魔の入り口

 ジャリジャリと地を鳴らしながら歩いていた。日がはるか彼方の海に溶けようとしている。陽光が俺の頬に当たる。陽光の行く末に目を落とすと、橙に染まった砂利道には、男の陰が一つ、見えるだけだった。

 道は遠くへ続いている。遠い水平線が、太陽の色に染まって美しかった。それでも、今は、なんだか世界が酷く小さいものに見えた。それは今までの世界が清く映り過ぎたからだ。一緒に食事を取る人がいて、話す人がいて、苦楽を共にする人が一人でもいるだけで、心は満たされるのに、今ここには誰もいない。一人だ。ずっと一人だった。


 夜が深まってきた。ランタンを付け、不確かな道を進む。前を見ると、孤独にも慣れてきたところで丁度良く、目標はすぐそこに居たようだ。

 テレキア国と隣国のリアナ国の国境線であり、古くから鉱石などの地下資源が採掘されていたオルネア山。ここが今から俺の行くダンジョンだ。このオルネア山も大地震の影響を受け、標高は以前の半分以下となったらしいが、それでも萎縮してしまう程荘厳と言える。俺は、右に携えた剣の柄を握りしめた。こうすれば自然と、気持ちが落ち着く気がするのだ。その状態のまま、ダンジョンの入り口に向かう。入り口付近はぐるっと囲む様に金属製の柵がたてられており、松明が一定幅で置かれている。その柵の正面の扉には二人の門番がいた。

「すまないな、君。冒険者の資格は持っているか?」

門番の一人に話しかけられる。俺は、胸元に光り輝くブローチをランタンで照らした。これは、冒険者資格獲得試験において授けられる、一種の許可証の様な物だ。発行年と名前が彫られている。また、冒険者はこれの着装が必須となる。門番がそれを見て、何やらボードを取り出し、用紙に書き始めた。

「ああ、問題ないな。……しかし、君。なんだ、その……珍しいな」

門番が何かの用紙に書き込む途中、なんの気なしにそう言われた。

「どう言うことです」

「いや、最近何かと物騒なんだ。どこもそうみたいなんだがね、冒険者の帰還率が年々低下しているんだよ。一説には、魔物の凶暴化とかがあるらしい。いや、なに。君の望んだ道だし、危険な職業だから、それもまあ必然かつ周知の事なのかも知れないが……。まあ、とにかく、私が言いたいのは、」


「気をつけろってことだ」


 鋭い目で睨まれた。彼は、まるでそのダンジョンの危険性を全て知っている様な、そんな雰囲気を醸し出していた。厳重な扉は開かれ、とうとうダンジョンの入り口を前にした。待ち遠しかったダンジョンの入り口は、一言で言うならば、禍々しかった。それは風の吹き抜ける音なのか、魔物の鳴き声なのか、低く唸った様な音が微かに聞こえる。何も分からない。だけど、恐れることはない。ランタンは胸元にかけ、剣を引き抜き、俺はダンジョンに消え入った。


 中は、見た目によらず広く、不規則でありながらも、リアナ国に繋がる道はしっかり整備されているようだった。しかし、冒険者はそこを基本的に歩くことはない。歩くのはその外れだ。そこで魔物を狩り、毛皮とか、牙とかを剥ぐ。衣服や薬の材料になるのだ。あとは、何通りも別れる道があるため、迷わない様に曲がる角などには傷をつける。他の者と見分けがつくよう、出来れば自分だけが分かる様な、特別な傷が望ましい。

 そうした冒険者としての基本を振り返りながら、右に左に、左に右にと道を行き、とうとうダンジョンは俺に牙を向いた。一匹の獣が目を光らせ、俺を狙っている。あの襲い方はネガルだろう。猫のような姿をしているが、大きさは二回り程大きい。斑点模様の毛皮が特徴的な魔物だ。毛皮は衣服などに使われ、鋭い牙は装飾品など様々なものに加工される。動きは機敏で、爪の攻撃が主だ。静かに待ち、油断したところを襲いかかり、押さえつけた後、牙で急所を噛む。聞く限りでは恐ろしい魔物だが、常にそいつに警戒しておけば、問題はないと聞く。

 ネガルが動き始めた。勝負は一瞬の隙も許されない。高くジャンプをし、ネガルは左側から爪の攻撃を仕掛けてきた。俺は素早く右手に回避して、その勢いで素早く首根っこを切る……つもりだったが、多少焦ったようだ。爪が服を掠め、剣先は空に弧を描き、そのままバランスを崩し、倒れ込んでしまった。そんな隙も逃さず、好機と言わんばかりにネガルは今度、俺の首を狙いに飛び掛かる。素早く体を起こそうとも……。まずい。その単語だけが、パッと浮かんだ。迷う暇はない。既に立ち直す時間もない。こうなれば、危険でも、やむを得ない。そのままネガルの攻撃を待つ。そして——。


 ぐしゃと、鈍い感覚がした。怯えて瞑った目を開けると、剣先は見事ネガルの口に刺さっていた。しかし、押さえつける攻撃だったため、爪の攻撃は多少なりとも食らっている。だが、まだ浅い方だ。俺はほっと胸を撫で下ろしたのも束の間、次にいつ、何が来るのか分からない。さっさとこの死骸を処理しよう。

 素早く剣を抜き、この魔物から毛皮や牙を剥ぎ取っていたその時、ネガルの身体中から、血と一緒に何やら溢れ出してくる物に気付いた。それは決して血ではない。何故ならそれは、奇妙にも青白く光り輝いていたからだ。


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