ヘビを追って

 洞窟探索は続いている。

『光明』符を光らせているティリオのすぐうしろを黒風は歩いていた。

 黒風は周囲を警戒しながら、誰にも聞こえないくらいの音量で鼻歌をくちずさんでいる。『つるぎのドンゴ』のメロディだ。


 あの日から『つるぎのドンゴ』はデュバリの冒険者のあいだでブームになっており、宿舎に戻ったらだれかが歌っているような状態だった。

 まったくその歌を知らなかった黒風もフィミアダなどに教わって、いくらか歌えるようになっている。


 王国の冒険者としての暮らしに少しずつ順応してきたな、と黒風は感じていた。

 このまま同化していくんだろうか、出自を隠したまま。

 以前の黒風なら抵抗を感じていたかもしれないが、今となってはそれでもいいような気がしている。どうせ魔王領には帰れないのだし。


 たしかに魔王領の国是は、どうにかして『ヴィントロックの檻』(こっちがわでは『不可視の大障壁』と呼んでいるアレ)を解除して、再び大征戦を起こし、大陸の覇者になることである。

 だが五〇〇年間檻を壊すすべはまったく見つかっておらず、今ではどうせ壊せないだろうと大半の者が思っているはずだ。黒風もそう思っていた。


 ヴィントロックの檻のなかは閉じ込められたことを忘れるくらい広かった。大陸の西部およそ四分の一と、周辺の海や島を含む広大な円形の壁である。五〇〇年ではその土地すべてに住民が行き渡るには短すぎ、魔王領にはまだ開拓や冒険の余地が十分に残されていた。

 あえて檻の外に目を向けなくても十分に暮らしていけたのである。


 なかには五〇〇年前の屈辱をわがことのように思い、大征戦を再開するために日々の努力を怠らない者もいた。だがそれはごく少数派である。

 大魔王の血を引く魔王自身すら、そのことを気にかけなくなっているのだ。

 だから黒風も、檻の外の人間たちに敵意をほとんど抱いていなかった。彼女から見れば、むしろ外の、王国の連中のほうが魔王領を意識して怖がっている。


 とにかく、魔王領と王国をへだてる壁……『ヴィントロックの檻』あるいは『不可視の大障壁』が壊れないかぎりは、黒風はこのまま王国の冒険者になっていくのだろう。

 ――と、このときの彼女はそう思っていた……。


   ・


「なにかいるぞ」

 黒風の敏感な耳が、前方の闇に何者かの気配を感じとった。

「大きい。這いずるような音だ……前に出たっていうヘビかもしれない」

「ケイブパイソンか」

「近づいてきてる

「戦闘になるってわけか」

 ジルトが盾を構える。黒風が剣を抜いた。


 ヘビが姿をあらわした。天井すれすれまで鎌首を持ち上げて冒険者たちを見下ろす。たしかに巨大である。

「どうやら、このあいだのやつみたいだ」

 ティリオは、ヘビの顔に紙切れが貼りついたままなのを見てとった。符がまだはがれていないのだ。さすがに魔力が切れており、光ってはいない。


 油断なくかまえる一行だったが、ヘビはティリオが手にした魔法の光におじけづいたのか、身を翻して遠ざかっていく。

 盾をおろしてジルトが聞く。

「どうする?」


「……追おう。ヘビ討伐も仕事のうちに入ってたしな。でかいが強敵ってほどでもない」

 巨体は要注意だが、キマイラにくらべれば大したことはない。

「行く先に巣があって、おっきいヘビがたくさんいたらこわいですね……」

 棒をにぎって身震いするフィミアダに、ジルトが返事する。

「ケイブパイソンは単独で暮らすモンスターだからそのへんは大丈夫だろうさ」


 だが意外とヘビは速くて、なかなか追いつけない。

 黒風は追いながらもマップを見ている。

「今んとこマップ内だからいいが、知らない場所に行ったらどうする?」

「そのときはあきらめよう」

 ティリオはそう答えた。マッピングされてない場所をこのペースで走り回るのはあまりに危険だ。


「くたびれもうけになっちまうのはごめんだぜ」

 持久力のないジルトが早くも弱音を吐いた。年齢もあるし、ひとりだけ重装備で走っているのだから無理もない。

 ヘビはするすると這って、洞窟のなかにある断崖を降りていった。


 ここはわりと早いうちに発見されていた。洞窟の通路を断ち切るようにあらわれる、底が見えないほど深い崖だ。向こうがわにも同じように通路が見える。もとはつながっていた道が、崖崩れかなにかで分断されたような地形になっている。


 崖の端まで行って下を照らしたティリオは、ヘビの尻尾が姿を消すのを目撃した。

 どうやらこの真下、さほど遠くないところに横穴があるらしい。

「こんなところにもうひとつ道があったとはな」

「どうする?」

「まあ、見てみないわけにはいかないだろ」


 道があるならマッピングしなければいけない。

 手持ちのロープを岩に縛りつけて垂らす。

「届きそうだな」

「まずオレが行く」

 黒風が名乗り出た。身の軽さでは彼女がいちばんだ。


 ティリオはたいまつに火をつけると、黒風に『光明』符を手渡した。

「やばかったらすぐ戻ってこいよ」

「だれに言ってる」

 黒風は危なげなくするすると降りていった。すぐにその姿が見えなくなる。横穴のなかに入ったようだ。


 ティリオはとなりで同じように覗き込んでいるだろうフィミアダのほうに目をやった。

「大丈夫か?」

「あたしは高いところは苦手じゃないんです」

 言葉のとおり、ロープを伝って下るのをさほど不安に思っていないようであった。この方面では度胸がある。


「おれは苦手だ」

 対照的に顔をしかめたのはジルトだった。

「だいたい、おれの体は上下を行ったり来たりするのに向いてないんだよな」

「じゃあ置いてくか?」

「……ひとり残るよりは向いてると思うことにするさ」


 黒風は降りたときと同じように、身軽にロープを登ってきた。

「どうだった?」

「少しまっすぐに行ったあと行き止まりになってるが、そこの床に穴が空いてる。ヘビはその穴に入ったらしい」

 彼女は少し言い淀んだ。

「穴の先は別の場所につながってた。あれは……」


 フィミアダを見て、

「明らかに人工的な通路で、壁自体がうっすら光ってた」

 言われたフィミアダもはっとした。

「それは、農園の遺跡の……?」

「似てた」


 ジルトが口笛を吹くまねをした。音は出ない。

「つまり、遺跡に続く道を見つけたってことか。大発見じゃねえか。で、ヘビもその遺跡の中にいると」

「光が苦手なはずなのに」

「ヘビの目を刺激しない光なんじゃねえの?」

「たしかにこいつよりは目を刺さない光だった」

 黒風は『光明』符をティリオに返した。ティリオは符の光を消してふところにしまいこむ。


「まあ、ここで会議しててもしかたない。行くか、戻るか?」

 行くほうが危険なのは間違いない。だが仕事だ。

 マッピングと、ヘビ退治、その両方を満足させるためにはロープを伝って降りねばならない。

 それが冒険者だ。


「ちょっと待て」

 ジルトは蝋石を取り出して、ロープを結びつけた岩になにか書き込んだ。

「間違ってほかのパーティーにロープを回収でもされたらたまらんからな。書いとく。暗号じゃなくて平文でな」

 そしていよいよ『追放されし者たち』は遺跡に進入する。

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