矢を放て!
いったんは停止したゴーレムが再び顔をあげた。破壊された四つの水晶玉の中央に、水面に浮かぶかのようにもう一つの水晶玉が姿を現した。
ゴーレムが再起動する。
「あっ、まずい……!」
ゴーレムの右手が分身を狙っている。分身は与えられた命令を終えて棒立ちになっている。今から命令を送りなおす時間はない……!
火炎が無防備な分身を襲った!
次の瞬間、両膝をついて苦しい顔をしたのはフィミアダだった。黒風はダメージを受けずにいる。
すんでのところで人形と黒風の『つながり』を断ち切ったのだ。
ただし手順を踏まなければならないところをむりやりに切ったので反動が来た。みぞおちに強烈なパンチを食らったような不快感と、大岩を打ちつけたような頭痛がフィミアダを襲い、彼女は膝をついたのだった。
「おい、どうした!?」
「大丈夫……です」
反動は一瞬でおさまる。苦痛の余韻が残っているだけだ。フィミアダはなんとか立ち上がった。
黒風はその様子を見て、フィミアダが自分の身をけずって黒風にダメージが行くのを防いだことを知った。
(ティリオみたいなことをしやがる)
だが、分身がただの人形に戻った今、再び動き出したゴーレムを相手にどうすればいい?
フィミアダは口の中に込み上げた少量の胃液を、唾といっしょに脇に吐き出した。口をぬぐう。
「せめて、ザスくんだけでも逃がさないと……」
「いや、倒す」
黒風の目には、火炎を食らっても壊れず床の上に残っている弓と矢が見えていた。
分身が火を食らった瞬間に床に落としたせいか、熱の直撃をさけることができたのだろう。ゴーレムの火は分身の頭部を狙っていた。
「玉はあとひとつ。一撃当てればオレたちの勝ちだ」
「でも……どうやって?」
剣は届くまい。弓にしても片手では射ることができない。
黒風がゴーレムを倒すプランを口にした。
フィミアダは驚きの表情になった。
「本気ですか? ほんとにできると……?」
「やってダメならまた考えりゃいい。ウダウダ言ってるよりはな」
黒風はにやりと笑った。
「どうだ? オレを信用できるか?」
さっきのセリフを返されて、フィミアダも微苦笑を浮かべた。
「わかりました。……やってみましょう」
「よし、いくぞ!」
二人は駆けだした。
ゴーレムを回り込むように走って、弓矢を拾い上げた。黒風が弓を、フィミアダが矢を。
二人はぴたりとよりそった。
そして、黒風が左手で持つ弓の弦に、フィミアダが右手で持つ矢をつがえた。
ふたりで一矢を放つ! それが黒風のプランであった。が、そううまくいくのか、どうか。フィミアダは弓を持ったことすらない。
「狙いはオレがつける。おまえは引き絞った矢を固定することに集中しろ!」
「はいっ」
ゴーレムが左腕をあげた。二人まとめてたたきつぶす気だ。
狙いがなかなか定まらない。緊張のなか黒風は焦りを深呼吸に変えて体内から追い出し、無音の集中を得る。
ついに黒風がゴーレムの水晶玉に狙いをつけた。
「雛を巣に戻すみたいにそっと手を離せ……今だ!」
フィミアダは射た。ゴーレムが腕を振り下ろすのと同時だった。
二人の矢は見事にゴーレム顔中央の水晶玉に命中し……、音を立てて跳ね返された。
不自然な姿勢での射撃だったせいで威力が不足していたのか?
ゴーレムの攻撃を避けるすべは二人には残されていない……!
そのとき、遅れて水晶玉にひびが入った。たちまちひびが大きくなり、ゴーレム五番目の水晶玉はついに砕けちった。
ゴーレムの機能が停止し、伸びていた左腕の長さが元に戻る。黒風の鼻先ぎりぎりをかすめてどさりと地面に落ちた。
間一髪であった。今さらに黒風は冷や汗を流す。
「やりました! ……もう復活しないですよね?」
フィミアダが喜び半分警戒半分でゴーレムを観察するが、さすがにもう一度起動することはなかった。
「あはは……」
フィミアダは腰が抜けてその場にへたり込んだ。
黒風はフィミアダに片手を引っ張られるかっこうになり、座り込みはしなかったものの、床を見ながら大きな息を何度かした。
少ししてもフィミアダが起きないので、黒風はクモの糸でつながった手を引っぱって彼女を立ち上がらせた。
「まあ、なんだ、その……よくやった」
それを言うあいだ黒風は決してフィミアダの顔を見ない。
フィミアダはその言葉に決心がついたというように黒風に言った。
「お願いがあります」
「?」
「あたしに戦いかたを教えてください」
最初の戦闘――ティリオとジルトに守られてオーク・オークの群の中でなにもできなかったあのとき――以来、考えつづけていたことだった。
前に出て敵をなぎ倒すような強さがほしいわけではない。ただ、足手まといにならないくらいの……フィミアダを守るために他のメンバーがずっと気を張らなくてすむくらいの戦闘力がほしかった。
「ひとつ条件がある」
と黒風は言った。フィミアダが見ると彼女はまた目をそらした。
「なんですか?」
「……その……だな。……オレを……に……」
赤い顔してもごもごしている。
「あの……?」
「オレをパーティーに入れるんなら教えてやってもいい」
やや早口で黒風はそんなことを言った。
「あ、入りたかったんですね……」
「うるさい。どうなんだ!?」
「あたしは反対しません。でもティリオさんたちに聞いてみないと……」
もっとも、彼らが反対するとはフィミアダには思えなかった。
「じゃあ交渉は成立だな」
黒風も同じように思っているようで、もうパーティーに入ったみたいな顔をしている。
「パーティー加入ってなると、ひとつ言っとくことがある」
「なんでしょう?」
「ティリオのことだが、おまえ、あいつのこと好きなのか」
「あ、あ、あたしはその、好きとか……尊敬というか……」
「わかった。言っておくぞ……」
黒風はすっと真顔になった。
空気が緊張したようであった。
「オレはティリオに、肩を組んで横から抱かれたことがある」
自分の縄張りを主張するような黒風のセリフであった。
フィミアダが応戦する。
「あ、あたしはティリオさんに抱っこしてもらったことがありますっ」
「それはケガしてたからって聞いたぞ」
「そっちだって足のケガのときでしょう!」
フィミアダと黒風は至近距離で睨みあった。
次の瞬間、二人は吹き出し、声を合わせるようにして大きく笑った。
笑い声に誘われるように、ザスがキャビネットのうしろから顔を出した。……
・
ティリオとジルトは遺跡の入り口に来ていた。周りにはヴェガルドル、トマスとディヴィの親子、それにザスの母親の姿もある。
「お願いします」
母親が涙をこらえながらそう口にした。冒険者に対する祈りの言葉であった。
張りつめた空気が周囲を支配している。ダンジョンには何があるかわからない。はたして、ザスのみならずフィミアダと黒風も無事かどうか――。その懸念がティリオの顔を険しくしている。
装備は万全だ。
いつでも、ダンジョンに入るときには緊張する。まるでドラゴンの口の中に踏み込んでいくような恐怖があった。経験が豊富な冒険者でもそうだ。緊張感を失ったやつは早死にするのだ。
「よし……行くぞ」
「おう」
二人の熟練冒険者が今、ダンジョンへ足を踏み入れる!
……というタイミングで、フィミアダと黒風がザスを連れて談笑しながら戻ってきた。
「あっ、ティリオさん……来てくれたんですね」
「おう。オレはおまえらのパーティーに加入することにしたからな」
「お母さん!」
「ザス! よく無事で……!」
「ほらディヴィ、謝りなさい」
「ごめんよ……」
どんどんまわりの話が進んでいく中、かっこよく一歩を踏み出した姿勢のままのティリオとジルト。
ヴェガルドルに、いたわるように肩に手を置かれて、ようやく振り返った。
「……え? おれたち出番なし……?」
・
……また、生成する糸も鋼の強靱さをもっており、刃物で切れず熱や酸にも耐性をもっている。巻きつけられたら脱出することは困難である。ただしおよそ半日でその特性は消失し一般的なクモ糸と変わらなくなるため、あわてず時間の経過を待つとよい。待つだけの余裕があればの話だが。……(『モンスター名彙』ハガネグモの項)
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