3 オネエさんとお姉さん

「だれか呼んだぁ?」

「はい! はい! あたし、呼びました! 写真撮ってもいいですか!」

「んふふ。もちろん。綺麗に撮ってねぇ」


 ミサキは半端な裏声に無駄にしなを作ったポーズの彼を何枚か撮って、終いにツーショットで指でハートなんか作っている。

 私は呆気にとられたまま、一部始終を見ているだけだった。お店では、そんな素振りは微塵も感じなかった。

 あちらも私に気付いているのかいないのか、特に視線が合うこともない。気づかれて話しかけられても、私もどうしていいのかわからないから、根が張ったように動けなかった。


「ゆめっちも撮ろう〜?」


 ミサキにこいこいと手を振られて、ますます動けなくなる。彼と視線が僅かだけ交差して、すぐに微妙に逸らされる。


「んまぁ! 美しすぎるって罪ねぇ。眩しすぎて近づけないみたい。いいのよいいのよ。解るわぁ。いつでもいいのよ。あなたの準備ができた時にいらっしゃい」


 ん〜、っま! と胃もたれを起こしそうな投げキッスをして、彼は人の波に紛れていった。


「やぁだ、最後のはいらないよねぇ。キョウレツぅ!!」


 ケタケタと笑いながら、ミサキは宙を掴んで地面に投げ捨てる仕草をした。

 私に飛ばしたものだったのだろうか。彼は私を見ていなかった。だから、私もなんとなくわかってしまった。彼も私を覚えていて、最後まで気付かぬふりをしたのだと。


「ゆめっち? 大丈夫? あれ? ダメな感じ? ゆめっちは、綺麗なオネエとかなら、好きそうだよね〜。イロモノはダメかぁ」

「えっ。そういう、わけじゃ……ちょっと、インパクト強すぎてびっくりしちゃって……」

「あ、は! 確かにぃ! なかなかいないよねぇ! だから厄除けになるんだって! まあ、でも、ウチらもお店にまで行く勇気はないもんなぁ」

「……お店? オカマバーとか?」

「バーだったらウチらいけないじゃん! なんか、ガラクタのお店らしいよ。変なお面とか、呪われそうな人形とか……照明も暗くて不気味だから、化け物ショップって呼んでる人もいる」


 もう、何と相槌を打ったのか定かじゃない。

 私の見た店や彼のイメージと、彼女たちの噂のイメージが違いすぎて情報を引き出せなかったようだ。彼女たちが私に抱くイメージもまた、どこか自分と乖離している。

 ……それはきっと、私がそういう風にしか見せていないから、なのだろうけど。


「わかったわかった。ポテトの塩分でお祓いしよっ!」

「それ、お祓いになる?」

「なるなる!」


 背中を押されて、笑顔は出たけれど、心のどこかにポツンと異物が挟まった気がした。


 *


「あら。どこか行くの?」

「さ、散歩!」


 お母さんに見咎められて、私はとってつけた言い訳をした。

 休日にちょっと早起きをしてクッキーなど焼いて、昼も近いというのに出掛けようとすれば、そりゃ訝しがられるのも当然というものだ。すぐに帰るつもりなのは間違いないので、嘘ではない。

 そそくさと家を出て、街の方へと足を急がせる。

 友人たちの休日はだいたい午後から活動を開始するから、この時間ならいつものメンバーに見られることはないはずだった。


 ミサキ曰く、『化け物ショップ』の前まで来て、少しだけ怯む。周囲には人気ひとけがなく、ドアは開いている。深呼吸をひとつして意を決すると、店の中へと突撃した。

 一緒に風が舞い込んで、ウィンドチャイムが綺麗な音を立てる。店内にある照明類が、一瞬全部明るく点ったような気がした。


「あらあら? いらっしゃぁい?」


 奥から響く半分裏返った声は、ミサキと聞いたものに間違いはない。今日は羽根つきの真っ赤な女優帽をかぶって、スパンコールでギラギラのぴったりとしたロングドレスを着ている。

 怯むな! 怯むな、私!

 何で高ぶっているのかわからない心臓を宥めながら、私はまっすぐ彼に向かっていった。

 透明の袋で中身が見えるようにラッピングしたクッキーを差し出して、小首を傾げる、塗りたくっただけの化粧顔を見上げた。


「先日、ご迷惑をおかけしたので、ほんとに、ほんの、お詫びの気持ちです」

「あら……ふぅん。そう、なの」


 どこを見たのか、ちらりと横に視線を流して、彼はニヤニヤと口元を歪めた。


「ありがと。いただいておくわ。それだけ?」

「えっと、その……し、失礼でなければ、わ、私がメイクし直しても……いいですか」


 下げてきたトートバッグを前に抱え直すと、彼は目を真ん丸に見開いて笑い出した。


「……これはねぇ、下手なんじゃないんだけど……どうしようかしら。んふ。ねえ、どうしようかしら。あら。それはもう遅いと思うわ。だって彼女、興味津々だもの。どうして? ねえ、あなたも、どうして?」


 楽しそうに独り芝居するような調子で喋る彼は、少し怖くもあったけれど、その不思議な色の瞳は知的な輝きを失っていなかった。んふふ、ともう一度含み笑いを漏らして、彼は頬に手を当てたまま訊いた。


「あなた、お名前は?」

「え? えーと……結芽ゆめです……」

「そう! ゆめちゃん! あらあら! いいわ。面白そうだからメイクさせてあげる」


 バタン! と、勢いよくドアが閉まって、私は肩を跳ね上げた。振り向けば、出口が完全に閉まっている。

 風……だよね?


「こっちにいらっしゃい。ああ、大丈夫よ。取って食ったりしないわ……今日のところは、ね」


 反対の目も半分つぶっちゃうような不器用なウィンクをして、彼はカウンターの内側に入って私を手招きした。椅子と物を置ける台がある。そういうことなのだろう。

 帽子を脱いで椅子に腰かけた彼に近づいて、私は荷物を一式取り出した。


「失礼します」


 クレンジングシートで今の化粧を落としていく。目元の紫がないだけで、ずいぶんまともに見える。ぐるぐる丸いチークも落とせば、少し疲れたおじさんの顔が出てきて、疲れを隠すためなのかと頭の片隅で思った。口紅を落とすのに唇に触れた時には、彼が目を開けて困ったように眉尻を下げた。何か発せられようとしたその口を塞ぐように、わざと強めに拭いてやる。意図は伝わったのか、おじさんは何も言わなかった。

 コンシーラーで顔色調整。ベースを塗って、シャドウの色は目元だけ濃く。アイラインは長めに引いて、ビューラーはしっかりと。眉はハサミで少し整えて、チークは抑えめに……最後にリップ……

 そこまできて、私はようやく異変に気が付いた。

 色を乗せようとしている唇の形が、先ほどまでと違う?

 え? と、一歩引いて、そのまま私は動けなくなってしまった。

 椅子に座って、にやにや笑っているスパンコールドレスを着たその人は、カールした豊かな黒髪を持つ女優張りの美人なお姉さん、だった。




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