは。ははは。跪き、笑う。ははは。はは……。


はあ。


 ……やるせない。何も考えたくない。しばらく動けない。その時、丁度魔物が俺を襲いに——。

 

 ——そうなればどれほどよかっただろう。それを願っていた。けど、ここには、俺だけだった。人殺しが一人、いるだけだった。


 人殺しの体は、鮮血で濡れていた。

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