芽里がキスをするなら、私もしよう。望むのはささやかな愛、愛、愛。

 奇跡的な巡り合わせともいおうか。


 現在、あかねと出会い。我が家には、あかね・僕・芽里の三人が集結している。


 これは、あかねと芽里との初対面だ。そんでもって、両者とも本音らしきものが漏れる展開となって。


「結果として、会えてよかったのかい?」

「お兄ちゃん、私、気持ちがぐっちゃぐっちゃで崩れたじゃがいもみたい」

「うれしさと嫉妬と焦燥感と……言語化してもしきれない、この悩み……前みたいにキs……したら、解決するかな?」


 いま、「やべっ」てなって、いいよどんだろうけどさ! 


 エスという音の性質を考えれば、そこで止めてもキスって言葉は聞こえるんだよ、おいっ! おいおいっ!


「ん? お兄ちゃん、私の耳、おかしくなっちゃったかも。膝枕して耳垢掃除しなきゃっ」

「そうだな、そうだな。掃除だ掃除だ」

「冗談はお兄ちゃんの存在だけにしといて」

「ひどいな実の妹」

「キスってなに? どゆこと? 私の日本語能力が予期せぬエラーでも吐かなければ、こんなことにはならないと思うんだよ」


 すでに芽里は、自分のワールドの中に取り込まれていて、周りなんぞまるで見えていない状況にある。


 目は泳ぎまくってるわ、頭を抱えてしゃがみ込んで、視界はシャット・アウトしているわ。


「これじゃ、私の壮大で雄大、完璧で一点の穴もなかったはずの、全人類大歓喜の計画が、いよいよ総崩れに……」

「計画? いったいなんの企みが……」

「お兄ちゃん、はぐらかさないで」

「うっ」

「篠崎さんと、キス、したの?」


 顔を上げて、僕の瞳をロックオン。


 完全に、これはヤンデレの目である。堕ちるところまで堕ちた、ヤンデレの。


 懐かしき時代が蘇る。あのときの、可愛さを数ミリグラムは有していた病み具合ではない。


 これはそう、純粋な暗闇を覗き込んでいるような感覚だ。ブラックホールに飲み込まれそうな。


「……」

「答えは、イエスか、ノーか。仮に間違った答えをいったら、私もキスする」

「……!」

「イエスなのにノーといったら、それは私を騙していることになるから、お仕置きのキス。ノーなのに、イエスといったら――おそらくこれはないだろうけど――篠崎さんの機先を制するために、キスをする」


 いずれにしても、キスをするつもりで入るんだな、と、僕はやや笑いを含んだ口調で答えた。


「嘘はいけない。兄と妹に、隠しごとがある。これって、かなり不健全な状態なんじゃないのかな?」

「どうだろうか」

「制限時間は、五秒。私は、これ以上待てない。じゃあ、カウントするね?」


 芽里は本気である。


 ここまで、押さえつけていた本性が、あかねという、彼女にとってのライバル出現によって、剥き出しにされてしまったのだろう。


 ふたりが接触すれば、いずれ化学反応を起こしかねないと予想はしていたが。


 まさかこんな形になるとはな……。


 恐ろしいったらありゃしないレベルだ。


「ごぉ」


 さあ、この質問、どう答えるべきか。


 残念ながら、沈黙であるとか、逃げるとかいう選択肢は残されていない。負け確定のゲームだ。


 彼女の運動神経は、ずば抜けている。体格差はあるとはいえ、体の自由を奪われ、無理やり……というパターンは、簡単に予測できる。


 詰みだ。


「たっくん、だめだよ、この話に乗っちゃ。すべてなかったことにしないと!」


 あかねの言葉は、強力な言霊のようなものである。


 もしかすると、彼女の発言は、解決の糸口にな――


「よん。戯言はやめて、答えを待つだけだから、私は」


 ――らなそうだ。


 事情は知らないが、芽里に、あかねの言葉は通じそうにない。


「さん」


 カウントは、ゆっくりと、だが着実に減っている。


「にぃ」


 悩んでも、これは無駄な作業に違いないと確信した僕は。


「あぁ、芽里! その通りだ! 僕とあかねは、キスをしたさ!」


 いってしまった。おそらく僕は、最上級のバカだ。最低人間だ。


「やっぱり、そうなんだ」


 そこからが早かった。


 一瞬で、唇を奪われた。


 激しいキスはない。ただ、軽く触れただけだ。過去に芽里としたそれが、蘇るようなものである。


「あぁ〜! 奪っちゃった! 実の妹だけど、奪っちゃった! しかも、一度したことがある相手の前で! あはっ」


 快感に震えていた。


 何年振りか。


 知ったこっちゃない。もう、やられちまったんだ。


「な、に、こ、れ」


 あかねは脳がショートしちまっている。


 当然だ。友人であった芽里が、こんな形で、友情ブレイク待ったなしの奇行に出たのだから。


 この状況を見る第三者がいるとしたら、抱く感情は、ドン引きである。


 目を背けたくなる、地獄が広がっている。行動原理がわかわからん、付き合いきれん……。


 そういって見捨てられてもおかしくない、芽里は。


 よくぞここまで、この異常性を隠して抑えこんで、優等生として生活していたというものだ。賞賛に値すると思う。


「芽里ちゃん……」

「なに、篠崎さん?」

「やっていいこと、悪いこと、あるんだよ、世の中に」


 へへへ、と、乾いた声で吐き捨てる。


「そして、世の中には、こういう言葉がある」

「……っ!」


 あかねの目が怪しく光った。


「やられたら、倍にして返していいっていう、言葉がねっ!」


 こちらも瞬速だった。


 芽里のよりも、激しいキスを、いやらしく音を立てて、芽里に見せつけている。

 

 ――唖然。


 芽里の浮かべた表情は、それであった。


 僕が芽里だとしても、同じ反応をするだろう。


 常軌を逸している。今後の女子ふたりの関係がどうなるかなんてかなぐり捨てて。


 いま、自分が気持ちよければいいという方針から、予期せぬ行動に出ている。


 なにやってるんだ、と思っても、気持ちいいと体が訴えるからには、あかねに委ねるしかない。


 これまでに勝る、過去最大級の罪悪感と背徳感のフルコースを、叩き込まれた。


「んあっ」


 ことが済み、恍惚するあかねを、前野兄&妹は見て、どういう感情を抱けばよいか、悩まざるをえなかっただろう。


 さすがに、両者とも、次のアクションに移るというのは、なかなか難しいというものだった。


「……芽里ちゃん。行動には責任が伴う。そして、私はこういう女なの」


 最書に口を開いたのは、あかねだった。


「別に、それはかまわない。私は妹だけど、拓也のことを愛してる。だから、篠崎さんに奪われるのは許せなかった。だからした。後悔はしていないし、あなたのキスを見せられても、別に嫌いになることはない。ただ、私は諦めないってだけ」


 ああ。


 僕は、本当に、本当にヤバい女子に捕まってしまった。


 知ってはいた、ヤバいということは。


 しかし、なんだこれは!


 ヤバさのグレードアップ具合が半端じゃないって!


 もはや、泥沼もいいところじゃないか。


 そう思っていたのだが。


「芽里ちゃん、ルー入れて!」

「了解!」


 夕飯の時間になると、表面上はうまいこと連携をとって食事の手伝いをしていた。


 もう、僕には健全な女性観というものが抱けそうにない。


 ここまでネジが外れているふたりではあるけど、だからといって、見捨てるつもりはなかった。

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