交渉という名の何か

 ルイーザは周囲を見回した。

 洞窟のなかの、部屋のようになっている空間だ。ほかの場所とは細い通路一本でつながっている。

 部屋はおおよそ四角形のかたちをしていた。天井は高くて見えない。

 四方の壁にはたいまつがそれぞれ掛けられていて火と煙を上げている。部屋の大きさはルイーザの執務室ほどなので、たいまつ四つで十分な明るさを部屋の中にもたらしている。


 部屋のいっぽうには樽と箱が積んである。水と食料だろう。ひょっとしたら酒樽もまじっているかもしれない。

 それ以外の道具やら資材が入っているような箱もあった。

 別の隅には地面の上に板が敷いてあって、その上に毛布がたたんで置いてある。

 ここは、休憩のために外へ出る時間すら惜しんで稼ごうという者たちが利用している場所だ。聞いた話では数日のあいだここで寝泊まりするという豪の者もいるという。


 また、テーブルがひとつ、椅子も数脚ある。ルイーザはそのうちの一脚を使用している。

 それから……。

「あまりきょろきょろしてないで、ほら、ここにサインするだけでいいんですよ」

 ルイーザの正面に座った男が、テーブルの上の竜皮紙をつまんでひらひらさせた。


 男が四人。

 正面にいるのが主犯らしき片目眼帯の男。

 あとは、通路のほうを警戒している見張りの大男。ひょろっとした体格の中年と、一番若いまだ少年といった年頃の男が、眼帯のうしろに控えている。少年は覚悟が決まっていないような困り顔で、しきりに眼帯やルイーザの顔色をうかがっている。


「私は、あなたがたが交渉をしたいというから足を運んだのだけれど」

 ルイーザは差し出されたペンに触れようともせず、眼帯の男をまっすぐ見返した。

「いつから交渉と監禁が同義語になったのかしら」

「監禁なんて人聞きの悪い」

「悪評を気にするのなら、今すぐ立てこもりを終えることね。外で対等な場所でならば交渉という名にふさわしいやりとりができるでしょう」


「ここが対等な場所ですよ。ここなら貴族の権威も知事の権力も使えませんからね」

「そうね、女性ひとりを男性四人で囲むというのは実に対等だわ」

「ご安心を。もちろん危害などは加えませんよ」

「直接的には、というただしつきでね」


 ルイーザは卓上の紙に目を落とした。内容は先ほど見たし、眼帯の男がご丁寧に読み上げたので了解している。

 蜜鉱脈の所有権譲渡の契約書だ。現在はデュバリが所有していることになっているが、その権利をよこせというのである。


「立てこもりの要求は、採掘者の取り分を増やしてほしいということだったはずだけれど。なぜここにある紙は権利そのものの譲渡について書いてあるのかしら」

 取り分の割合に関しては、ルイーザにはほんとうに交渉する気があった。


 現在は、採掘した蜜鉱の六割はデュバリの町が権利を持ち、残りの四割が採掘者のものになる。

 はじめは採掘者のほとんどがデュバリ住民だったので、それでもよかった。けっきょくデュバリの町のもうけは住民に返ってくるからだ。だがよそからの労働者が増え、蜜鉱の流通も軌道に乗った今では、もう少し町の取り分を減らしてもいいとルイーザは計算していた。

 だが所有権の譲渡というのは少し大きすぎる。


「我々が蜜鉱脈を所有すれば取り分についてもこちらで決められますからね。心配なさらず、デュバリに納めないと言っているわけではないんですよ」

「今までどおり、とは言わないのね」

「そこは考える余地があるでしょうね」


「それで、あなたの言う『我々』『こちら』というのは具体的には誰なのかしら。まさかここにいる四人だけではないでしょう」

「代表はわたしですよ」

 眼帯の男は柔和に笑った。

「教えるつもりはないと受けとっておくわ」


 ルイーザは口を閉じた。四面のたいまつから独特な香りがただよってくる。モンスターよけのお香を塗りこんであるのだ。ここだけではなく洞窟内のかがり火にも同じ加工がしてある。普通のヒュージラット程度のモンスターであれば近寄ってこないだろう。

 採掘者の安全のためにルイーザが指示したことだ。


 眼帯の男が少しうしろを振り返った。さっきから何回か同じ動作をしている。

 見張り役の大男のようすを確認したように見えるが、それは偽装であることをルイーザは見破っていた。

 眼帯が見ているのは大男ではない。うしろに控えた、ひょろっとした中年と視線を交わしているのだ。


(おそらく、うしろの男性が演出家……正面の彼は役者なのでしょうね)

 ルイーザは契約書に視線を戻して、怪しんでいることを気取られないようにする。

 いや、あの男も正犯ではあるまい。脚本家、黒幕はもっと奥にいる。それは誰か。


(少し目立ちすぎたかしら)

 蜜鉱脈の発見は知事として大きな功績である。

 さらに販路の拡大、労働者の受け入れなどで、今まであるかないかわからないような小さな町だったデュバリが小規模ながら注目を集める存在になった。

 それはルイーザにとって成功といえた。


 だが同時に、ルイーザに成功してほしくない者の目をこちらに向けることにもなったのだ。

 今回の事件を引き起こした黒幕は、父侯爵の政敵、対立派閥の誰かだろうとルイーザは推測していた。

 急激な成功がめざわりで、失政させるためにこんな立てこもりを起こしたのだ。


 眼帯の男は何も知るまい。ほんとうに労働者たちのために立ち上がった善意の人なのかもしれない。だがその彼に権利譲渡という不自然すぎる条件をだれかが吹き込んだのだ。

 でなければ、一介の採掘者が鉱脈そのものの所有権など要求するわけがない。


 仮に権利を持ったところで運営などできるはずがないので、だれかにまた売り払うのが関の山だ。

 そして、その転売先には対立派閥の息がかかった者がいる、という寸法であろう。

 かくして蜜鉱で裕福になるはずだったデュバリは、おおかたの利益を奪われて再び貧村に逆戻りする。その責任は知事であるルイーザにある、というわけだ。


(ずいぶん面倒なやりかただけれど)

 直接対立派閥の者が動くのではなく、別の者を動かしてルイーザの評判を下げるためだ。おそらく眼帯の男にいろいろ吹き込んだ中年にしても、対立派閥のだれかに直接つながっているわけではないのかもしれない。


 さらに気がかりなことには、これ以上の販路拡大を防ぐために、外に出たデュバリの使節を妨害するということも考えられる。

 アンバロウは中立派のはずだが、邪魔する方法はいくらでもあるだろう。なんらかの圧力をかけるとか、冤罪をでっち上げるとかして身動きを取れなくすれば、蜜鉱の交渉どころではなくなる。


(……まあ、仮にそうなっていてもマーゴが対処するでしょう。今は他者を心配している状況ではないわね)

 一番危機的状況にあるのはルイーザ本人に他ならない。

 所有権譲渡は論外だし、こうして時間がすぎていくだけでもそのぶん蜜鉱の採掘がストップして、損害がどんどん増していくばかりだ。

 ルイーザのなめらかな額に汗が一筋垂れる。


 壁に掛けられたたいまつのうちひとつが消えた。ふっと周囲が暗くなる。

 眼帯の男はうしろのおどおどした少年に目をやって新しいたいまつをつけるよう指示した。少年はあわてて部屋に置いてある箱に取りに走った。

 眼帯はルイーザに向き直る。


 何か言いかけた男の言葉は少年の、

「うわああああ!」

 という悲鳴でかき消された。

 一同がそちらを向くのと同時に、少年の悲鳴は急にストップした。

 ルイーザの視線の先に見えたものとは……。

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