第3話 新たな旅立ち、しかし…
ミユウが体を動かせるようになったのは、くすぐり地獄終了から1時間経ってからだ。
それでもやっと動かせるくらいで歩かるまでにはもう少し時間がかかる。
さっきまで体を拘束し、くすぐり続けていた拷問蛇ことティークは消えている。
しかし、肌にはその感触が残っていた。
何百もの指に大胆かつ繊細にくすぐられたあの不思議な感覚を当分の間は忘れたくても忘れられない。
ミユウは体を震わせ、四つん這いになりながら池のほうにゆっくり移動する。
すると池のほとりにはアストリアがいた。手を後ろで組み、池の向こうを眺めている。
腰まで伸びたつややかな黄色の髪が風にたなびく後ろ姿は、本来なら見惚れるべきなのだろう。しかし、心身ともに疲労したミユウにはそこまでの余裕がない。
彼女の気配に気づいたのか、アストリアは振り向いて目の前にしゃがみ込む。
その時のアストリアの表情は優しい笑顔だった。
しかし、もうその笑顔にだまされない!
「もう終わりましたか?お疲れ様です」
(まるで人ごとのようにいってるけど、あなたがやらせたんでしょうが!)
そう抗議しようと思ったが、先ほどのくすぐり地獄の恐怖がそれをあきらめさせた。
なによりそこまでの力はない。
せめての抵抗として、アストリアを睨みつけてやった。
「でも、これで私から逃げようなんて思わなくなりましたよね?」
認めたくないが、アストリアのいう通りだ。
あれほどの責めを受けた後に逃げようと考えられるほどミユウの精神力は強くない。
しかし、「はい、そうです」と素直に認めるのはしゃくに思い、アストリアから目線をそらして鼻を鳴らす。
「そうですか。まだ理解できませんか。もう少しお仕置きが必要みたいですね…」
その言葉を聞いた瞬間、ミユウの背筋が凍る。
ゆっくりアストリアのほうに目線を戻すと、さっきより近い距離で彼女が笑っていた。
「ティークさーん、おねが…」
「わかりました!もう絶対に逃げません!誓います‼」
ミユウ自身も驚くくらいの大きく、はっきりとした声で絶対服従宣言を捧げてしまった。
それに満足したアストリアは2回頷く。
「わかっていただけたのであれば、いいのです。私だってミユウさんの苦しむ顔なんて見たくないのですから」
(絶対嘘だ!)
自分が笑い苦しむ姿をアストリアは興奮するような笑顔で眺めていたことをミユウは忘れてはいない。むしろ忘れられない。
その愛らしい表面の奥には触れてはいけない深い闇があると、出会って一日もたたない内に理解している。
もちろん、そんな指摘をできるわけもなく、ミユウにはアストリアの言葉をただ受け止めることしかできない。
「では、少し遅い朝ごはんにしましょうか?そこの池で顔を洗ってくださいね」
「はーーい」
ミユウは自分の恐怖心を隠すように、あえて仲のいい母親にするように明るい返事をした。
心なしかさっきより強く震える自身の体を酷使し、やっと池にたどり着いた。
そして、顔を洗おうと池に目を向ける。
その時、一人の人影が映っていた。
「こ、これは…」
そこにはさっき見たみすぼらしい男の姿はなく、黒いぼさぼさの長髪の少女の姿があった。
それは18歳というにはあまりにも幼い。かわいらしさと大人びた雰囲気を兼ね備えたアストリアと並べば、周囲から間違いなく妹と勘違いされるであろう。
しかし、体は完全に大人で、胸もアストリアに負けず劣らぬの大きさがある。
自分の体だと自覚はしているが、どうしても照れてしまっている自分が心の奥に確実にいた。
「どうしましたか?自分自身に見惚れるなんて、うぬぼれさんですね」
いつまでたってもこないミユウを見に来たアストリアがからかうように話しかけてきた。
「ち、違う!ただ自分の変化に驚いているだけ!」
「うふふ、どうだか。早く食べませんか。今後のことについて話をしたいですし」
「はい…」
『今後のこと』その言葉を聞くと、ミユウは少し憂鬱になる。
それはともかく食べないことには十分に力はつかない。
両手で池の水をすくい、顔を洗ったあとにゆっくりと四つん這いから体を起こす。やっと足だけで動けるまでに回復することができた。
そして、アストリアが待つ小さな草原に向かった。
---
アストリアが市場から買ってきた果物を手に取り、口にする。
「甘い。うふふ、幸せ~」
脱獄してから初めての食事。久しぶりに食べた甘い果物に感動し、思わず頬の筋肉が緩んだ。
今まで生きてきた中で間違いなく最高の食事の一つであり、先ほどまでの不安を一時的にかき消してくれる。
「本当においしそうに食べますね。買ってきたかいがあります」
アストリアは果物を幸せそうに頬張るミユウの横顔を見ながら、一つの果物を手に取って口にした。
「では、今後についての話なのですが…」
「え…」
アストリアは自分の食べていた果物を食べ終えたタイミングで声をかけた。
その瞬間、次の果物に向けて伸ばしていた手を止めたる。
心の中から消えた憂鬱な感情がよみがえってきた。
「これから一緒に私たちの村に戻りませんか?そして、私たちの婚姻の儀を執り行いましょう!」
ぱぁーと明るい笑顔でアストリアは提案をする。
ミユウと一緒になるために長年この日を待っていたアストリアにとって、ごく当たり前の提案だ。
しかし、憂鬱な感情がより一層増していく。
村に帰るという提案には何の問題もない。
身寄りのないミユウには、たとえ一度飛び出した故郷であったとしても行く場所はそこしかない。少し気まずいが、長年あっていない親や村人たちの顔を見たいという気持ちもあった。
ミユウを憂鬱にするのは“アストリアと行動を共にすること”と“彼女と生涯を共にすること”である。
昨夜から今に至るまでの短い時間にアストリアの様々な姿を見てきた。
(彼女は絶対に一緒にいてはいけない危ない人物だ!そんな人物と今後一緒にいることは自分自身に決していいことはない。アストリアの提案をすぐにでも拒否をしたい)
しかし、それが無理なことはミユウ自身理解している。
アストリアの言葉は表面上あたしに選択肢を与えている提案の体裁を繕っているが、その内実は選択肢は“同意する”の一つしかない。いわば『決定事項』だ。
拒否しようものならティークを召喚され、同意の言葉を口にするまでくすぐり責めが行われることは確実。
「どうですか?はやく返事をお聞かせください」
しびれを切らしたアストリアは返答を催促する。彼女の右手は指を鳴らす準備をしている。ティークを召喚する合図なのだろう。
ミユウは自分の本心を殺しながら、アストリアの望む返答を無理やり声を出した。
「もっ、もちろん、その、つもりですよ…」
その時のミユウの顔は誰が見てもわかるぐらい引きずった作り物の笑顔だった。
「よかったぁ!断られたらどうしようかと思いましたが……、さすがはミユウさんです!受けていただけると思いましたよ」
アルトリアは満面の笑みで返事を喜んだ。
その姿はねだってきたおもちゃをやっと親に買ってもらった子供に似ている。
その表情だけを見ればとても愛くるしい。
「それでは食事を再開しましょう。ここから先は長い道のりですからね。十分に体力をつけなければ」
アストリアは一つの赤い果物を手に取り、ミユウに差し出す。
ミユウは震える両手でそれを受け取り、口に運ぶ。
しかし、先ほどまでの食欲はすでになくなっていた。
そんなミユウの姿をアストリアはニコニコと優しい笑顔で見守っていた。
---
「そういえば…」
アストリアはふとミユウの全身を見回す。
「さすがにその恰好では移動できませんね…」
「あっ…」
ミユウが着ている薄茶色で薄い生地の囚人服は、長年の拷問や森の枝木によってぼろぼろになっており、ほとんど残っていない。
薄汚れた肌が丸出しで、もう全裸といっても過言ではない状態だ。
今の彼女は完全に女体化している。この格好のまま町に出れば、いろんな意味で注目の的になることは火を見るより明らかである。
「少し待ってくださいね」
そういうと、アストリアはその場で立ち上がり、右手でパチンと指を鳴らした。
その瞬間、ミユウの体に重たい物体が覆いかぶさる。それと同時に彼女の全身に決して思い出したくない感覚と記憶がよみがえる。
その物体の正体は言うまでもなくティークだ。
「ちょっ、ちょっと待って!あたし、なにか悪いことした!?」
焦るのも当たり前だ。
“ティークが召喚される=くすぐり地獄の始まり”というのが、短い間に経験した中で編み出したミユウの中の恐怖の方程式。
そんなあたしをなだめるようにアストリアが話しかける。
「まあまあ、あわてないでください。なにも今から拷問を始める気なんてありませんから」
その言葉を半分信じられない。
なぜなら、自分の背中で感じるティークの鼓動や息遣いから“今すぐにくすぐりたい”という強い感情が何となく感じとれるからである。
彼女の感情の不安を察したのか、アストリアはゴホンと一つ咳払いをしたあとにティークに呼び掛けた。
「ティークさん、ミユウさんの服に変身してください!」
その呼びかけに応じるようにティークがミユウの体を包み込む。
そして、みるみるうちに分厚い体を薄い一枚の布生地に変え、最終的に淡い水色のワンピースに変化していた。
ミユウは草原に倒れていた自分の体を起こし、装いを確認する。
「いかがですか。ティークちゃんにはこんな能力もあるのですよ」
「はあ…」
ミユウは気の抜けた返事を返した。
「あれ、お気に召さないですか?とてもお似合いなのに…」
彼女の反応に心配になったのか、アストリアが問いかけてきた。
「いや、そんなことはないよ。とても気に入ったよ。あはは」
ワンピースはとてもかわいい。
精神も女体化した彼女が気に入っていることもまた真実である。
しかし、問題は別のところにある。
このワンピースがあのティークで構成されていることだ。
これから洋服と化したこの拷問具を身に着けているこの緊張感を常に持ち続けなければならないことにとてつもない恐怖がある。肌に当たる布の感覚さえ恐怖に感じる。
もちろん、この感情をアストリアに直接伝えられるはずがない。そんなことをすれば、絶対に地獄が待っている。
今は多少我慢して、今の解決策を受け入れるしか選択肢はない。
「では、服の心配も解決したことですし、さっそく出発しましょうか!ミユウさん、お願いしますね」
アストリアは無邪気な表情で微笑みかける。その瞬間、再びドキッとしてしまった。
その美しく愛らしい笑顔にときめいたのか、その奥で見え隠れする恐ろしい本性に恐怖したのかはミユウ自身にもわからなかった。
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