冒険者ジルト・ウォンド

 翌朝、ジルト・ウォンドはルイーザと面会していた。知事の屋敷……屋敷というほど立派な家ではないが……、その中にある急ごしらえの執務室である。

 立っているだけで筋肉痛がひどい。昨日、久しぶりにあんなに全力を出したツケが回ってきている。もう若くはない体だ。

「護衛仕事の報酬の件だけどな」

 ジルトはそう切り出した。


「不満があるのかしら?」

「まさか。もっと足してくれるってんなら辞退はしないがね」

 ルイーザは、ウルフバグとの戦いでジルトが遅れたという醜態を、まったく非難しようとはしない。

 それもそのはずだ。たしかにあの時の行動は評価を下げるものだったが、それ以前に今回の旅でジルトの功績は大きいのだ。


 他の冒険者、ティリオなどは知らないことだが、そもそもこの旅のルートを選定したのがジルトだった。王国中を回った経験をもとに、なるべくモンスターと遭遇しないルートを考えたのがこの男なのだった。

 出たとしてもウルフバグくらいで、ティリオくらいの実力者なら問題なく倒せるレベルのモンスターとしか遭遇しないだろう、という予測も当然ジルトの中にはあったのだった。


 ルイーザはジルトの都合のいい台詞を軽く流して、

「額への要求でなければ、他に何か?」

「別の場所に送ることはできるかい? 別の町にいる誰かに」

「場所によるけれど、銀行があるような大きな都市ならば大丈夫。小さい町だと手間と時間がかかるでしょうけれど」

「そいつはよかった。場所は首都だからなぁ」


「それなら問題ないわね。金額と宛先を伺ってもよろしい?」

「全額」

 ジルトは言い切った。

「宛先はメリヴォーに。『名花宴』って店で、スカーレッタって名前で踊ってるはずさ」


   ・


 ……話は今年の春先にさかのぼる。

 ようやく夜が退却しようかという時刻。雨は夜と朝の境目を曖昧にする。

 ジルトは、冷たい春雨に打たれながら首都の路上に倒れていた。

 眠るようにまぶたを閉じた彼の体内にはアルコールが力強くめぐっているが、雨で冷やされてその働きもだんだん鈍っていく。


「生きてんの?」

 目を開けると女が見下ろしていた。派手なメイクが落ちかけていて、夜の仕事を終えて急ぎ帰宅途中といったところだ。

 女は捨て犬を見るような目でジルトを見ている。

 実際、捨て犬のような気分だった。


「パーティーを解散したんだよ」

 と、女を見上げてジルトは言った。苦い雨粒が口に入った。

 なぜ彼女にそんなことを言ったのかわからない。まだ体内に残留しているアルコールのせいかもしれなかった。

 そんなことを聞かされても、彼女には事情も何もわからなかったに違いない。だが女はジルトのそばにしゃがみ込んだ。


「じゃあ、パーティーはお開きってわけね」

「そのパーティーじゃねえよ」

「そうなん? どっちでも一緒じゃない?」

 ジルトは体を起こした。女と同じ目線の高さになった。

「そうだなぁ。どっちでも。あんたの言うとおりだ」

「でしょ?」

 二人は同時に笑みを浮かべた。いっぽうは気力の失せた笑み、もういっぽうは仕事で疲れた笑みであった。

 その日からジルトは彼女の部屋に転がり込んだ。

 女の名はメリヴォーといった。


 何日かして、ベッドの中でメリヴォーが囁いた。

「聞いてもいい? あの日、なんであんなことになってたわけ?」

 彼女は、夜の店の踊り子なんかやっているわりに、口調に色気というものが漂わない女であった。酒や砂糖菓子よりみずみずしい野菜が似合う女であった。


 ジルトは貸部屋の薄汚れた天井を見上げている。

 四〇を越えたらもう冒険者として先は長くない。自分の中で誇りになるような手柄があればきっぱりと止められるのかもしれない。逆にまるでうだつが上がらなくても、諦めがつくってものだ。だが、

「おれは中途半端だったんだろうな」


 赫赫たる功績はないが、二〇年の冒険者生活で溜め込んだコツやノウハウは捨て去るには惜しいと思えた。

 自分の教えた知識を活用して活躍する若者がいれば、自分自身は引退しても自分の中の冒険者は死なないですむような気がした。

 ちょうどそんなことを考えはじめたとき、ジルトは駆け出しの冒険者ケイガと出会った。


 ケイガが率いるパーティーは未熟だが鍛えがいがありそうに見えた。ジルトは彼らのパーティーに入って、できる限りの知識を教え込もうとした。

 若い冒険者はよくジルトの知識を吸収した。特にケイガはジルトと同じ重戦士であり、教えられることはいくらでもあった。ケイガの才能に将来性を感じてもいた。ひょっとしたらA級にだってなれるかもしれない、と思うくらいに。


 ケイガはダンジョンの罠にかかってあっけなく死んだ。

 運が悪かったとしか言いようがない。ジルトの知識も経験も役に立たない死であった。

 ジルトがケイガばかり指導すると不満を募らせていた他のメンバーの意向もあり、パーティーは解散した。

 ジルトは絶望して浴びるように酒を呑んだ。

 なぜよりによってケイガが死ぬのか。

 ジルトの後継者はこの世に存在してはいけないということなのか。


 せめて他のやつだったら、と思い、そんなことを思った自分を嫌悪した。

 酒を腹に入れ続けても何も忘れることはできず、気が晴れることもなかった。その夜は、酔いだけが重りのように体の中に降り積もっていった。

 路上に倒れ込み、そして雨の中、メリヴォーに拾われたのだった……。

「まあ、冒険者をやめろって啓示なんだろうよ。年も年だしな」

 ジルトは無理をして笑った。


 ジルトは冒険者としての活動をしないまま、居候を続けた。

 だが、冒険者をやめるようなことを言ったのに、装備を売ることはなく、日々の訓練を欠かすこともなかった。なぜなのかは自分でもわからなかった。

 メリヴォーが働き口を斡旋してくれても仕事につかなかった。

 停滞したような日々が続く。


 秋口になって、とうとう部屋をたたき出された。

 部屋の入り口に仁王立ちになったメリヴォーが怒りの表情でジルトを見ている。

「だらしなくたって、仕事しなくたって、そんなのはなんでもない。でもね、不実は許せない。前の女に未練が残ってるなんて我慢ならないんだよ」

「前の女ぁ?」


 ジルトは、メリヴォーが何か誤解しているのだと思った。前の女、といえるような相手がいたのはもう一〇年近くも前のことだし、それも首都での話ではない。

 他に浮気を疑われるようなことだってしていない。


「まあまあ、落ち着けって。お前意外の女なんて顔も憶えてねえくらいさ」

 だだっこをなだめる口調でジルトはメリヴォーを静めようとした。この半年、ケンカするときはいつもそうしたからだ。

「あんたは毎日そのことばっかり考えてるんだよ。自分では気づいてないだろうけどね。あたしにゃ丸見えだ」

「そんなことないって。だいたい、前の女って誰のことだよ」

 じろりとメリヴォーがジルトを睨んで言ったのは、意外な言葉だった。

「――冒険者としての暮らしだよ」


「……!」

「結局あんたは冒険者にまだ未練があるんだ。諦めもしない、続けもしない、宙ぶらりんなのに気持ちだけは残ってる。あたしといるときも、ずっと」

 ジルトは何も言い返すことができない。

「未練があるうちは入れない。帰ってくるな!」

 メリヴォーは金の入った袋を投げつけて、荒々しく扉を閉めた。


 ジルトは、彼女に悪いことをした、と思った。

 指摘されるまでは吹っ切ったつもりだったが、言われてみればたしかに、いつまでも冒険者だったときのことを引きずってぐずぐずしている気持ち悪い男だった。

 きっと彼女は不安だったんだろう。いつジルトが冒険者に戻ると言って、いなくなってしまうのかと。

 それに耐えきれなくなって自分からジルトを追い出したのだ。

 彼女が投げてきた金は、拾われた日にジルトが持っていた額かっきりであった。


 ジルトは半年間暮らしたその部屋を離れた。

 なんにせよ金が必要だし、となればジルトは冒険者以外の仕事をしたことがない。半年ぶりに冒険者組合の事務所に行って、ルイーザの護衛依頼を発見した。およそ一ヶ月もかかる長旅、ジルトも行ったことがない西の辺境デュバリへの旅だ。

 最後の仕事にするにはうってつけのように思われた。


 それで冒険者に未練がなくなればまたメリヴォーと暮らせるかもしれない。向こうが待っていてくれればだが。

(未練がなくならなかったらどうなる……また冒険者に戻るのか?)

 わからなかった。


 デュバリへの旅はぼんやりしたものとなった。

 ウルフバグとの戦闘に遅れたのも、その迷いのせいかもしれない。と、これは言い訳。

 きのうデュバリに到着したときも、未練が消えたのかどうかよくわかっていなかったが、少なくともデュバリで暮らす気はなく、首都に帰るつもりだった。


 そこにミエリの事故だ。

 ティリオと同時に立ち上がったとき、半年間で錆びついていたジルトの中の冒険者が動き出したようだった。

 危機に対するとっさの判断、全力で体を使う感覚、わずかな時間で意思疎通できる仲間……少なくともあの、一緒に荷台を持ち上げた瞬間だけは、あの生意気なティリオとジルトは対等な仲間だった。

 高揚する意識、そして冒険者としての自覚。

(けっくのところ、他の生き方をしらねえあほうってことか……おれは)


   ・


 ジルトの意識が執務室に戻る。

 ルイーザは、メリヴォーという女性について興味がある素振りだったが、直接聞くようなまねはさすがにしなかった。

「伝えたいメッセージがあれば、それも届けさせるわよ」

 ジルトは首を振った。

「名前だけでいい」

「『ジルト・ウォンドより』……だけでよろしいの?」


 ジルトはうなずきかけて、

「いや――『冒険者ジルト・ウォンドより』……と」

 メリヴォーにはそれですべて伝わるだろう。


 大きな荷物を道端に放り捨ててきたような気分で、ジルトは執務室を後にした。

「まさかまさかだ、おれがこんなど田舎で暮らすことになるなんてよ」

 食堂の前を通りかかる――

 そこでジルトは顔をしかめた。

「かっこつけすぎたかぁ……」

 今さらになって全額送ったのを後悔しているのである。

「酒代くれえは残しときゃよかった……!」

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