ここは気まずい食卓。激辛カレーは唇を赤くするしかない。
突然のキス。
芽里と、あかねと。
そのはずが。
なにごともなかったかのように、お食事タイムになっている。
あのあとは、さすがに空気が過去一悪い状況になって、どう収集するか迷うところだったものの。
ふたりが、すぐに切り替えたことで、驚くほど早く、こじれた関係は、元通りになった。あくまで表面上は。
短時間で、完全に水に流す? できるわけないだろう……。
しかし、現にふたりは、すくなくとも表面上は、やってのけているわけだ。腹の中で、黒いものが
「おかわり食べちゃおっかな〜」
「私の料理を召し上がれ♡」
「私の料理は違うよ、篠崎さん。お兄ちゃんと私、そして篠崎さん、みーんなで作ったんだから」
「だね」
あかねは答える。
「それはそうと芽里ちゃん」
「ん?」
「これからは、私のこと、あかねお姉さんって呼んでっていわなかった?」
「あれ、そうだっけ」
「忘れちゃったならしょうがないね。起こりうる可能性の高い仮定として、私とたっくんが結婚したらだよ? 芽里ちゃんにとって、私はお
「ちょっとなにいってるかわからないので、私は忘れることにした」
耳を両手で塞いで、あーっと数秒間叫ぶと。
「篠崎さん、なにかいった?」
「……」
「まぁいいよ。きっとたいしたことじゃないもんね」
「ははは」
ふたりとも、会話が噛み合ってないんだか、噛み合わせようとしないんだか。
ともかく、異様な雰囲気を醸し出していた。
「オイシイナー」
場の雰囲気をすこしでも改善しようと、焼け石に水、下手すれば逆効果かもしれないが、わざと笑いを浮かべてみせる。
「はぁ、生きてる意味を再確認〜!お兄ちゃんの笑顔が生きがいだから」
「よかった♡」
壊れちゃってるよ、このふたり。なにをしても、全肯定されてしまいそうだ。
僕は彼女らを堕落させてしまった。今度は翻って、僕が堕落させられる番なんじゃないか?
それは自分の犯した罪の償いとしては、妥当なものかもしれないな、と心の中で不敵に笑っていた。
このとき、僕の中で、人としてのなにかを疑うアイデアが浮かんだ。
――この状態のふたりに、激辛カレーを食べさせたら、いったいどうなってしまうのか。
あたかも洗脳状態にあるかに見えるが、激辛によって、本性が戻ってくるのか?
それとも、洗脳状態のまま、辛さを訴えるのか――これが、気になってしまったのだ。
絶対に気にするところではないだろう、という野暮なツッコミはご遠慮願おう。
「おい芽里、あかね」
「ん♡」
「ハテナマークがついにハートマークに侵略されてるっ! ハテナとハートって一文字しか一致してないのに」
「別にいいじゃーん♡ で、要件って?」
「カレー激辛選手権をやる」
簡単な話だ。
徐々にスパイスというか辛いソースというかそういうのをぶち込んでいき。
先にギブアップした方が負け。
そんな、自身の体をいかに追い込めるのかを競う、健康への配慮が一ミクロンもないクソゲーだ。
「お兄ちゃん、なんでそんなことするの?」
「赤くなったらかわいいからだよ」
「きゃっ」
嘘である。
辛さによって正気に戻る君たちが見たいからという、不純な理由だ。
この際、妹にかわいい、なという、そろそろ犯罪になってもおかしくないセリフを吐く羞恥心など、捨ててしまってかまわない。
現実から目を逸らしたい、この前野拓也なる人間は、人が辛さに苦しむところを、本気で目撃したがっていた。
「私、も……?」
「あかねの辛がる様子も、きっと美しいだろうぜ、あぁっ……」
「……ぷっ」
「いま笑ったろ」
「だって、全然かっこよくなかったから」
もう正気じゃん。
結果が見えたような気がするが、知ったこっちゃない。
やるぜ。
しかし、なんらあちらからしてはメリットがないとアレなので。
勝った方が、きょう残りすくない一日は、より好きな方と仮認定される、というご褒美を用意した。
こうでもしないと、あちら側からしたら気持ちが収まらんだろうという、後付けの理由。
我が家には、食いもんを辛くするためのもんが、多くある。僕は辛いのが割と好きなので。
こいつらを、すこしずつ、かけていき。
辛さの限界に挑む、というものだ。
辛い系調味料をかき集め、机に並べてみる。壮観だ。
「じゃあ、先行はどっちにする?」
「お兄ちゃんがより好きな方!」
「……君たちで決めてくれ」
じゃんけんの結果、芽里の勝ちだった。
じゃんけんとはいえ、負けの烙印を押されたあかねは、芽里の煽りにやや怒りを露わにしていた。
「私からね!」
スパイスの量が多く、かつ長く耐えられた方の勝ちというゲームだ。
そして、肝になるのが。
先行の人が入れたのと同じ量を、後半の人も入れねばならない、ということ。
はっきりいおう。
これは、芽里が有利なゲームだ。
「まずはこんなものかな」
初っ端から飛ばしていた。スプーンいっぱいに掬って、どぼん、だ。
さすがのあかねも、ちょっと引いていた。こんなのやりすぎだろう、と。
一気に
……企画を立案した鬼兄貴が、なにをいまさら心配してるんだ。妻に拳を振るう系男性の手口に近しいものを感じるよ。上げて落とすというかさ。
「じゃあ、いただきます」
僕とあかねは、息をのんでその光景を見守る。
一気に飲み込んだ。
初めは余裕そうな表情を浮かべていたが(いうならばドヤ顔である)。
徐々に辛さが体に周り、顔も唇も赤くなり、声に出さない悲鳴をあげていた。
プルプル震えている。明らかに限界だろう。辛い、っていってもいいんだぞ。
「いおあい、うい、おうおっ!」
通じる日本語に直すと、「篠崎、次、どうぞっ!」といったところか。
「ははは、私なんだよね……」
やる前からやる気は削がれまくっている。
待ち受ける結末を、もう目にしているのだから。
そして。
「辛いもの、嫌いなのに……」
「勝ったら、ハッピー」
「うん、そうだね! 私、頑張る♡」
一回調味料を加えるごとに、一口がっつり食べる、というのが、今回のルール。
見たところ、ひと口だけでも、だいぶ赤くてきつそうな感じだ。
「あかね、食べます!」
いって、ガブリ、と。
持ち前の表情コントロールで、辛さに対して、まるでノーダメージのように振る舞うあかね。
しかし、体は正直といったところで、芽里同様、悲惨な状態になっていた。
顔が赤いは唇もちょい腫れるわ。
さて、このような地獄の戦いを制したのは、芽里だった。勝因は、辛いものへの耐性がやや強めの、前野家に所属していたからだろう。
なお、残ったらクソ辛カレーは僕が責任をもって、半ば強引に感触させられた。
ご褒美として、ふたりに挟まれる形として寝ることになった。
僕の左半身を芽里担当、右半身をあかねと担当し。
芽里の方が、やや右半身に侵食するような形だった。
ふたりは幸せそうに眠っていたが、僕としては、辛すぎて腹が痛くて寒気がした。自業自得、という四字熟語を与えられるにふさわしい末路だった。
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