VSキマイラ

 炎の壁の熱で周囲の雪がとけ、大量の湯気が立つ。『火炎壁』の魔法だ。

「できれば使いたくなかったが……」

 ティリオは渋い顔だ。切り札のひとつだったが、初手で使うはめになってしまった。

 それに炎系の魔法は、使うと符が焼けてしまって魔法紙の再使用ができないからもったいないのだ。


 まあ、そんなことを言っていられる状況ではなかった。ティリオらは斜面をすべりおりてドルッセンの近くまで来た。

 蹴り散らされた地面の雪、その上に落ちた血の赤を見て苦闘のほどを悟る。


 ナンザの傷は深い。

「ヒーラーはいるか?」

 ティリオはドルッセンに聞く。ドルッセンはけげんな顔だ。

「回復してやれよ。時間はおれたちがかせぐ」

「なんだと?」


「おい、こいつらを助けるのか!?」

 黒風が心外だというように言った。

「そ、そんなことを言っている場合ではないです!」

 はやくもナンザを助け起こしながら、黒風に反論したのはフィミアダだった。

「命が危ないので……!」


 黒風は舌打ちしたが、フィミアダには逆らわなかった。

「しかたない。どっちにしろオレたちがキマイラを倒せばいいんだ……どうする、ティリオ?」

 キマイラと戦うことになって、昨日急いでいくつか符を用意したが、どうやら想定していたより大物だ。『火炎壁』もなくなったし、どう戦いを組みたてるか。


 ティリオはドルッセンパーティーのようすを見る。前衛はふたり、ドルッセンは浅傷、ナンザは深手だ。魔法使いが三人。ヒーラーひとり、あとふたりはアタッカーかバッファーか。そんなところだろう。

 全員の服や鎧のところどころに氷がこびりついている。雪道を通っただけではこうはならない。

(なるほど、氷のブレスか)

 とキマイラの武器を推察する。


 そろそろ冒険者たちとキマイラをへだてる炎の壁の勢いが弱くなってきた。

「おっさん」

 いつキマイラが飛び出してきてもいいよう備えながら、ティリオはジルトを呼ぶ。彼に『筋力増強』符を貼って、

「おっさんは正面で注意を引け。ライオンのほうが強い。そっちを」

「やれやれ、しんどくなりそうだなぁ」


「黒風はうしろから矢を射かけろ。ヘビを狙え」

「わかった」

 黒風は炎の壁ごと大きくキマイラを回り込もうと駆けだした。

 やがて轟とライオンの吼え声がして、炎の向こうに大きな影が見えた。

「――くるぞ!」


   ・


 いっぽう、負傷者を抱えたフィミアダは、ナンザを木のうしろまで運んだ。

「ヒーラーの人はいますか?」

「おれだ」

 三人いる魔法使いのうち一番若い男が声をあげた。

「……こ、この人の傷を診てください」


 向こうで戦いが再開された。ヒーラーはナンザを診ながらも、キマイラのほうを気にしている。戦闘中に回復魔法を使った経験がないのだ。

「あっちは大丈夫です」

 とフィミアダが言う。本当はフィミアダも戦闘の音や声がするたびにびくびくしているのだが、それを抑えつけている。ティリオたちならやってくれるはずだ。


「この人の傷はどうですか?」

 彼女の衣服はナンザの血で真っ赤であった。

「だめだ」

 ナンザのケガを確認したヒーラーは無念の表情で首を振った。

「傷が深すぎる。回復魔法が効果を発揮するまでもつかどうか……」


 この状況は、同じだ。

(ミエリちゃんのときと……)

 だが今回のナンザは冒険者だ。戦いの中で死の危険があることは十分覚悟しているはずだ。ましてやこちらをあざけってきた男だし、賭けの敵でもある。

 それにまだ戦闘中のティリオたちがケガを負う可能性もある。そのときに備えてフィミアダは万全の体調でいるべきなのだ。


「どうにかなりませんか」

「この傷じゃ止血も難しい」

 ヒーラーは布で傷口を押さえてはいるが、それもたちまち鮮血で濡れてしまう。

 ナンザがうめいた。脂汗がすごい。血の気が引いている。彼の腹はざっくり切れて傷口からはらわたが覗いた。


(……ごめんなさい)

 自分でもわからない誰かに謝って、フィミアダはナンザの手を取った。ヒーラーに聞く。

「もし、傷の深さが半分になったら助かりますか……?」

「そりゃ半分なら問題ないが、そんな夢みたいなこと言ってどうするんだ」

「わかりました」


 覚悟を決めた。唾を飲み込んだのは、これから自分を襲う痛みに耐えるためだ。

『傷移し』を使う!


 ヒーラーの男は信じられない思いで目を見張った。この呪術師とかいう女がナンザの手を取ったら、傷がみるみるふさがっていくではないか!

 あっという間に彼女が言ったとおり、ナンザの傷は半分ほどの深さまで治ってしまった。

「なんだこの回復魔法は……!?」


 ヒーラーは、今までのいきさつがいきさつだけに戸惑いや感謝などがないまぜになった複雑な表情でフィミアダを見た。それで、彼女の腹からも血が滲んでいるのを発見した。

「おまえ、それは……?」

「この人の傷を半分引き受けました……。これで、助かりますよね?」

 苦しそうにしながら、フィミアダはちょっと笑ってみせた。


「バカな」

 仰向けのままでそう口にしたのはナンザだった。

「なんで助けた?」

「えっ、も、もしかして助けちゃいけませんでした……?」

「違う。おれは敵だぞ。助ける義理なんかねえだろう。それを、おめえ自身が傷つきながら……」


 ナンザはどういう感情なのか、ぐっと言葉につまって、フィミアダを睨みつけるようにしたあと、すぐ顔をそらした。

「ケイネス」

 と自分の傷を診ているヒーラーの名を呼んだ。

「どうした?」

 小さい声で、

「おれの回復はあとでいい。彼女を先にしろ」


   ・


 キマイラの鉤爪がジルトの盾をひっかいて火花が散った。ジルトはなんとか倒れずにもちこたえた。

 反対側では距離をおいて黒風が矢をつがえているが、キマイラの巨体に似合わぬ素早さに狙いが定まらない。何が強いかといって、実はその機敏さがキマイラの最大の武器といえた。巨体だから鈍いだろうと思って攻撃すると、翼を使った跳ねるような動きでそのすべてを避けられてしまう。


「ドルッセン」

 ティリオは近くで立ち尽くすひげの男に声をかけた。

「おまえも戦えよ」

「ああ? なんでおれが……」

「いいのか? このままだとおれたちだけで勝っちまうぞ」


 ティリオはドルッセンを煽る。

「仮にほっといておれたちが負けたらキマイラとおまえらがまた戦うことになる。おまえらだけで勝てそうか? 協力したほうがいいと思うがな」

「おまえらがキマイラにダメージを与えるのを待つって手もあるぞ」

 ティリオは嘲笑した。

「おいおい、さんざんえらそうにしといておれたちのおこぼれをいただこうっていうのか? おれの手からこぼれた酒をペロペロなめたいって?」


 ドルッセンは顔を歪めて、

「誰がおめえらなんかに……!」

 と言うや、武器をかまえてキマイラに向かった。

 急にドルッセンが肩を並べてきたのでジルトは驚いたようすだったが、すぐに場所をあけた。

(おっさんのことだからうまくやるだろ)


 これでティリオの狙いどおり、ジルト、黒風、ドルッセンがそれぞれキマイラの三つの頭を相手どるようなかたちになった。

 キマイラは頭が多いためにいろいろな方向からの攻撃に即応できる強みをもっている。だがそれゆえに弱点も存在するのだ。

 ティリオは、キマイラがその弱点を露呈する瞬間を待つ。


 だが、さすがにキマイラは強い。ジルトもドルッセンも防戦一方だ。筋力を増強したジルトですらキマイラの重い攻撃を受けるのが精いっぱいだ。

 キマイラの冷気のブレスが、『火炎壁』で溶けた地面をふたたび凍結させる。避けたブレスの余波だけでドルッセンのひげがなかば凍りついた。

 後方ではヘビが牙から毒液を発射して黒風を狙う。黒風は木のうしろに隠れて、霧のように襲い来るそれをやりすごすしかない。


 ティリオ自身も剣を持って横からキマイラの注意を引こうとするが、彼の実力では大した役には立たない。

 ジルトの息が切れる。ドルッセンが傷を負う。黒風も、徐々に毒液をよけるのに余裕がなくなってきていた。


 だが、ついに好機がやってきた。ジルト、ドルッセン、黒風が攻撃をしかける。それがちょうど三人同じタイミングであった。キマイラは対応しようとして、一瞬硬直した。

(……今だ!)

 キマイラの弱点はここだ。頭が複数あるがゆえに、完全に同時に処理しなければならないことが起こったときに動きが止まるのである。


 キマイラは硬直からとけて回避行動を取った。信じがたいほどの速さと柔軟さで、ジルトのショートソード、ドルッセンの斧、黒風の矢をすべて外した。

 ……だが、一瞬の隙を狙って投じられた四人目の攻撃は避けられなかった。

 ティリオの符がキマイラに貼りつく!

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