風呂上がりの彼女に抱く煩悩。誘惑が勝つか、理性が勝つか。
あかねさんがうちに泊まる。
それは、僕にとってめちゃくちゃ衝撃的な事実であった。
僕は「いいよ」と即答した。しかし、いま思うと、あまりにも軽い決断だったのではないか。
なにをいってももう遅い。もう、我が家にあかねさんは来ている。
「やっぱり落ち着くね〜」
リラックスモード全開のあかねさん。いまから「やっぱり帰ってください」などいえるはずもない。いおうとも思わない。
「本当は男子の家に泊まってた、なんてバレたらどうするんだ」
「たっくんさ、私のこと、甘く見てるね」
「もしも、っていう話」
「そうね……」
たぶん、うちの親ならノリノリで赤飯でも炊いてくれるんじゃない? と軽々しくいった。
「なんて理解のある親御さんだ」
「お堅い家庭じゃないからね。略奪結婚だったっけ? 覚えてないけど」
「いっても平気なやつ?」
「基本オープンで、ズバズバ語っちゃう人たちだし」
あかねさんのルーツが、垣間見えた気がした。
「……って、赤飯を炊いちゃう想定!?」
「年頃の男女が、ふたりきりで一晩過ごす。そう思われても仕方ないでしょ?」
いわんとすることは正しいだろう。
でもな。
仮定の話とはいえ、あかねさんと僕が関係を結んだ前提というのは。
「仮定の話だし、冗談だよな」
どういうこと? という反応をされたが。
シンキング・タイムを経て、真意を汲み取ったようで。
「もしかして、期待してる?」
「キスもしてないのに、か」
「そんなさ、順序なんて関係ないよ」
「いうと思った」
「まぁ、たっくんがその気なら、なーんてね」
お風呂入ってくるー、とあかねさんは浴室の方へと消えていった。
「ふぅ……」
落ち着け前野拓也。冷静さが足りない。
なにかの過ちを犯せば、そういう事態が起こってしまいかねない。
一線を越えない。キスもしない。
これは絶対だ。キスの異能力者としての金科玉条として大々的に掲げるべきものだ。
文字通り、金や玉のように大事なのである。
……ん?
……頭の中がピンク色じゃねえか! しょうもな! こんなネタ、小学生でも笑わんぞ!
「どこが冷静なんだよ……」
自分の愚かさというか動揺ぶりを自覚して、僕はいくらか冷静になった。
あかねさんが風呂から上がるまで、ぼちぼち時間を潰していく。
なにかしら作業はしているのだが、どうも気になってしまうことがある。
水音だ。
パシャ、パシャと水が撥ねる。シャワーが出ている。蛇口の方から放水されている。
ただそれだけだ。しかし、無意識に反応して、勝手に脳内であかねさんを補完している自分がいた。
卑しい思考にもほどがある。こればっかりは抑えようとしても逆効果だったので、煩悩は煩悩して受け入れるしかなかった。
途中で、イヤホンを付ければ気にならないという、天才的なアイデアを思いついたので、以降は聴覚によって惑わされることはなかった。
あくまで、聴覚によっては、である。
「お待たせ」
ガラガラ、と洗面所の扉を開け、あかねさんが出てくる。
顔は上気している。髪はもちろん濡れている。ふだん見せない姿に、新鮮さを覚えた。
それはいい。
問題は、あかねさんのパジャマにある。
「どうして上着をキュッと下に引っ張ってる?」
「だって」
モジモジしながら、こっちまで近づいてくる。
「そういうパジャマ?」
「ち、違う!」
――ズボン、忘れちゃったの。
ボソッと、あかねさんはいった。
「わざとではなく?」
「あのさ、私のこと露出狂かなにかと思ってるのかな」
「脱ぐことに抵抗はなさそうだなって。前例あるし」
「否定できない自分に気づいちゃった〜」
・ダンスバトル→服を買って着替え。
・おうちでゲーム→僕のジャージに着替え。
たかだかふたつの例しかないが、きょうであかねの脱ぎ史がまた一ページ増えた。
「ともかく、僕の服を着ていいから。その格好、目に毒だし」
「いいって」
「これは僕の問題だから」
「別に見られて減るもんじゃないし。ほら、中さ、見る?」
ハラハラと上衣をはためかす。絶対領域がやばい。ギリ見えていないが、際どい。
「あかねさん、下着の安売りはよくない」
「じゃあ3000円で3秒見せるね」
「ぼったくりじゃん」
「手のひら返し! でもさ、たっくん。JKの下着のためなら、汚い大人はいくらでも積みそうだし、これはむしろ良心的な価格設定なんじゃない?」
「一理あるかもしれない。けどさ、とりあえず軽々しく見せようとしないでくれ」
うん、といわれ、はためかせタイムは終了した。
正直、かなり心が揺れていた。はっきりいって、いまのあかねさんは、過去一かわいい。
下手すると「見せて!」なんて最低発言をぶちかましていたかもしれない。
ちょっとの弾みで理性を失ったとしたら――そう考えるだけで恐ろしい。
「牛乳ある?」
「風呂後の牛乳はうまいってやつか」
「そうそう。これ、習慣なんだよね」
冷蔵庫から出して、コップに入れ、グイッと飲む。
ちょっと垂れて、唇から牛乳が垂れる。
カラオケのときのクリームの方が、よりアウトな感じといえただろうが。いまの自分にとっては、それに匹敵するレベルの破壊力を誇っていた。
なんだか僕も、牛乳を飲みたくなってきた。風呂上がりではないが。
「なに見てるの?」
「おいしそうに飲むなー、ってな」
「私の飲みかけ、いる?」
「間接キスじゃんか」
「別に私が飲まなきゃ大丈夫なんでしょ?」
「いわれてみれば、そうか」
僕の唾液があかねさんが取り込まれるのがアウトなわけで。
別に僕があかねさんの飲みかけ牛乳をおいしくいただこうと、なんら問題はないわけか。
「他のコップ出すんじゃだめか」
「この中にあるのがラスト。使い切っちゃった」
ならいいか。もう、ポッキーも一緒に食べたことだ。逆間接キスなどためらうこともないだろう。
「いただきます」
「どうぞ〜」
ゴクゴク。
キンキンに冷えた牛乳だ、うまいに決まっている。かすかに甘い味がした気がする。気持ちの問題だろうが。
「うまい」
「これで、たっくんも間接キスへの抵抗が薄れたんじゃない」
「否定できないな」
流れというか、雰囲気に身を任せて、というか。
すくなくとも、昔の自分ならノーといえる日本人としての責務を全うしていたはず。
心の中で、キスに対しての固い抵抗感を、ゆっくり溶かされていくような感覚だ。
いずれ溶かされきった抵抗感は、中に潜む本能を剥き出しにする。
……占い師は、一ヶ月以内にキスがあるといったが、下手すると一ヶ月も持たないかもしれない。
僕は、そう考えざるをえなかった。
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