怪異の片鱗
もう大分進んだが、今のところこれといった収穫はない。唯一分かったのは、このダンジョンが明らかにおかしいと言うことだ。というのは、どんなに深くへ進んでも、一切得るものが変わらないということにある。
出てくる魔物の数、種類、強さ。そのどれもが一切変わっていない。普通であれば、魔物はダンジョンが深くなればなるほど強くなる。人が普通来ない様なところが魔物にとって安全で、その分多くの種類の魔物が生息しているからだ。しかし、ここでは、どこまで行っても変わらない。数はいたとしてもせいぜい二、三匹で、何となくだが、出現する頻度すらも下がっている気すらする。確かに、何かがおかしい。そんな異様さが、漠然と浮かんでくる。辺りの空気が冷え込んできた。寒いと言うほどではない、いわば不気味な冷気がここには立ち込めている。一歩、地を踏み締める度、こおんと、足音の一つ一つが延々と反響している。ここは道が広いから特にだ。だから——。
ガサ。
剣の柄を握る。寒いはずなのに、汗がたらりと落ちた。何かいる。それは獣が地を踏み締めるような音ではない。衣服が擦れ合うような、そんな音。つまり、人間がいるのだ。少し安堵したのも束の間、
「……おい。誰かいるのか?」
そう呼び掛けても、聞こえるのは反響した自分の声だけだ。ランタンについた火が揺れた。……おかしい。さっきから、なにかおびただしい違和感を感じる。足を、震わせながらも一歩づつ踏み出す。そうだ、ここは冒険者が何度も通った道だ。何も怖くないじゃないか。荒くなった息を落ち着かせるように、深く息を吸った。その嫌な冷気を全部吸い込む勢いで吸って、はあと息を吐き出して、正面を向く。すると……。
ガサ。
音が聞こえた。それも間違いなく音の所在はさっきよりも近くなっている。心臓の音が煩い。しかも、よく聞けばズリズリと地を引きずるような音さえも聞こえる。間違いない。真っ直ぐ、暗く続いた道を照らす。この先に冒険者が潜んでいるんだ。更に声を大きくして言う。
「……おーい、誰か、いるんだろ?」
ランタンを前に持ちながら音のする方へ意気込んで進む。そして、明かりの元で、その音の正体は静かに暴かれた。
「……」
光に照らされた先には、壁にもたれた一人の男がいた。壁に手を置き、片足をズルズル引きずりながら、男は歩いていた。まだ生きている。しかし……なんだ?様子がおかしい。
そいつはなんだか、虚ろだ。目も、動きも、まるで全ての意識がここにないような、そんな動きをしている。
「お、おい。大丈夫かよ。足も怪我してるみたいだしさ……」
男は俺の呼びかけを無視して歩き続ける。そして俺にぶつかる寸前まで来たかと思えば、その歩みはピタリと止まった。
「……」
何もいえなかった。正面だけを向いているから当然だが、ここで至近距離で目を合わせられると、くるのは心配ではなく恐怖だ。相手の様子を伺い続ける。すると——。
「……」
男は剣を抜いた。
俺は瞬間的に盾を構え、その一撃を受け止める。盾からは木の粉が舞った。そしてその瞬間、俺は男の殺意を明確に理解した。
男は一切の同情も慈悲もなく斬りかかる。そこに人間らしい動きはしていなかった。正面に人がいようと、盾があろうと。なんだったら壁であっても斬りつけているだろう。それほどその攻撃は無機質で、無情に思えた。きっと無差別だろう。だからこそ、殺す。殺さなくてはいけないと、強く思った。
相手の行動を伺う。相変わらず相手は、ただ正面に向かって剣を振り下ろすだけ。その無機質な攻撃は、言ってしまえば単純と言うことだ。剣を振るうその瞬間、すかさず剣を相手の腹に突き刺した。魔物とは、全く違う感覚だ。皮膚が裂け、内臓が潰れるような感触が、手を伝い明確に伝わる。やはり相手も生きていて、同じ人間であることが嫌と言う程わかってしまうのだ。
罪悪感。それを感じるのは後だろう。何故ならまだ、奴は生きている。奴は、もう剣を上空に振りかざしていた。
一旦剣を引き抜き、距離を置く。間一髪のところで攻撃は避け切った。一方相手は、攻撃が外れようと、腹から血がだらだらと落ちようと、顔色を一切変えない。首をゆっくり回して俺を見つけると、血をこぼしながらゆっくり襲いかかってくる。狂気的で、気味が悪い。しかし、恐怖。そんなものは、もう感じない。であれば、今はその生意気な首を切り落とすまで。俺は剣を構え、そう決めた。
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