二人の仲はクモの糸

 黒風はフィミアダから事のあらましを聞いた。それでフィミアダが焦っているわけがわかった。

 少しばかり意外だったのは、フィミアダが黒風に迷わず助力を頼んできたことだ。

「嫌われてると思ってたけどな」

 初対面のときは警戒感丸出しだったし、その後は全然話しかけてこないので、黒風がそう思うのも当然であった。


「あ、あたしがですか? ……あたしのほうこそそう思ってました」

 フィミアダにしてみれば、黒風はティリオとジルトとはよく話しているのに自分は無視されているような感覚だったので、こちらもそう思うのは無理なかった。

 お互いがそう思っていたと知って、二人は妙な顔を見合わせた。

 それも一瞬のことで、お互いから視線を外して前を向いた二人の視線の先に、遺跡の入り口が姿を現した。


「行きましょう」

 決意の声で言って、フィミアダは逆茂木の間を抜け、板をどけて遺跡の中へ入っていった。

 黒風も続こうとしたが、フィミアダがすぐ戻ってきた。

「どうした?」


「明かり、ありませんか……?」

 フィミアダは恥ずかしそうに言った。

「ああ、そうか。光がいるな」

 ティリオと洞窟を進んだときは、彼が魔法の光を使ったので、あらかじめ自分たちで用意するという意識がぽっかり抜けてしまっていた。


 言われて気づいた、という黒風の態度に、フィミアダは首をかしげた。

「ダンジョンに慣れているんじゃないんですか?」

「は?」

「ひとりで夜の森を探索できるくらいだし……」


「森とダンジョンじゃ全然違うだろ。そっちこそ冒険者っていうんだからダンジョンに潜ったりしてるんだろ」

「あ、あたしは初心者なので……」

 どうやら、お互い相手はダンジョンに慣れているものだと思い込んでいたらしい。そして、どっちも慣れていないのが現実だ。


「どうやら」

 と黒風が顔をしかめて言った。

「双方、相手のことを何も知らないらしい」

「そうですね……」

 フィミアダもしみじみそれを感じていた。ほとんど話をしていないのだから、当然ではある。


「ダンジョン初心者二人か……」

「ふ、不安になるのでそういうことは言わないでください」

「ティリオが来るまで待つか?」

「……いいえ。ザスくんが怯えているかもしれない」

 急ぎ、ヴェガルドルに松明をもらってきた。火をつけてようやく中へと入った。


 フィミアダは、前に火を振りうしろに火を振り、落ち着かないようすで闇を照らしていく。

 壁や床の石組みは精緻で、指でなぞっても石の継ぎ目がわからないほどであった。埋まっていただけに風化をまぬがれている。

 フィミアダにはわからないようだが、この建築は古アルダ様式だ。石の組み方と柱のかたちに特徴がある。


 黒風は知っている。魔王領の古い建物にこの様式が使われているからだ。たとえば、魔王城。

 ここは五〇〇年前、大魔王の手の者によって建てられたのに違いない。黒風はもはや戻れない魔王領への郷愁が不意打ちのようにわいてくるのを感じた。

(こんなところで)


「ザスくん、いますか?」

 フィミアダが呼びかける声は闇へ吸われていくようだった。返事はない。

 すぐに正面に壁がたちふさがり、左右へ分かれるT字路になっていた。

「その、右で……」

「オレなら左だな」

「根拠はなんですか?」

「そっちこそ根拠はあるのかよ」

 ひと悶着あったが、けっきょく黒風が投げ出すかたちで右になった。


 少し行くと広い空間になった。

 右側の壁は変わらず続いている。左側の壁が消えて、松明の光が届かないほど広くなっていた。

 左側の床が段になって下がっている。何段あるか、どこまで下がっているかまでは見通せない。風呂場みたいにちょっと下がっているだけかもしれないし、一〇〇人も並んで降りられるほど幅広の階段が地の底まで続いているのかもしれなかった。


「ザスくーん……」

 振り回した松明がなにかに引っかかった。

 クモの糸だ。なんという強靱さだろうか、注意してみなければわからないほど細い糸は、松明の炎に炙られても切れずにいる。

 こんな糸を出すのは、闇に巣を張る盲目のハガネグモしかいない。

 次の瞬間、二人の真上から、人間ほどもあるクモが襲いかかってきた!


 黒風は瞬時に抜剣して下からクモの腹を斬り上げた。虫の柔らかい腹はひとたまりもなく切り裂かれるはずだった。しかし黒風の剣は、金属を叩いたような音をさせて跳ね返された。

 全身が金属性の外骨格でおおわれた巨大グモ……それがハガネグモだ。


 奇襲が失敗したハガネグモは床に降り立った。ガチガチとあごをかみ合わせて威嚇する。

 フィミアダでは対抗できない。必然的に黒風が前に出るかたちだ。

 黒風が目だけ振り返って聞く。

「おまえ、戦えないのになんで冒険者やってるんだ?」

 フィミアダは黒風の剣で急所を突かれたような顔になる。素朴な疑問に言い返す言葉もなかった。


 黒風は刃を水平に、突きのかまえになる。鉄の外骨格は斬れない。ならば弱いところを狙って刺すしかない。

 獲物めがけてクモが跳んだ。

 弱いところ――それは開いたあごの中だ! 黒風が突き出した剣はカウンターのかたちで見事にハガネグモの口をつらぬいた。


 しかしクモの跳躍の勢いプラス、はげしく暴れる脚が黒風を直撃した。一瞬くらっときた黒風は、左側の段差へ落ちかける。

「あぶないっ」

 フィミアダが松明を持っていないほうの左手をのばし、黒風の右手をつかんだ。黒風も握り返す。それでなんとか落ちずにすんだ。


「だ、大丈夫ですか……?」

「借りたとは思わないからな」

「べ、別に貸しとか……」

 言い合っているところへ、死へ向かうハガネグモの最後の一手、腹を曲げて尻の先から激しく糸を射出する。糸はまっすぐ飛び、つないだままの二人の手をみるみるからめとってしまう。


 ハガネグモが動かなくなったときには、二人の手は糸でぐるぐる巻きになってしまっていた。

 黒風はぶんぶん手を振ってみた。鉄で溶接したみたいにびくともしない。

「取れないな」

「ど、どうしましょう」

 フィミアダはうろたえている。


 火で炙ってみたが、中の手が熱くなるだけだった。細い一本の糸でも火に耐えたクモの糸だ。こうまでがっちり固められてはどうしようもない。

 壁にぶつけてみる。金属性の硬い音がして、二人の手がしびれた。

 思い切って剣で切りつけてみる。跳ね返された刃が、あやうくフィミアダの腕を傷つけてしまうところだった。

「取れませんね……」

 お互い気まずい顔で見つめあった。これでは動きが非常に制限されてしまう。


「すみません……」

 フィミアダが謝る。

「別におまえのミスじゃない」

 黒風はぶっきらぼうに答えた。


「そのことじゃなくて」

「なんだよ」

「あの……戻ったほうが安全とは思うんですけど……このまま行きましょう」

 すみませんとはそのことであった。

 意外なセリフに、黒風は思わず彼女をまじまじと見た。


「正気か? あんなモンスターが出るんだぞ。このままじゃ……」

「そうです。モンスターがいるから、このままじゃザスくんが心配です。だから、このまま進まないと……」

 態度は弱気なのに言ってることは無謀スレスレだ。黒風が彼女に抱いていたイメージとはだいぶ異なる。

(子供のせいか?)

 子供が危険にさらされること、置き去りになることに我慢がならない思い入れでもあるのだろうか。


 黒風としては、あくまで自分たちの安全を優先して引き返すと言うべきだったのかもしれない。それが冷静な判断というものだ。

 だが、松明の照り返しを受けて赤くなったフィミアダの真剣な顔。怖いくせに前へ進もうというその態度に、

「次に敵が出てきたら容赦なく振り回すからな」

 と言ってしまったのだった。言ってから黒風は自分のセリフにいまいましいとでもいうように舌打ちした。


 まっすぐ歩くだけでもフィミアダは相手のことを意識してギクシャクしてしまう。

「遅い!」

 それを黒風が無理に引っ張るようにしていく。

「痛いですよ」

「だったらもっと速く歩け」

「そっちがゆっくり行ったほうがいいんじゃないですか」


 進んでいくと通路はもとの幅に戻った。道なりに左に折れてさらに行くと、扉が道をふさいだ。

 金属製のがんじょうそうな扉だ。年月を経ても錆びひとつ浮いていない。

 どこにも引き手やノブのようなものが見当たらない。

「どうやって開けるんでしょう……」


 黒風が扉にてのひらを押しつけるようにすると、扉はかすかに震えながら横へと動いた。

「さわったら自動で開くらしいな」

 驚いているフィミアダに、言い訳のように黒風は説明した。

「えっ、これ……」

 さらにフィミアダが驚いたことに、扉の先は闇ではなかった。壁、天井、床、石自体がうっすらと発光していて、視界に不自由しないほどの明るさがある。


「パーマネントエンチャントだ」

 と黒風は言った。

「パーマネント……?」

 フィミアダは知らなかった。

 物に魔法を付与するエンチャントの、効果が永続するタイプのものだ。周囲の空気などから少しずつ魔力を集めて効果を続かせるようにしてある。


 黒風の知るかぎり、エンチャント系の魔法は魔王領のほうがはるかに発展しているようだ。まあ黒風は王国についてはデュバリしか知らないのだが、それでもそう感じる。

 こちらの国では口誦魔法という、その場で魔法を組み立てるような原始的な魔法が幅をきかせているというではないか。

 黒風がティリオの符術に驚きを見せなかったのはエンチャント系の魔法と似ているからだった。


 松明はひとまず必要なくなった。火吹きワニの革でできた難燃バッグをかぶせて火を消す。こうすればフィミアダの片手が空くし、松明を無駄に燃え尽きさせることもなく再使用できる。

 とあっさりいったが、実際は二人とも片手しか使えないので、バッグを取り出して広げるだけで一苦労だった。

 ちなみにこのバッグは松明といっしょにヴェガルドルに借りてきたものだ。


 左へ分かれる道があった。フィミアダと黒風は顔を見合わせて、同時に言った。

「まっすぐ」

「左」

 お互い違うほうを指す。また意見が割れて睨み合うようなかっこうになったところで、左のほうから何か重いものが移動しているような音がかすかに聞こえた。二人はまっすぐの道を選んだ。


 左手に、今度は部屋の入り口が見えた。さっき通路をふさいでいた扉と違って、こちらは普通のドアのようだった。ただし大きさは普通ではなく、天井いっぱいまで高さがある大きなドアだ。

 手応えは思ったより軽く、フィミアダの片手で楽に開いた。

 中は部屋いっぱいに棚が並んでいて全体が見通せない。

「ザスくん、いませんか……?」

 すると奥のほうで、かたりと音がした。

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