突破口はここに

 呼吸が落ち着くのを待って、二人は再び歩きはじめた。

 ティリオが大げさに天を……洞窟の天井を仰いだ。

「ああ、符の回収は無理だろうな……もったいない」

 オークとの戦闘で木に貼った『魔力弾』符と合わせて、二枚も失ってしまった。


「それで……なんだっけ」

 ティリオはラットとかけっこする前にしていた話を思い出した。

「そうだ、オークの話だ。向こうから攻撃してきたんだっけ?」

「ああ、そうだ……」


 黒風は周囲の暗闇が気になるようだ。さっきの襲撃が尾を引いているのだろう。

 闇からの奇襲はダンジョンにおいてはありふれた危険のひとつだ。ティリオももちろん、話をしながらも五感を働かせて警戒している。もっとも、単純な感覚の鋭さでは黒風のほうがはるかに上のようである。


 周囲を警戒しながら黒風が言うことには、オークを倒してもどんどん攻撃してくるので、巣があるなら壊さないと狙われ続けると思った。反撃しつつ進み、オークの森にたどり着いた。そこで群れていたオークたちを追い散らしたのだという。


 流暢に黒風が語ったわけではない。彼女の話はすぐに途切れた。時間をおいて聞いたり、何度も促したりしてやっと聞き出したのだ。

 その間足は停めずに歩き続けている。走ったのも合わせて、もうかなり歩いたはずだ。だがまだ出口は見えない。


「オークの攻撃がやんだなら、その場を離れてもよかったんじゃないか? オークの森にとどまれば反撃を受ける危険があるだろ。実際そうなったわけだし」

「土地勘がないし、それに……」

 言いさして、黒風は口をつぐんだ。さりげなく『光明』符をそっちに近づけると顔をそむける。その頬が紅潮している。

「それに?」


「……どんぐりが好きなんだ」

 恥ずかしそうに言った。

 ちゃんと調理したどんぐりは白パンよりうまい、と主張していた冒険者がいたのを覚えている。彼もレンジャーだった。野外生活が多いレンジャーは自然とどんぐりに惹かれるのだろうか。


「ああ……」

「うっさい! なんでもいいだろ!」

 ティリオが何か言おうとしたのをかき消すように、子供みたいに怒鳴ってすねた。食欲のために居座ったのをティリオに何か言われると思ったのだろう。

「いや、おれは別に……」


(しかし、ヴェガルドルにはそのまま言うわけにもいかないか)

 ありのままを説明しては農園の住民が黒風を憎む危険性がある。

 ティリオの考えでは、農園が襲撃された遠因は黒風にあるとしても、直接の原因ではないし、責任があるわけでもない。


(『借りた相手にもうけを支払う』こともないだろ)

 必要のないことをする、という意味のことわざだ。ティリオは黒風のことは言わないことに決めた、ということである。実際悪いのはオークだし、それ以上の責任を追及することはない。そのほうがおたがいのためだ。

 そんなことを考えながら角を曲がる。

 そして黙って足を停めた。


 まっすぐ通路の先の方にぽつんと光が見える。

「出口だ……!」

 きっと彼女は暗いところが嫌いだったのだろう、光が見えた途端ぱっと顔を輝かせて、黒風が駆け出した。

 だが、まだ『光明』符の範囲と見えた光の間には闇の空間が横たわっている。たちまち黒風の姿はティリオから見えなくなった。


「おい、危ない……!」

 ティリオが制止したのと同時に、

「うわあっ!?」

 黒風の悲鳴があがった。少しの間のあと、下のほうでどさりと落ちた音、それから

「うぐっ」

 という黒風の声が届く。


(落ちたな)

 どこかで地面が急に下がっているのだろう。遠くの情報に気を取られて近くの危険に足を取られるというのは冒険者でもありがちなことである。特にダンジョンは思ったより閉塞感がすごいから、慣れていないと妙な行動を起こしやすい。

 黒風が初心者だとわかっていたのに勝手に行かせた自分の落ち度だ、とティリオは感じていた。

「大丈夫か?」


 案の定、地面の一部が穴のようになっている。幸い落ちて死ぬような高さではなかった。ちょうど二階から一階へ落ちた程度の高度である。

 ティリオは『光明』符を貼った剣を差し伸べて下のようすを見ようとしながら、

「上れるか?」


「無理……」

 痛みをこらえるような弱々しい声が返ってきた。

(落ちたときにケガしたな)

 ティリオは剣の鞘を下に投げ下ろし、その光めがけて飛び降りた。


「なんで、降りてきた……?」

 信じられないといった顔で黒風がこちらを見ている。

「なんでって、上れないんじゃしょうがないだろ」

『治癒』符を用意しながら歩み寄った。

「おまえ一人で出られただろうが!」


 そう言われて、ティリオは手を打った。

「なるほど、言われてみれば!」

 穴は左右によけられる程度の大きさだったから、行こうと思えば脇を通って出口へ行けたのだ。

「全然思いつかなかった。そうか、そうすればよかったのか」


「そうだ。オレを見捨てていけばよかった」

「外へ出て助けを呼べばよかった……ん?」

 二人同時に言って、思わず見合った。

 一人でここを出る、ということの意味が食い違っている。


 ティリオは気にせず、かがみ込んで彼女の足を診る。黒風の表情で負傷箇所の当たりをつけた。

「足首か?」

 布で足首を固定し、『治癒』符を貼る。

「お、おまえはなんなんだ? なぜオレを助ける!」

 手当てした猫が威嚇してくるみたいな黒風の態度に、ティリオは思わず笑ってしまった。

「なぜ助けるって言われても……そのために冒険者やってるみたいなところがある……らしい」

「まるでわからん」

「だろうな」


 黒風は近くの岩につかまって立とうとした。立てるが、捻ったほう……左の足に体重を乗せることはできない。諦めてまた座った。

 黒風はティリオの顔をチラチラと見る。

 自分の固定された足首に視線をやる。あまり巻き方が上手くない。

 そういえば、ティリオがこの布を巻くときにほとんど片手でやっていたようだ。


 あらためて黒風がティリオの様子を見ると、彼の左腕はだらんと垂れ下がっている。それを見て彼女の目が大きく見開かれた。

(いつからだ……?)

 さっき歩いていたときは? ネズミに追われて走っていたときは?


「おまえ、その腕はなんだ」

「あ、ばれたか」

 ティリオは照れたように言った。

「暗いからごまかせるかと思った」

「オレを受け止めたときだな!」

 遺跡に落ちた、最初からだ。


「その前にオークに一撃食らってたんだよ」

 だが、黒風を抱きとめたときの衝撃でさらに悪化したというのは正解だ。

「だったら、この符……回復魔法」

「それだよ。いや、おれに使わなくてよかったよな」

 あっけらかんとそんなことを言うティリオに、黒風は沈黙した。


 たしかに今回みたいに歩き回る必要がある場合は片手より足が使えなくなったほうが不便なので、回復の優先度は黒風のケガのほうが高い。ティリオの言葉には合理的な理由がある。

 だが、ティリオが腕を痛めたときには、黒風はぴんぴんしていたのだ。足を捻ることを予測できたわけがない。

(何があるかわからないからって、ギリギリまで使用を控えてたのか……)


 しばらく経ってから黒風は気まずそうに口を開いた。

「まあ、なんだ……その、いろいろ……世話になっ」

「あっ」

 黒風が何か言おうとした瞬間にティリオが声をあげた。

「奥に続く道があるぞ」

 ここは完全な縦穴ではなかったのだ。ティリオは黒風のほうを向いた。

「行ってみよう。それで、何か言ったか?」

「……何もっ」


 立ち上がった黒風を、脇からティリオは支えた。彼女の腕がティリオの肩に回るようにし、ティリオは背中から右腕を回して彼女の体をしっかりつかむ。

「なっ! おまえっ」

 黒風は顔を真っ赤にして抵抗しようとしたが、足の痛みはどうしようもない。

「おれの回復魔法は遅いからな。それまで待ってるわけにもいかないだろ」

「おまえは……ほんっと……」

 まだ顔を赤くしたまま、黒風はぼそぼそと言い返した。

 でも、もう抵抗しなかった。


 黒風が言うには、進む先からも風の匂いがするという。別の出口があるのだろう。

「距離まではわからないけどな」

 ティリオは、まだピンチが去っていないことを知っている。空腹を覚えはじめているのに食料を持っていないのだ。

 洞窟で食料が見つかる可能性は、ゼロではないにしろ低い。動けなくなるまでに洞窟から出なければならない。

 ティリオがケガをした黒風を歩かせたのもそういう事情があった。


 しばらく歩いた先で、『光明』符が照らし出す先に横穴があるのが見えた。

「そっちじゃないぞ」

 黒風の指すのはまっすぐの道だ。通過の際、横穴を覗き込んで、ティリオは立ち止まった。

 あるものを発見したからだ。ティリオの目が驚きに見開かれた。

「こ、これは……!?」

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