思考(他人の人生と死)
豚肉丸
第1話
空を見上げると小さな星々が輝いていた。数億光年離れた星の一つ一つが強大な光を放ち、数億光年離れた私の目に光が入り込んでいるんだと考えると、あまりのスケールの大きさに頭が変になる。数億光年なんて、私が生きている内は人類には届かない場所なんだろうな。もし人類がそれらの星々の地面に足跡を遺したとしても、私は遺すこともできなければ、近づくことすらもできないんだろうな。
強い金属音が響く。指先に飛び跳ねた水滴が付着する。炭酸性の液体は皮膚に付着すると、皮膚に刺激を与えながら徐々に消えていく。カフェインを含んだ160mlの元気が出る炭酸飲料はやはり何度飲んでも独特な味で、元気が出たという実感は湧かない。じゃあ何で飲んでいるんだと言われると、気分、としか言いようが無い。ただ気分を上げる為だけに、私は百六十円を対価に交換している。
自販機の真後ろにある駐輪場のフェンスに腰をかける。フェンスに座って夜空を眺める私の姿を遠目から見たら、多分一枚の写真になるんだろうな。被写体は私。撮影する人は、いない。
車が通り過ぎる。物凄いスピードで私の目の前を突っ切って、私の知らない世界に走ってく。
車には人が乗っている。人が車を運転している。人がアクセルペダルを踏むことで、車は走り出す。だから車に人が乗っているのはこの世の前提であり、勿論今さっき私の目の前を通り過ぎた車も例外でない。私の人生の内の一瞬、車の運転手の存在を認識した。私の人生の登場人物に、一瞬だけでもなった。
同じように、車の運転手にも人生がある。生まれて、学校に行って、友達を作って、そうして大人になって、車を走らせている。車を走らせている時、その一瞬だけ、私の存在が人生に入り込めただことになる。例え相手と会話すらしてなくても、認識すらしてなくても、確かに相手の人生の一つになれたのだ。
それらを繰り返して、私が形作られる。多くの他人の人生の中で「私」という存在が入り込み、他人の人生に影響を及ぼす。人生を変えるような影響で無くとも、相手の思考に私が入り込めたのなら、それは確かに相手の人生を変えたと言える。私の影響で、私のせいで、相手の人生が決定的に変わってしまう。
相手の認識によって私は形作られる。相手がどのように認識しているかによって、私の存在は変わる。相手の認識によって、私の人生は変わる。微弱かもしれないし、決定的かもしれないし。
自分の人生の中で自分という存在は自分という物語の中の主人公である。よくそう聞く。そう聞かされる。「人生をポジティブに考えようよ!」とか言う性格が明るい人は、歌にしてそう歌う。先生という立場で、精神的にも未発達な私たち子供にそう教える。私という主人公。友達。家族。恋人。見知らぬ人。ニュースで「事故によって死亡した」と名前が出てくるだけの人。ネットに上がっている処刑動画。それら全てが、それぞれの人生の主人公なのだ。
じゃあ、人生なんてものはただの不条理劇に過ぎないのであろう。完璧に寿命を全うできたのなら人生はハッピーエンドで終われるが、事故で死んだ場合はただの不条理劇でしかない。殺人によって死んだ場合も、不条理でしかない。人生の積み重ね。数十年間の積み重ねが、それらが行き着く先は結局「事故」である。車と衝突した結果、死亡。車の不注意運転により轢かれて死亡。人生という物語を、報われずに終えた人は数えきれない程多くいる。それらは太古から続き、今もまだずっと続いている。むしろ、人生は報われずに終わる確率の方が高いのだ。
ホロコースト。処刑のために並ばされる人々。行き着く先は不本意な死と決まっていながら、ただ死を待つために並ぶ人々。記録では「数千人から数万人」としか表示されないが、数千人から数万人の一人一人に人生があった。自分がこのような形で死ぬことに、子供の時から気付けていた人はいるのだろうか、一年前から気付けていた人はいるのだろうか。死はあっという間に、予想だにしないタイミングで、残酷な形で、訪れる。物語を残酷に締め括る。生きている間に自分が発した言葉、行動、思考、それら全てが消え失せる。肉体は機能を喪失する。
例えばこの私の思考も、道路に飛び出せば一瞬にして消え失せるわけで。こんなにも恐れていた死は、案外身近にあるわけで。
きっと自分はロクな死に方をしないんだろうな。きっと、死を目の前にしてこれまでの人生を後悔し、これまでの人生の全てが消え失せてしまうことに嘆くんだろうな。死んだ後、自分がどうなるかはわからない。魂が回帰するのか、それとも虚無になるのか、私にはまだわからない。けど、死の瞬間にはきっと、後悔する。寿命を全うできずに終わる。世間から死を悔やまれるわけでも無く、ニュースで「死亡した」と一瞬だけ名前が出てくるだけの、そんな人生になるんだろうな。
気付けばエナジードリンクの缶は空になっていた。缶を真下に傾けると、一滴二滴ぐらいの液体が落ちてきた。その粒を口の中に含むと、フェンスから立ち上がり、道路を横切って缶をゴミ箱に捨てた。
塾への帰路。塾の自習時間を抜け出して、エナジードリンクを飲んで思考に耽り、そうしてまた塾に戻る。決められたルーティーン的な日常を抜け出して、夜の外で思考に耽ることができるこの非日常の空間が好きで、何度も繰り返している。
塾の横には大きなマンションが建っている。それらマンションの一室一室にも複数の人生が存在していると考えると、最早キリが無くなってしまいそうで、思考を強制的に止めさせた。
マンションを見上げると、一人の女性が十階辺りの階段に佇んでいた。彼女は数秒間佇んだ後、手を伸ばしてフェンスから身を乗り出し、重力に身を任せるように落下した。その行動の流れは一瞬で、ドラマチックの欠片も無く、酷く日常的で、酷く非日常的であった。非日常的というにはあまりにも自然すぎて、日常的というにはあまりにも日常からかけ離れている。
ドラマ、アニメのように落下の瞬間は全然ドラマチックでは無い。現実には演出も何も用意されてない。ただ、人体が落下するのみである。
直後、激しい衝撃音が耳を鳴らした。
この一瞬で、数十年間の人生があっという間に……不本意な形で、残酷に、ある一人の人生という物語が締め括られた。
思考(他人の人生と死) 豚肉丸 @butanikumaru
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