第2話 チープなあたしに、だから…
光がまぶたに当り、そのまぶしさに目が覚める。
鳥のさえずり、草木が風に揺れる音、水が流れる音。すべてがミユウをさわやかな気分にしてくれる。
こんな清々しい朝を迎えたのは彼にとってはいつぶりだろうか。
「うぅ~ってあれ?」
思いっきり背伸びをしようとしたが、腕が上がらない。胸より下を何かで縛られているのだ。
背中にはチクチクとした太い何かがある。
起きたばかりでボーっとしている頭で、木に縄で体を縛られているという事実に彼は気が付いた。
何気なく下を向き、体の状態を確認する。
しかし、自身の大きく膨らんだ胸が遮り、縄の姿を確認できない。
「ん~。なんでこんなことになったんだっけ?」
まだ頭がボーっとして十分に働かない。
「…………あれ?」
時間が経つと、ミユウは体を縛られていること以外に大きな違和感があることに気付いた。
彼の今までの人生で見たことがなかった風景。確認のため、もう一度目線を下に向ける。
相も変わらず大きく膨らんだ胸が視界を独占する。
「……って、なにこれ?!」
男であるミユウに女性らしく膨らんだ胸。
こんなにわかりやすい違いに気づかなかった自分自身に不甲斐なさを感じる。
「も、もしかして!」
太ももをすりあわせ、下半身に意識を集中した。男の股にあるべきシンボルがなかった。
ミユウの顔が青く染まっていく。
「なんて、屈辱……」
「目が覚めましたか?」
池がある方から鈴の鳴るような声がする。
声の主は、昨日の夜に出会ったあの少女だった。
気絶する前に見たあの冷ややかな表情は消え、出会ったときの優しい愛に満ちた笑顔でミユウに近づく。
「朝早くからそんな大きな声を出して…。元気なことはいいことですが、はしたないですよ。何かありましたか?」
少女はミユウの前にしゃがみ込み、とぼけた表情で小首をかしげながら問いかけた。
「何かありましたかって、どう見てもおかしいでしょ!ないものがあって、あるものがなくて……。あれ?それに声も高くなってる!これじゃ、まるで女の子みたいじゃない!!」
思考は一層混乱する。
「なにを言っているのですか?“女の子みたい”じゃなくて、“女の子そのもの”ですよ?」
「あたしは男なの!それがいきなりこんな姿にされ……あたし?なの?ちが、え?口調もおかしなことになってるよ~」
その時、気絶する前に行われていたある儀式について思い出す。
ミユウの左の足の裏に赤い液体で何かを描いていた。
思い出しただけでも、あのくすぐったさがミユウの左足の裏によみがえる。
きっとあれが原因だと確信した。
「もしかして、あたしの左の足の裏に描いた何かが原因なの?」
「はいっ!」
「そんなあっさり……」
ミユウは笑顔の少女に腹ただしくは思ったが、気持ちを落ち着け問い正す。
「ねぇ、なんでこんなことしたの?昨日、"あなたのことを忘れた報い"って言ってたけど、これがその報いって奴なの?」
「う~ん。もともと私が思い描いたものとは少し違いますけど、まあ結果的にはそうなりますかね」
「それだけじゃわかんないよ。ちゃんとわかるように説明して」
「はいはい。今から説明しますよ」
少女は拗ねたように返事をし、説明を始めた。
「まずもう一度確認しますが、本当に私のことを覚えていませんか?」
「まあ、どうしても思い出せないよ」
「やはりそうですか。それは残念です……」
その答えに少女は一瞬しょぼんとした。
「まずは自己紹介をしましょう。私の名は“アストリア・ナルトリフ”、種族は“魔術族”です」
「魔術族って、あの?」
魔術族とは、その名の通り魔術を使うことに長けている種族のことで、その存在は世界的に有名だ。
しかし、ミユウたち不殺族と同じように世界でもその数が少ない希少な存在となっている。
「そういえば、あなたはあたしと知り合いみたいなこと言ってたけど、あたし魔術族の知り合いなんていなかったと思うのだけど……」
「今から12年前ぐらいだったでしょうか?私たちの村の代表者があなたの村に訪れたことがあるのです。その時に私も同行していて、ミユウさんと出会いました」
「へえ。うちの村に外からほとんど人は来ないのに。なんで魔術族の人たちがうちの村に来たの?」
「私たちの村とあなたたちの村である重大な決め事をするためです」
「重大な決め事?」
アストリアはひとつ咳払いをすると、恥ずかしそうに頬を赤らめる
「それは魔術族の血と不殺族の血を交えるため、その、つまり、“私のミユウさんの婚約”についてです」
「えっ?」
ミユウにとっては衝撃の真実だった。
「初めて聞いたけど、あなたがあたしの許嫁?」
「はい。魔術族も不殺族もお互い繁殖能力が弱い種族のため多くの子孫を残せず、その能力も衰えてきました。そこで、どうせなら高い魔術能力をもつ魔術族と、殺されても死なない強靭な体をもつ不殺族の両方の能力を持った最強の子孫を残すという結論になり、互いに交わることにしたのです。そしてアストリア・ナルトリフとミユウ・ハイストロの婚約が決まりました」
(こんな大事なことをこんな場所で聞く羽目になるとは夢にも思わなかった)
「そのことが決まった後も私は両親とともにあなたの村に伺い、一緒に遊んだのですよ?まさか忘れられるとは思ってもみませんでしたけど……」
「なんか、本当にごめんなさい……」
ミユウは過去の記憶がほとんど消えているせいで、アストリアのことをどうしても思い出せない。
それがとてももどかしく、彼女に対して罪悪感をもった。
ここでミユウの中に大きな疑問が生じる。
「元々ミユウさんの足の裏に描いた魔術印には“女の子に変える”という効果はありませんでした」
「じゃあ、なんで女の子になったの?」
「私が魔術印を描いている最中にずっと暴れるから余計な一画を描いてしまったのですよ。だから、あなたにも責任があるといってもいいですね」
「誰だって足の裏を筆でなぞられたら、くすぐったくて暴れだすでしょ!」
「それもそうですけど……」
再びアストリアは拗ねて頬を膨らませる。
しかし、まだ疑問は残っている。
「それじゃあ、左の足の裏の魔術印の本来の効果って何なの?」
そうミユウが尋ねると、アストリアの表情が変わる。
それは何かいたずらを思いついた子供のような意地悪そうににやつく。
「それはですね……」
アストリアは体を前に倒して、ミユウに自分の顔を近づける。そして、両手を前に出して、ミユウの脇の間にその小さな手を突っ込む。
「実際に体験すればわかりますよ」
「えっ?」
すると、アストリアの細い指がミユウの脇の下を高速でくすぐり始めた。
「あは、あはははははは!な、何これーー!」
ミユウの全身をくすぐったさが襲う。
ただの“くすぐったさ”ではない。彼女が今までに感じたことのない強烈なくすぐったさである。
初体験の苦しい感覚にいままで出したことのない断末魔に近い笑い声が出る。
「いやあはははははははは!や、やめてーーーーーーー!あはははははは!」
ミユウが笑い苦しんでいる間もアストリアは指を止めることはない。むしろ苦しみ悶えながら笑う彼女の表情に興奮するように頬を赤くしていた。
「こちょこちょこちょこちょ~」
連続で早く口にする彼女のかわいらしい声が、今までに聞いたどの拷問道具の鈍い音より恐ろしい。
くすぐり始めてから数分後、アストリアは指の動きを止め、ミユウの脇からそっと手を取りだす。
「はあ、はあ」
興奮した自分を冷静にするために荒い呼吸を整えるアストリア。
ミユウは笑い続けた苦しみと、初めての感覚にあたしの体がついていかず荒い呼吸を整える余裕がなかった。
息を整えたアストリアは明るい表情でこちらを見つめる。
目の前に絶対にかなわない一人の天敵がいる。
ミユウはくすぐられた数分間でそれを実感した。
「これがあなたの足の裏の魔術印の効果です。簡単に説明しますと“対象者のくすぐったい感覚を十倍にする”という効果です。ご理解いただけましたか?」
「はあ、はあ、理解、しました……」
ミユウは荒い息のまま答える。当分の間は心身ともに立ち直りそうにない。
アストリアは乱れたミユウの髪を整えながら説明を続ける。
「あなたはくすぐられるほどに体中の力がなくなっていきます。そして、ある一定時間以上くすぐられると、全身の生命維持活動ができなくなるほど力が消失し、結果死んでしまいます。大体1日間といったところですかね」
ミユウにとって本日2度目の驚愕の事実。一気に血の気が引いていくのを彼女自身感じた。
「ちょっと待って!いくら魔術印があるからといっても、くすぐりなんかで人は死なないでしょ!」
「本来はそうですが、魔術は種族の特徴を変更するだけの強い力なのです。ちなみに、くすぐりが原因で死んでしまわれた場合、蘇ることはできませんので、その点は注意してください」
「え、え~~」
大きなショックだ。
体が女体化したこともだが、“くすぐり”という致命的な弱点が付与されてしまったことが何より衝撃を受けた。
アストリアはハッと何かを思い出したかのように説明をつづけた。
「そうです。まだ大事なことを伝えていませんでした」
「まだあるの?」
これ以上の真実を受け入れる余裕はミユウにはない。
「先ほどお伝えしたようにほとんどの部分はくすぐったさが本来の十倍です。しかし、例外の場所もあります」
アストリアはミユウの左足を持ち上げ、自身の左脇に抱える。
「その代表が、この魔術印が描かれた部分です。ここをこうやってくすぐるとですね……」
アストリアの右手があたしの左の足の裏の前に移動する。
「ちょっと待って……」
ミユウの制止をよそに、再びアストリアの細い指が左の足の裏をくすぐり始めた。
「いやあああああああ!」
また、くすぐったさが体を襲う。
それは先ほどの脇の下をくすぐられたとき以上のくすぐったさだ。
「あはははははははははははは!」
笑い声以外に声を出すことはできない。ミユウの頭の中はもう真っ白になっていた。
数分後、アストリアのくすぐりの手がやっと止まる。
笑い続けた余韻で、ミユウの顔の筋肉がまだ笑い続けていた。
アストリアは脇に抱えていたミユウの左足を丁寧に地面に置いて、体をミユウの正面に振り返る。
「このように魔術印のところをくすぐられるとほかの部分のニ倍のくすぐったさが襲ってくるのです。その分、体力の消費もニ倍になります。そのほかにも例外がありますが、それはおいおい…」
“くすぐられれば体力が消費されていく”という事実を、ミユウは身をもって完璧に理解した。
本当に一日間くすぐられたら死んでしまうだろう。
アストリアは立ち上がり、思いっきり背伸びをする。まるで一仕事終えたかのような達成感に満ちた表情。
すると彼女は足をそろえて両手を体の前で重ねる。上品なお嬢様のような佇まいでミユウの前に立った。
そして、彼女に向けて深々とお辞儀をした。
「不束な私ですが、今後ともよろしくお願いいたします」
アストリアの美しいたたずまいに、ミユウは一瞬さっきまでの地獄を忘れて彼女に魅了されてしまった。
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アストリアが「朝食の準備をする」と言い残し、森の中に消えていってから三十分ぐらい過ぎた。
その間、ミユウは木に縛られたまま、しばらくボーっとしていた。
そのでミユウはあることに気づく。
「あれ?今、逃げ出せるチャンスじゃない?」
アストリアがいない今なら逃げ出させる。
このまま彼女と一緒にいれば、いずれ笑い殺されるに違いない。
何度か試したが、今の体力があれば体を縛る縄も解けそうだ。
もう少し遠くへ逃げていくこともできるぐらいに体力も戻っている。
このチャンスを逃すわけにはいかなかった。
そう決まれば実行あるのみ。
ミユウは体中の力を両腕に集中する。それほど力を入れていないが、ミユウを縛っていた縄がはじけ飛ぶ。
「どうやら女に変わっても怪力はそのまま残っているみたいね」
ゆっくり立ち上がり、少し体をほぐす。
「よ~し。それじゃさっさと逃げましょうか」
アストリアが消えていった方向とは反対側の森の中へ飛び込む。
その瞬間、どさっと上から何が落ちてきた。
その大きな物体はミユウの背中に覆いかぶさると同時に両手両足首に巻き付く。
怪力のある不殺族のミユウがどれだけ力を入れてもほどくことができないどころか、立ち上がることもできない。確実に彼女の倍の力を持っている。
その物体はミユウの体を十分に覆うほどの大きさがあった。
その姿を例えるなら、分厚い羽毛のシーツ。とても柔らかい。それでいて発達した筋肉の感覚もある。何かの生物らしい。
ミユウがその謎の生物と必死に格闘を続けていると、背後から人の気配を感じた。
誰かが近づいてくる。
背筋を凍らす恐怖感で近づく人物、一瞬で誰なのか理解することができた。
「こうなるとわかっていましたよ。私から逃げ出すなんてひどい方ですね、ミユウさんは」
「ま、まさか……」
恐る恐る頭をその声のする方へ目線を向ける。
そこには果物をいっぱいに乗せたかごを両手で抱えたアストリアの姿があった。
「そういえばまだ話してなかったですね。実は魔術印は足の裏以外にもう一つ背中にあるのです」
アストリアの氷のような声がミユウの体に突き刺さる。
彼女はかごを池のほとりに置いてからミユウの近くに近づき、目の前にしゃがみ込んだ。
彼女の透き通った赤い瞳はこれまた氷のように冷たい。
「背中の魔術印はある魔獣を召喚する召喚印です。その魔獣の名は“ティーク”、別名“拷問蛇”と呼ばれています」
「ご、拷問蛇?!」
その別名がこの魔獣の恐ろしさを物語っている。
「ティークさんは召喚印を描いた者に忠実に従い、召喚印を描かれた者を苦しめる魔獣です。つまり、私に代わって、ミユウさんを拷問してくれるかわいい私のペットなのですよ」
アストリアはミユウの耳元で囁くように説明をつづる。
「ティークさんはとてもおりこうさんなのですよ。いろんな拷問ができますが、その中でもミユウさんが最も嫌がる拷問が特に得意なのです。うふふ。もうおわかりですよね?」
この後の恐ろしい展開がミユウに想像できた。
「ご、ごめんなさい。ゆ、許して。も、もう逃げたり、し、しないから…」
今出せる弱々しい声で許しを請う。
アストリアは顎に人差し指を当て、少し考える表情を見せた。そして微笑みながら答える。
「だ~め!もう私から逃げ出そうなんて考えられないように、ミユウさんの体に恐怖をしみこませます。すべては私とあなたの今後のためですから。では、ティークさん、あとはよろしくお願いしま〜す」
そういうと、アストリアは立ち上がり、かごを置いた場所に去っていく。
「あわわわわ…」
恐怖で震えるミユウの体をティークはしっかり拘束する。
ミユウは言葉が通じるかわからないこの魔獣にダメもとで懇願する。
「た、助けて。お願いだから。ね?ね?なんでも言うこと聞くから」
しかし、その声は届くことなく、拷問が開始された。
彼女の体に接している筋肉の部分がまるで人間の指のように動き、全身を容赦なくくすぐる。
どれだけもがこうとしても手足の拘束がそれを許さない。
「あーははははははははは!やーめーてーーーー!死んじゃ、あははははははは!たっ、たすけてーーーーーー!」
その後、二時間くすぐり地獄は続いた。
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