第9話 月下の見送り

「アズール様、最近機嫌が良いですね!」


ルナはアズールの部屋に入ってくるなり、後ろから大きな声で話しかけた。


「びっくりさせるな。ノックもしないで猫みたいに入ってきて…、まったく。」


アズールは驚きながらも、穏やかにルナをたしなめるだけであった。頬を少し赤らめながら。


「仕事は順調ですか?」


「あぁ、おかげさまで順調だ。新しい取引先も見つかったんだ。」


「そうですか。それは良かったです。仕事は良く分からないですが、元気そうで良かったです。」


「ありがとう。」


開けられた窓から爽やかな風が入り、部屋を吹き抜けていった。



「ふふ。今日も晴れてますねぇ。…日向ぼっこ日和です。」


「ルナ、お前は仕事をしてくれ…。」


熟年夫婦のような目的もない会話。

穏やかな陽気が部屋を包んでいる。



「…そう、私は何かをしに来たはずだったなぁ…。」


ルナは、部屋の中を見回す。

あっちへ行ったり、こっちへ行ったり部屋の中をくるくる歩き回る。


「んー。何しに来たんだっけ?」


「猫じゃないんだから。」

アズールも呆れ顔を浮かべる。



「あ、そうだ!昼食の準備出来ましたよ!」

歩き回るのをやめて、アズールの方を向き顔を引きしめて伝える。


「ああ、そうか、もうそんな時間か。伝言ありがとう。」


「なんと、今日は私が作った料理も入ってるんですよ!」

ルナは不敵な笑みを浮かべる。



「おぉ!それはすごい!料理も作れるようになって来たんだな。何を作ってくれたんだ?」



「ゆで卵です!」



ドヤ顔を決めた。



「…うん?ゆで卵?…料理と言えば料理なのか?しかしそんなドヤ顔で言うことでも無いぞ…。」


「アズール様!料理が出来るようになったので、褒めてください!」


「…んー。そうだったな。何か出来るようになった時には褒める約束だったな。偉いぞルナ。」


アズールはルナの頭を優しく撫でた。

飼い猫に接するよりも愛おしそうに柔らかな手つきであった。


「えへへへ。何かリクエストがあれば聞きますよ!私練習します!」


「ルナの腕前から出来そうなものを考えないとだな…。難しい…。」


アズールは一瞬眉をしかめたが、いいことを思いついたと笑顔に戻った。


「そうだな。団子が食べたい。月を見上げながら食べれるような、お月見団子。」



「かしこまりました!アズール様が仕事から帰ってくるまでに作っておきます!」



★ ★ ★ ★




幸せな時間は、長く続かないものであった。



ルナが台所で団子を作っている最中、医者からの連絡が入った。



アズールは、亡くなったとの事であった。




急な出来事に気が動転して、何をどうしたかは覚えていない。

連絡があった後、ひたすら泣きじゃくっていたと、数日後メイド長から聞いた。



アズールの死に顔すら見られないまま、アズールの死後の処理は粛々と進められていった。



アズールは、唯一血の繋がった家族である父も亡くしていたため、身寄りが無かった。

生前に遺言を残しており、自分の遺灰は月に埋葬して欲しいとの事であった。

アズールの財力を持ってすれば、叶わない夢ではなかった。

生前に諸々の契約を済ませていたようで、火葬の後すぐに月へ遺灰を打ち上げる準備が進められた。




★ ★ ★ ★




誰も居なくなった部屋。

仕事をしてるアズールの背中にちょっかいを出して、いつも怒られていた。この部屋にはあの背中はもう無い。



「…内緒にしてましたけど、料理もいっぱい練習してたんですよ…。ゆで卵以外にも、ちゃんと作れるようになったんです…。もう少し上手くできるようになったら、食べて貰おうと思ってたんです…。心から褒めてもらいたくて…。」



誰もいない部屋には、涙をすする音だけが響く。




「…ルナ、ずっと部屋にいると気が滅入るよ…。ちょっと外にでも出て風に当たって来な。」


メイド長が優しくルナの肩を抱いて、バルコニーへと連れ出す。


外は暗闇であった。

空は晴れているが、いつもはあるはずの月は見えない。ちょうど新月の日であった。



「…今日は月が見えないんですね…。そこにあるはずの月が無い…。…っ…悲しいですっ…。これから数日は、何も無い空を見上げるんですね。涙が溢れ出てきて止まらないですよ…、アズール様のいじわる…。…せめて月を見せてくださいよ…。…うっ…うっ…。アズール様のバカ………。」



バルコニーで一人泣く夜が続いた。



ブランも姿を見せなくなっていた。

猫は死期が近くなると姿を隠すといわれている。アズールの死から、ブランの死も連想された。



「…ブランちゃんもいなくなってしまうのですか…。…私を一人にしないでください…。」



静寂の夜の中、月の無い暗い夜に涙をすする音だけが聞こえる。




★ ★ ★ ★



それから半月程たった頃、メイドたちは久しぶりに正装をしてアズールの屋敷に集まっていた。アズールが亡くなってからルナ一人だけがアズールの屋敷に住み着いていた。


よく晴れた夕方。メイド達は集まり、各自懐かしみながら久しぶりのメイドの仕事をしていた。

そうして過ごすうちに、綺麗な夕日も沈んで行った。



「気持ちの切り替えは済んだかい?」


メイド長は、ルナへ向かって問いかける。



「…正直なところ、あまり気持ちの整理はついてないです…。」


ルナはうなだれながら答える。



「今夜はアズール様が月へ旅立つ日だ。月に遺灰を撒くなんて、馬鹿げたことするやね。…ルナ、お前は思い出の場所、バルコニーの特等席で見ておいで。」



「…はい。」


気持ちは、まだ沈んだまま浮かび上がってこない。沈んだ気持ちは、一生沈んだままなのだろうだと思った。

階段を上がる足取りはとても重い。

アズールとの最後の別れと思うだけで、また涙が込み上げてくる。


涙を堪えながらバルコニーへ上がり、遠くに昇ってくる満月を眺めた。



★ ★ ★ ★ ★



満月は徐々に高度を上げ、誇らしげに青く輝いていた。ちょうどアズールの瞳の色のように綺麗な青色をしていた。



「…こうして満月を見上げるとアズール様と過ごした日々が思い出されます。お父様が亡くなった時もこうして一緒に月を見上げましたね。…月が見えなかったらロケットで飛んでいったらいい、なんて言ったりしながら…。」



ルナの目からは、静かに涙が流れて落ちていた。



「行ってらっしゃいませ。…まったく、本当に月に行ってしまうなんてどっちがロマンチストなんですか…。…アズール様……。」




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