再びデュバリへ

 北の峠からの帰り道、黒風は上機嫌だった。鼻歌まで出ている。あの場でドルッセンのパーティーに頭を下げさせることに成功したからだ。

 謝罪のあと話し合って、ドルッセンたちはそのまま北の町へ行って峠が通れるようになったことを知らせ、ティリオたちはアンバロウに戻って討伐完了したことを冒険者組合に報告するということに決まった。


 別に北の町への連絡はそこまで急ぐこともなかったのだが、ナンザがフィミアダにいろいろ話しかけまくるのを阻止するために別れることになったのだ。フィミアダはそれでほっとしていた。

「……やっぱりみなさんはすごいです。あの強そうなモンスター相手に無傷だなんて」


「ただでかいだけのおっさんじゃなかったんだな」

 ジルトが戦うのをちゃんと見るのははじめてだった黒風が、見直したというようにうなずいた。

「まあね、キマイラとはなかったが、あのくらいの大きさのやつとはやったことあるからな」


「おっさんとか黒風はともかく、おれは前線張らなかったからすごくはないな。ドルッセンがこころよく共闘を引き受けてくれてよかった」

 そうでなければティリオ自身がヤギの頭と戦うはめになるところだった。戦士としての実力はたいしたことないティリオだったら、無傷ではいられなかっただろう。


「ドルッセンさん、あの人が引き受けてくれたんですか……そうなんですね」

 ティリオとドルッセンのやりとりを聞いていなかったフィミアダは素直にうなずいたが、近くにいたジルトは苦笑した。

「なーにがこころよくだ、煽りまくっといて」

「使えるもんは使えってことだ。楽に倒せたんだからいいじゃないか」


 アンバロウに戻ったティリオたちは組合事務所へ足を運び、ティリオのパーティーとドルッセンのパーティーが協同でキマイラを討伐した、という内容の報告をあげた。

 それから宿へ向かう。

「ハースとゴディに商談再開できるって教えてやらないとな」


 仕事が上首尾に終わった、ということで、黒風のみならずティリオたち全員の機嫌はよかった。緊張が去ったあとの緩和、という雰囲気であった。

「まだ食ってないものもいっぱいあるし、あとでまた市場に行こうぜ」

 宿の前まで来て、しかしそのなごやかな雰囲気は消し飛んだ。


 宿入り口のところが騒然としている。人だかりだ。

 人垣の向こうにアンバロウの衛兵の姿が見える。誰かを連行しているようだ。

 ティリオは目を見開いた。衛兵に囲まれているのはハースとゴディのふたりだった。


 衛兵は人だかりを割ってこちらへ歩いてくる。

 フィミアダがハースらに声をかけようとしたので、ティリオはとっさに彼女の手を引いて口をつぐませた。

「野次馬のふり」

 囁いて、みずからも無関係な群衆のひとりをよそおう。


 ジルト・ウォンドもこころえたもので、巨体ながら店の陰に立つなどして自然に目立たないようにしている。黒風はもとからハースたちにあまり興味がない態度で、指示するまでもなかった。


 ティリオはハースと一瞬だけ目があった。ハースは、しらんぷりをしている冒険者たちの態度を正しいというように目だけでうなずいたようだった。

 ハースたちに対する衛兵の態度は、暴力に訴えるほど乱暴ではないにしろ、丁重とはいえなかった。


(なにがあった……?)

 まわりの人の話に耳をすませたが、急に衛兵がやってきて二人を連れ去ったということしかわからなかった。

「ティリオさん……」

 フィミアダが不安そうな顔でティリオを見ている。顔の上半分が隠れているとはいえ、なんとなく表情がわかるようになってきた気がする。


 そこに、フード付きマントを着た旅行装束の人物が近づいてきた。

「冒険者のみなさん」

 知った顔だった。ルイーザのそばで知事の補佐官みたいな役目をしている、年かさのほうの侍女だ。名前はたしかマーゴ。

「なんでこんなところに?」


 マーゴは三十代くらいの長身の女性で、特にやせぎすというわけではないが鋭角の三角形を思わせる雰囲気がある。ティリオの印象としてはいつも冷静沈着なイメージだったが、今は珍しく急いているようだった。

「ルイーザ様からの指示があります。至急デュバリに戻るように」


「任務がまだ残ってるんですが……」

「そんな場合ではありません。至急です」

「なにかあったんですか?」

「蜜鉱採掘現場で立てこもりが起きました」


「はあ!?」

「声が大きい」

 マーゴは厳しい表情で、

「ぜひともあなたがたの力をお借りしたいとのことです。『蜜鉱の』ティリオさん」


 マーゴはまだハースとゴディがどうなったか知らない。

「ハースさんたちにはわたくしから事情を説明しておきます。そこの宿屋に宿泊しているのでしたね?」

 ティリオが手短に、ついさっき見たことを教えてやると、さすがに驚いた顔をしていた。

「理由とかはまだぜんぜんわかってないんですけど」

 顎に手を当てて考えながら、マーゴはなかば独り言のように言った。

「……いえ、推察はできます」


 続けてティリオたちに視線を戻す。

「こちらはわたくしがなんとかしましょう。冒険者のみなさんは一刻も早くデュバリへ。ルイーザ様が心待ちにしておいでです」

 だがもうそろそろ夕方が近くなるころだ。今日はキマイラと戦って疲労もある。

「宿変えて一泊して明日の朝一で出るのがよさそうだな」

 常識的な提案をしたのはジルト・ウォンドだった。単純に自分が疲れているからという理由もあるが。


「いや……」

 しかしティリオはそれを却下した。

「今から行こう」

「そうしてください」

 マーゴも了承するようにうなずく。

「マジかよ」


「急ぎってことはそのぶん報酬を上げられるってことだからな。なるべく早く行って値段交渉を有利にしたい」

 実利的なメリットをティリオはあげた。だが注意して聞くと、あまり熱意が感じられない口調だった。それに気づいたのはフィミアダであった。急ごうと言ったのは本当に金のためばかりなのか、他の理由があるのではないかと感じられた。


 しかし冒険者として金の話は重要である。ジルトもそれで折れた。

『追放されし者たち』は、もういちど市場を満喫することができないままアンバロウをあとにすることになった。

 マーゴにはハースたちのことの他に、スレナ・ハルーニャに対しての伝言も頼んでおいた。


   ・


 ティリオたちは夜を徹して進んだ。どうせ休息が必要ならデュバリに戻ってから、というティリオの指示である。

『筋力増強』符は二枚しかないのでそれを貼って走るというわけにはいかなかった。

 さいわい道中でトラブルはなく、ティリオたちはデュバリに戻ってくることができた。まっすぐ知事邸へ向かう。くわしい事情をルイーザに聞かなくては。


「ルイーザ様はここにはいらっしゃいません」

 と申しわけなさそうに言ったのは、ルイーザの若いほうの侍女だ。

「人を呼びつけといてか?」

 黒風が低い声で言った。ティリオの言葉だからこの強行軍につきあったが、彼女としてはとっととかたづけて休みたいというのが本心だった。


 それに黒風はルイーザに対してあまりいい印象がなかった。積極的に嫌うほどのつきあいはないが、戦士としての実力がないのに特権階級にいる、というのは黒風としては服しがたい。

 周囲の者は黒風の生まれ育った文化を知らないので単に折り合いが悪いだけだと思っている。


「どこにいるんです? すぐ戻ってきますか?」

 ティリオが聞いた。侯爵令嬢にはタメ口でその侍女には敬語というのもおかしなものだが、本来冒険者は貴族どころかその使用人とも対等に話ができる立場にない。ルイーザが破格なだけだ。


 侍女はぺこぺこ頭を下げながら答えた。

「お嬢様……ルイーザ様はみずから洞窟へ向かわれました」

(総大将が前線に出てくのかよ)

 一番上のやつは本陣でどっしり構えておくべきだと思ったティリオだが、そういえばルイーザには配下の将に相当する部下が少ないのだった。


 マーゴもハースもゴディも出払っているし、町長は老体だから洞窟まで行かせるわけにもいかない。

 目の前で恐縮している子は政治向きの仕事をするための侍女ではないだろうし、もうひとりの護衛はそれこそルイーザの近辺を離れるわけにはいかない。


 そう考えるとティリオたちを急いで呼び戻したのもわかるし、それを待てずに自身で現場に向かわざるをえなかったのもやむをえない。

 つまりは知事の仕事を回すための人手が足りないのだ。補佐役を増やすべきだろうが、

(ま、それは冒険者が考えることじゃないとして……)

 ティリオはメンバーを振り返った。

「じゃあ洞窟に向かうぞ」


 だが、あまりかんばしい反応が返ってこなかった。

「どうした?」

 メンバーを代表してジルト・ウォンドが口を開く。

「おいおい、おれはデュバリに戻ったら休むつもりで無理してきたんだぜ。四十代のカラダをいたわってくれよ」

 ティリオはそれでようやく、ジルトのみならずフィミアダや黒風の顔にも疲労の色が濃いことに気づいた。


「そうか……そうだな」

 たしかに、事態は切迫しているとはいえ、休息しなければ満足な働きはできない。

「じゃあ、疲れが取れるまで休んでくれ。食事と、睡眠だな」

 その言葉に、フィミアダはほっとしたように息を吐いた。だが、次のティリオの言葉にはっとした。

「おれは一足先に現場の状況を確認しにいく」


「ティ、ティリオさんも疲れているのでは……?」

 黒風やジルトも驚いた顔でティリオを見る。顔に出た疲労の度合いでは、ティリオも他の三人と大差ないというのに、自分は休もうとしないとは。

「だれかひとりは早めに事情を把握しといたほうがいい。なに、向こうでだって休める」

 そう言ってティリオはほんとうにひとりで洞窟へと向かっていった。


 黒風があくびしながら、

「何あせってんだあいつ」

「や、やっぱりあせってますよね。そういうふうに見えますよね」

 フィミアダが同意を求めるように二人の顔を見ながら確認した。


「でもなんであせることがあるんだ?」

 理由がわからないと首をひねる黒風に、フィミアダがおそるおそる、自分だけが気づいてしまった重大な真実を告げるように言う。

「……ティリオさんはもしかしたら……好きなのでは……?」


「誰を? ここの隊長をか?」

「隊長じゃなくて知事ですけど……」

「とにかくそいつだ。そうなのか?」

 黒風は単独行動が多かったので人間関係については詳しくなかった。

「うう……」


「だとしてもどうにかなるとは思えねえけどな。身分がちがう」

 フィミアダと黒風がティリオをどう思っているかだいたいわかっているジルトが、その場を取りなすようにそう言った。

 そう言われてもフィミアダの表情は晴れない。

「でも……」

 同士に助けを求めるように、前髪のあいだから黒風をちらっと見た。


「オレは別にあいつが誰を好きだろうがかまわない」

「そ、そうなの……?」

「問題はこっちがどう思うかって話だ」

 黒風はこういう場合にすら勇ましかった。


(おじさんは場違いだなぁ)

 別に盗み聞きしているわけではないのだが、気まずい思いをするジルト・ウォンドであった。


   ・


 デュバリの町から密鉱脈のある洞窟まで森の中を道がつらぬいている。

 こんなに整備されているとは思いもよらなかった。さすがに舗装はされていないが、平らに踏み固められ、邪魔になる木は伐採されてかなりまっすぐな道になっている。


 進みやすい道をしばらく歩いて、採掘現場近くへと到着した。

 つい数ヶ月前にティリオが黒風とともに出てきたときはただの森だった洞窟入り口周辺は、いまやあたり一帯が切り開かれ、建物がいくつもできている。

 ちょうど、デュバリから会堂へ向かう道の途中に宿屋ができて、そのまわりにも家が建って集落になろうとしていたのと同じように。


(さてお嬢様はどこだ)

 洞窟入り口のまわりに人が集まっている。

 立てこもりが起きたという話だから、中に入れないでいるのだろう。

 少し離れたところに知った顔を見つけた。ひげの男、ルイーザの護衛のひとりだ。

「失礼……」

 とティリオは声をかけた。


「これはティリオさん」

 このひげの男は地声が大きい。周囲の連中がこっちに注目する。

「ティリオ?」

「ここを見つけたっていう?」

「あれが『蜜鉱の』ティリオか……」

 などと言い交わす声が聞こえてきた。


 それは無視してティリオは聞く。

「お嬢様がここに来てるって聞いたんですけど、会えますか」

「いや、それが……」

 護衛は口ごもった。

(おい、まさか……)


「ついさきほど、交渉のためにおひとりで洞窟の中へ……」

「はあ!?」

 ティリオは敬語を忘れた。

「単独で!? あんた護衛だろ?」


 護衛は冒険者の無礼に怒りはしなかった。

「ひとりでないと蜜鉱脈を破壊するというので、やむなく……」

「それで出てくるのを待ってるだけか」

 ぐぬぬぬとティリオはうなったが、みずからを危険にさらしても密鉱脈――つまりデュバリの生命線を守ろうとする選択はルイーザらしいといえた。


 彼女はときに無謀な行動を起こす。貴族とも思えないような。

 だから目が離せないのだが……。

 ティリオはなんとか心を落ち着けて状況の把握に努める。

「洞窟の中には?」


「犯人グループが四名。ほかの者は全員外へ出されました」

 ルイーザを入れて五人だ。

「立てこもってから二、三日たってるはずだけど、水や食料はどうなってるんです?」

 冷静になって丁寧語が復活した。

「密鉱脈の近くに詰め所のような休憩やなにかに使うスペースが作ってあります。そこに備蓄されているものを飲み食いしてるのでは、と知事閣下は推測なされていました」


「まずいな」

 ティリオは深刻な顔で独り言をつぶやいた。

「ええ、犯人グループの要求は蜜鉱脈の権利を譲渡しろというものですが、それに応じてしまえばデュバリは……」

「そうじゃない」

「は?」


「洞窟の中にはモンスターがいる」

 昨秋、蜜鉱脈の採掘を開始したときに、ティリオがアドバイスしたことがある。『明かりを絶やすな』『人の声を絶やすな』だ。そうしているかぎり、たいていのモンスターは野生動物と同じように、人の多いところを避ける。


 そのアドバイスを守って、洞窟内には多数のかがり火を置き、また採掘の現場では作業歌を推奨してなるべくにぎやかになるようにした、というのはルイーザから聞いた。

 そのおかげかは知らないが、今のところモンスター被害は出ていないはずだ。

 だが、今はどうだ。


 三日も経っているので篝火は消えているだろう。人も少なくなり静かになっている。

 しかも食い物が備蓄してあるという。いつモンスターが出てもおかしくない状況だ。

 ヒュージラットの群に追われた記憶がよみがえる。

 いや、それよりももっと強いモンスターだって潜んでいておかしくなかった。黒風と歩いたときはたまたま出くわさなかっただけで。


 ティリオは洞窟の入り口に向かって歩き出した。

「ど、どこへ……?」

「行かなきゃしょうがないでしょう」

「交渉が終わるまで誰も入るなと犯人から指示が出ています」

「モンスターが出たらそんなこと言ってるひまもなくなるよ」


 疲労は自覚しているが、休む時間はない。

「もうひと仕事、いくか」

 ティリオは洞窟の中に足を踏み入れた。

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