第8.5話 非日常の始まり 8.5

 時刻は深夜0時過ぎ。藍王市らんおうしにある、一軒の建物。

 大きさはそこそこ大きく、町から少し離れたところに建っている。

 元々は何かを作っていた工場らしいが、何年も前に倒産して今は廃工場と化している。

 その廃工場の中に3人の人物がいる。


 1人はフード付きのコートを着た男。両腕に包帯を巻いていて、その包帯には赤い染みが出来ている。特に左腕の染みが酷い。また、腹部の方にも殴られたような跡がある。体調の方もあまり良くはないのか、息遣いが荒い。

 残りの2人の内1人は、スーツを着ていて年は20代後半ぐらいだろうか。

 そして彼らと向かい合っているのは、最後の1人。

 年は40代後半程で、こちらもスーツを着ているがどうやら着慣れていないようだ。


「いやいや、すみませんねぇ。わざわざこんな場所まで来て頂いて」


 先に口を開いたのは、男性の方だ。それに対し、もう1人の男性の方は、


「……桐生きりゅう君、すまないと思うのならこんな場所に呼ぶには辞めてくれないか……」

「おや?それはまた何故ですか?」


 桐生と呼ばれた男がそう言うと、もう1人の男性は若干声を荒げながら……


「な、何故って……決まっているだろ……!本来は、なんだぞ?もしこうやって君と会っていることがばれてしまったら……!」


 男性はそう言いながら周りを見ていて、どこか落ち着きがない。

 すると桐生と言う男は、ハハハと笑いながら


「大丈夫ですよ石田いしださん。周りはちゃんと監視させていますから、何かあればすぐに分かりますよ」

「な、なら良いのだが……」


 桐生がそう言うと、石田と呼ばれた男は少し落ち着きを取り戻す。


「それで石田さん。彼は大丈夫なんですか?」


 桐生がそう言って見たのは、フード付きのコートを着ている男だ。すると石田は問題ないと言いながら、


「止血剤を投与したから出血は止まるはずだ。それに自然治癒力を向上させる薬も投与したから、怪我も直ぐに治る……ってこいつの事は今はどうでもいい」


 石川は着慣れていないスーツに違和感を感じつつ、桐生の方を見て言う。


「ここへ呼んだ理由は何だ?実験体の心配と言うことではないだろう?」


 石田の言葉に桐生は、もちろんですよと言う。


「実は幹部の方から伝言を預かっていましてね」

「か、幹部から……?」

「ええそうです。今回のあなたとの取引を検討してくださった方ですね」


 そう言うと桐生は石田の方を見る。


「今回あなたは、こちらにある物を提供してきた。あなたが研究をして作った薬……一種の増強剤をね」


 桐生はスーツのポケットからある物を取り出す。細い筒状の物で中には無色の液体が入っている。そしてそれを石田に見せるようにして持つ。


「そしてその代わりに、こちらにある事を要求してきた。こちら側の仲間にして欲しいと。そうですよね、石田さん?」

「そ、そうだ。それが一体何だというんだ……!」


 石田は若干声を上げるが、それと同時に何処か不安な様子も見せる。

 そんな石田に桐生は……


「実はですね、今回の取引は無かったことにするとの事です」

「…………え?……」


 思わず変な声を出してしまう石田。それに対し桐生は、


「いやぁですからね、今回の取引は無かったことに……」

「ちょ、ちょっと待ってくれ!な、何故そうなるんだ……!?」


 石田は桐生に理由を聞くが、桐生はう~ん……という感じになり、


「そう言われましてもねぇ。決めたのは私ではなくて幹部の方ですから。なので理由は分からないですね。……まぁ、何となく予想はつきますけど」


 桐生は、フフッと笑いながら石田に言う。


「石田さん、こちらはあなたにある条件を出しましたよね。覚えていますか?」

「うっ……あ、ああ……覚えている。私の作った薬の効果を確かめたいと」

「ええそうです。だからあなたは、実験体を4体用意した。しかし……」


 すると、桐生はスーツのポケットから、1枚の紙を取り出す。桐生はそれを見て、


「1体目と2体目は薬を投与して直ぐに精神が崩壊した為に処分。3体目は精神は保てていたが、戦闘能力が何故か低下して使い物にならず、その後処分」

「……ああ、そうだ。だから4体目は、戦闘能力が上がるように薬を再調整して投与した。そしてうまくいっていたではないか……!」

「ですが、今はこんな状態ですよ?」


 桐生は、コートの男……実験体を見る。先程と比べると呼吸は少し落ち着いてはいるが、腕の傷や腹部の跡はまだ治っていないみたいだ。


「両腕の傷は、軍所属の能力者によるものですが、それ以外……腹部あたりですね。その部分は、別の能力者によるもの。しかも、覚醒したばかりの能力者にね」

「それは……」

「まあ結局の所、あなたは自分の作りだした薬の有用性を証明できていない。だから幹部の方は取引を無かったことにした……理由はこんな感じですかね?」


 桐生は、そう言って石田の方を見る。石田は落ち着きがないのと同時に、動揺をしている様だ。


(ぐう……、確かに奴の言う通りなのかもしれん……)


 自分の方から取引を持ち掛けておいて、提供した物の有用性を証明できていない。普通であれば、取引を断られて当然だ。


(くそっ!、このままではまずい。寝返るチャンスをここで手放すわけには……!)


 石田は心の中で叫ぶ。

 ここで逃したら自分は確実に今の立場を失う。無論、それだけでは終わらない訳だが……。

 そんな石田を見て桐生は、ある事を言ってくる。


「石田さん、もう1回だけチャンス……欲しいですか?」


 桐生がそう言うと、石田はえっ?という顔になる。桐生は続けて言う。


「実は、幹部の方からの伝言はもう1つあってですね。あなたが、まだやるというのであれば、あと一回だけチャンスをやる。それで薬の効果を証明できれば、要求を受け入れても良い……との事です」


 桐生の言葉に石田は少し呆然となるが……


「そ、それは本当なのか!?」


 と、どこか縋るような声で桐生に聞き返す。


「本当ですよ。石田さんがまだやる気があるのならですが」

「も、勿論だ!次こそは必ず証明してやろうじゃないか!」


 そう言うと石田は入り口の扉の方へ向かって行く。


「おや?石田さんお帰りですか?」


 桐生がそう言うと石田は、そうだと言って振り向く。


「研究室に帰って薬の再調整をしないといけないからな。それにこれ以上、研究室を空けていると怪しまれる」


 石田は扉を開けて外に出ようとするが、何かに気付いたようにこちらを見る。


「いつまでそこで休んでいるんだ、戻るぞ!」


 石田がコートの男……実験体に向かって言うと、男はゆっくりと立ち上がり扉の方へ歩いていく。そして2人は廃工場から出ていった。

 残ったのは桐生だけだ。


「いやぁ、しかし面白いですね石田さんは。まさかあそこまで動揺するとは」


 桐生は、フフッと笑う。


「あと一回だけチャンスをやるだなんて……そんな伝言、実際にはなかったんですけどね」


 自分が幹部から言われた伝言は、取引を白紙するという事だけで、チャンスを与えるなんて事は言われていない。

 では何故桐生は石田に、チャンス与えるなどと言ったのか。それは……


「とは言え、石田さんがどこまでやってくれるのかを見たいですしねぇ。取引が成功しようが失敗しようが、結果がどうなるかなんて最初から分かってますし、だったらちょっとくらいは……ね」


 ただの興味本位。石田がどう行動しようが結果は変わらない。だったらもう少しだけ彼の足搔く姿を見てもいいんじゃないか。それが桐生が石田に無いはずのチャンスを与えた理由だ。


 その後、桐生は腕時計で時間を確認し……


「さて、それでは私も戻りましょうか」


 そう言うと桐生は、廃工場を後にしていった。

















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