黒い風と地下を行く

 地下の穴を落ちていくティリオ。

『筋力増強』符の最後の力を使ってティリオは着地、一緒に落ちていた若者の体をキャッチした。

(……ん?)

 その際に何か違和感を覚えたティリオ。だがその感覚について深く考えるより先に、上を見上げた。

 落ちてきた穴の、かなり上の方で光が射している。二階建ての『錆びた斧亭』の屋根から落ちたくらいの高さはありそうだ。


「おーい!」

 声は周囲の空間に反響して消えた。上へ届いたのかどうかわからない。

 すると、

〈だ、大丈夫ですか〉

 と、フィミアダの言葉が声でなく直接頭の中に届いた。


 ティリオは目をむいたが、すぐに理解して、頭の中で言葉を念じて返す。

〈これも呪術か〉

〈はい。あの、『繋ぎ語り』っていって……〉

 小箱に髪の毛を入れた三人の『つながり』によって、声を介さない通話ができるようになったのだ。

〈あたしとでないと通話できないんですけど……すいません〉


〈なんでもいいや。とにかく、きみらはすぐにこの場を離れて安全なところへ逃げろ〉

〈ティリオさんは……?〉

 声ではないのに、フィミアダ独特の震えるような不安そうな声音までわかって、ティリオは思わず笑みをこぼした。


〈おれはどうにでもなる。差し迫った危険をかわすのが第一だ。ジルトのおっさんもそう言うだろ〉

〈でも……いえ、はい、わかりました〉

 フィミアダはしっかりと答えた。そう、冒険者ならばそうすべきなのだ。ぐずぐずして誰も助からないような愚を犯してはいけない。


 通信は切れたようだった。

 しかし、この『繋ぎ語り』という魔法もおそろしく使いでがありそうだった。離れたところでの同時行動や、声を出せない状況での意思疎通など、有効な場面がすぐに思い浮かぶ。

 ひょっとしたら呪術はもっとも過小評価されている魔法体系なのかもしれない。


「……おい!」

 険悪な声に気がついてみると、一緒に落ちてきた若者が体をよじっている。ティリオは、まだ抱きとめたままだったのを思い出した。

「どうした?」

「下ろせ」

 言うとおりにした。わずかな光の下でも、不機嫌そうにしているのがわかる。


 数ある符の中から『光明』符を探り当てて剣の鞘に貼ると、周囲がぼんやりと見えてきた。こんなときのために『光明』符だけ触ってわかるように角に欠けを作っておいてよかった、と内心ほっとしている。

「きみは誰だ?」

 と、隣で立つ若者にティリオは質問した。今となってはこっちが質問する資格くらいあるだろう。


 相手はティリオを睨むようにしながら少し考えていた。やがて慎重に口を開く。

「黒風と……呼ばれていた」

「じゃあおれもそう呼ぼう」

 二つ名のようなものだろう。本名を知られたくないのか。冒険者の中にはそういうやつもいたので、ティリオはことさら不審に思うことはなかった。

「おれはティリオだ」


 魔法の光の下で、あらためて目の前の人物を見やる。あまり見たことのない様式の服を着ている。前が開いていて、左右を合わせていくつもの紐を結んで固定するスタイルだ。

 前開きの服は王国でも着られているが、ボタン留めのことが多い。複数の紐結びははじめて見た。


 黒風は全体的に細身で、筋肉などの凹凸が少ない。青年というよりも少年のような体型であった。顔立ちは中性的で、髪型も無造作に切った短髪だ。だからさっき抱きとめるまでティリオは気づかなかったのだ。

 彼女が女性であることに。


「……なんだよ?」

 ティリオの視線に黒風が威嚇するような目で睨み返す。

「いや」

 彼女から視線を離して、ティリオは周囲を見やった。

 洞窟だ。空気がひやりとしている。天井まで光が届かない。二人が今いるのは大きくふくらんだ広い空間だ。


 右と左、両方に穴が続いている。

「どっちがいい?」

「右から風が吹いてる」

 そんなのも気づかないのか、という口調だった。

 手をかざしてみたがまるでわからない。ティリオが鈍いのではなく彼女が空気の流れに敏感なのだ。


「じゃあそっちに行こう。風の魔法が使えるのか?」

「オレは魔法使いじゃない。空気の流れくらい感じとれるだろ」

「魔法が使えない? じゃあ最初のときのあの声は魔法じゃなかったのか」

「声色を使って風に乗せただけだ」

 名前が黒風というだけあって、風を使うのが得意なのだろうか。


 二人は歩き出した。

 ティリオの目に、黒風の腰の剣が目に入った。

「剣は使えるのか?」

「試したいか?」

 黒風は柄に手をやった。どうも喧嘩腰でいけない。

「いやいや、モンスターが出たときに備えて知っときたいだけだ」

 ふん、と鼻を鳴らして黒風は剣の柄から手を離す。


「弓が上手いのは見たが、今は持ってないんだろ?」

 穴に落ちたときに手放していた。地上に残っているはずだ。

「ない。が、オレは剣士でもある」

「それはよかった」

「おまえは魔法戦士だな?」

「本業は魔法使いだがな。剣は必要に駆られて、って程度だ」


 歩いている途中で何度か『繋ぎ語り』を試してみたが、フィミアダにはもう繋がらなかった。距離の問題か、あるいは術者のほうから繋がないといけないのかもしれない。


 ティリオはおもむろに、

「ここから北西のほうに農園があるんだが、そこがオークに襲撃された。普段なら森から出てこないようなタイミングでオークが出てきたから、原因を探りに来たんだ。冒険者としての仕事で」

「冒険者……というのは汎傭人のようなものか?」

「汎傭人? 聞いたことがないが……そういうのがいるのか」


「いや、なんでもないっ」

 黒風は、まるでまずいことでも言ったみたいにぷいとむこうを向いた。

(冒険者を知らず、汎傭人というのがいる地域から来た……?)

 まあ、彼女の素性はあとでいい。そういうのを詮索しないのが冒険者でもある。


「どうやらオークが出た原因にきみが関わっているんじゃないかって気がしてるんだが……よかったら教えてくれ。責めるわけじゃない」

 返事はすぐには戻ってこなかった。

 ティリオは代わり映えないごつごつした洞窟の先を見やる。『光明』符の光が届かない先は完全な闇だ。


 土中の静寂は死に似ている。二人が立てる音しか地下には存在しないかのようであった。

「オークというのはあの豚どものことだな。言っとくが向こうから攻撃してきたんだ。オレからしかけたわけじゃあ……」

 黒風の言葉は途中で途切れた。

 理由はティリオにもわかっていた。


 光が届かない背後に気配がある。

 足音をさせずにひたひたと追ってきている。洞窟に住むモンスターだ。おそらく一匹や二匹ではない、かなりの数だろう。光の範囲の外から、二人のようすをうかがっている。

 つまづいて転ぼうものならその瞬間に襲ってくるような、張り詰めた気配であった。


 黒風が立ち止まって振り返った。剣の柄に手をかけている。

「あっ、おい……」

 こういうときには素知らぬふりで歩き続けたほうがいいのだ。隙を見せなければそのうち離れていく場合もある。

 が、ダンジョン初心者らしい彼女にはその判断は無理だったようだ。

 やむなくティリオも振り向いた。光がそちらを照らす。


 視界に映ったのはヒュージラットの群だ。犬ほどの大きさがあるドブネズミである。赤い目が闇の中でいくつもうごめいている。

 突然光を当てられたヒュージラットは後退したが、中の一匹が黄ばんだ前歯をよだれで濡らして逆にこちらへ飛びかかってきた。


 黒風の抜き打ちがその胴を空中で両断した。彼女の剣はそりのある片刃剣である。ラットは血煙を上げて落下。

 その剣の冴えにティリオは目を見張った。さすが剣士と自称するだけあって、ティリオの及びもつかない腕だ。力押しであるアイザーンやジルトには見られない洗練された技術があった。


 だが、感心している暇はなかった。

 仲間の血を見てヒュージラットは逃げ去るかと思いきや、血の臭いに凶暴化して一気に襲いかかってきた!

「逃げろ!」

 ティリオは一声叫んで駆け出した。黒風がそれに続く。

 追いつかれたらそこで終わりだ。あのいやらしく突き出た前歯に全身をかじり取られて死ぬ。それまでに何体殺そうが、結局はやられてしまうだろう。


 走るのは黒風のほうがはるかに速いが、『光明』符の範囲から出たら何も見えないので、結果二人は併走するかたちになった。

 ティリオの後頭部を狙った一匹を黒風がたたき落とした。礼を言うまもなく、

「おい! 魔法でなんとかできないのか」

 切羽詰まった顔で怒鳴ってきた。


 もっとも、余裕のない表情はお互いさまだ。

(広範囲攻撃魔法でもあれば……)

 だがそんなものは持っていない。ティリオは走りながら符をまさぐった。


 横穴が狭くすぼまっている場所に来た。腰をかがめないと走れないほどの高さの天井、二人が並んで通れないほどの幅だ。

 黒風が先行し、それにティリオが続く。狭いぶんどうしても走る速度は鈍る。

 後方のネズミどもが狂ったような鳴き声をあげて迫る。ティリオは背中の近くで顎が噛み合わさる音を聞いた。

 ――ようやく、目当ての符を探り当てた。


 急いで、その符を自分のすぐうしろに向けて投げた。地面に貼りつく。

「踏め!」

 どれかのヒュージラットがその符を踏んだ。

 その瞬間に、ティリオの後方で壁が生える。その壁は完全に通路をふさいだ。

『土牢』符である。踏んだものの周囲に土壁を生み出す魔法だ。通路が狭かったおかげで全体をふさぐことができたのだ。


 ティリオはその場に座り込んだ。『土牢』符の壁に背を預けて、大きく安堵の息をつく。

「危なかった~……」

 壁の向こうでキイキイいっている声が聞こえるが、さすがに魔法の土壁は掘ってこれまい。そのうち群も散っていくはずだ。


 先に行きかけた黒風が用心しいしい戻ってきた。

「ネズミどもはどうした?」

 まだ抜き身の剣を持っている彼女に、ティリオはうしろの壁をコツコツ叩いて指し示してみせた。それでようやく、黒風は剣を鞘に納めた。

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