日本史を、囁いて。たぶん日本語には、色気のある言葉がたくさんある。

「日本語ってさ、色気があると思うんだよね」


 映画を見終わり、悟りを開いたあかねさんは、謎の発言をした。


「言語フェチ? なんの脈絡もなく、どうした?」

「そんな冷たくいうことないじゃん」

「思うにさ、日本語にエロスを感じる人はもう女子高生じゃないんよ」

「反例は私だね。逆も成り立たないから、必要条件でも十分条件でもない」


 いきなり難しいことをいわないでくれ。


 ふだんなら、頭に入ってきたかもしれないが。


 映画を見終わってぼんやりしたなかで勉強の話をされると、すぐには理解できない。


「まあ疑問は措いておこう。それで、本題は?」

「なんでもない言葉に色気を見出そうゲーム!」


 パチパチパチ。三回だけ、あかねさんの単独拍手。


「もっと盛り上がっていこうよ、ウェ〜イ!」

「他にやることあるでしょうに」

「大丈夫! これも充分、たっくんの欲求を満たせるから」

「はいはい」

「はいは一回」


 なぜか乗り気なあかねさんを前に、早くも温度差を感じつつある。


「じゃあルールを教えてください」

「うん、説明するね」


 ルールは簡単。


 下ネタとは関係がないが、どこか色気を感じる言葉。


 それを考えて、お互いに発表し合う。


 満場一致で“くる”言葉だったものが入賞。


 以上。


「色々ありそうだけど、パッと出てくる気がしないな。あまり言葉に敏感じゃないし」

「わかった。じゃあルールを増やそっか。日本史の用語限定ね」

「だいぶ狭めてきたな」

「これなら出てくるんじゃない?」

「かもな。よし、いこう」


 一発目の発表は、三分後。


「よーい、ドン」


 まずは日本史の用語を思い出すところからだ。


 壬申の乱、承久の乱、本能寺の変……。


 戦乱の名前しか出てこないな。しかもどれもパッとしない。


 もっと考えなければ……。戦乱系、戦後……。


 そうして、足りない頭からいくつか用語を絞り出し。


「タイムアップ。じゃあ、前野くんから」

「いきます」

「どうぞ」


 まずは一発目。



「――エロア資金」



「安直!」

「思いつかなかったんだ、許せ」

「なんの奥ゆかしさもないし、この企画の趣旨、一ミリたりともわかってないと出せない答えだよそれ〜」


 マジで出てこなかった。日本史はあまりガチってこなかった人種。ゆえに、印象深い言葉しか思い出せず。


 なんだっけ、占領地の産業復興のために提供されたやつか。

 

 そんでもって、食糧不足の対処に提供されたのが、ガリオア資金か。


「逆に聞きたいんだけど、なんでこれが出てきたの?」

「宮崎がさ、『教科書にエロが載る時代か!』って語ってた記憶が」

「もうちょっと考えてよ。ってか宮崎君って宮崎君だね」

「だな。さて、渾身のあかねさんのやつが楽しみだ」

「じゃあ、私の番」


 んんっ、と喉の調整から入って。



「――墾田永年私財法っ!」



「なんか、色気というか、かわいさが先行するな」


 漢字ごとに区切り、猫撫で声でいうもんだから。結局、用語なのかいい方なのか、いささか微妙なところだった。


 ここから初期荘園が形成されていく契機になった法律。たぶん用語の中ではかなり知名度は高いだろう。


 インパクト強いしね。


「躍動感と緩急が大事だと思ったんだけど」

「エロア資金よりはいいかもな」

「それな」


 残念。


「じゃあ、第二回目はもうちょいマシなのが出るといいね」

「やりますか」


 もう一度考える。


 次は、なにがいいだろうか。直接的ではないが、なんだか思わせぶりな用語……。


「次は私から」

「どうぞ」


 先ほどより咳払いが二倍。これは……。



「――とーすいけん、かんぱんもんだい♡」



「おぉ……いい方もそうだけど、後半に色気があったかも」


 統帥権干犯問題。


 時の内閣による、ロンドン海軍軍縮条約の調印。これが、天皇の統帥権を犯しているか否かという論争になって、最終的に首相は……って、脳内で日本史教師の解説が長々と始まってしまった。


 別に、僕らは勉強がしたいわけじゃないのだ。


 日本史を、エロい言葉探しの道具としている。極めて日本史という教科の侮辱に等しい行為だ。


「なにせ、後半の母音が『あんあんおんあい♡』だもんね。乱れてる感じがひしひしと伝わるよね」

「よく見つけてきたな」

「私が提案したゲームだし」

「準備はしてきたってことか」

「ちょっとだけね」


 墾田永年私財法に続き、同じような母音が続くのが好みらしい。


「次は僕か」

「すこしはマシだよね?」

「安心しろって」



「――王政復古の大号令」



 うんうん、と首を振っている。


「リアクションとしてはどっち」

「聞いていて心地はいいな、でもエロくはないなーって」

「色気のある用語って、案外難しいな」

「じゃあ、体で確かめてみよっか」


 単なる味気ない言葉だけじゃ、結局決着はつかなかった。


 ゆえに、本旨は変わった。


 いかに囁きで、自分の選んだ用語を色気のあるものにするか――。


 ここまでくると、企画倒れもいいところ。


「交互にいこう」

「おう」


 あかねさんに囁くのは初めてだ。


 うまくいくか。


「あぁ……エロア資金……」


 渾身のセクシーボイスである。


「ぷっ」

「笑ったな!?」

「たっくんのキャラに合わなすぎて無理なんだけど」


 キャハハ、と腹を抱えて笑ってる。


 こっちもおかしくなってきた。そして、ただただ恥ずかしい。


「次は私」

「どうぞ」

「はぁ……こんでんえーねんしざいほぉっ?」

「それは、ただのかわいいなんだよ」

「ずれちゃった」


 次の用語に入る。僕が先攻だ。


「Oh say……復古のdai☆go☆令……Ah……」


 こんな感じの発音をした。こちとら吹っ切れてるから、全力でいかせてもらう。


「ちょ」

「ふざけ過ぎたか?」

「いや、最後の『令……あぁ……』が、ちょっとビクってしちゃって」

「あれでか」

「悪い? ちょっとたっくんにビクっとさせるなんて許せない」


 三倍増しの「んんっ」と咳払いの後。


 ――統帥権干犯問題。


 ねっとりボイスで、後半を強調させて。


「す、すごい……やっぱ、ゾクゾク感が桁違いというか……」

「私の用語の方が強かったね!」

「ただの囁き技術の違いでしょ、これ!?」

「用語力だって」

「なんだよ用語力って」

「もういいから総合点で私の勝ちね!」


 単に日本史の用語を出し合っていただけなのに、かなり盛り上がった。モノは楽しみようというやつである。


「あ、意外といい時間」

「そうだね」

「夜ご飯にしよう」

「作る?」

「いまからいってもな」

「じゃあ、取ろっか」

「特別な日だしな」


 そういうことになった。


 ちょっと遅めの夕ご飯。


 さて、なにを取ろうか。

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