それは大したことのない理由

 道の真ん中で荷台が横倒しになっている。牛の引く車に石材を積んで運んでいたところ、下り坂で車輪の軸が壊れ、大きく斜めに傾きながら坂を下って、そこで倒れたのだ。まだ土埃が収まっていない。

 そして荷台に下半身を挟まれるようにして倒れているのは、一〇歳くらいの女の子だ。

 彼女がミエリだ。


 田舎道ででこぼこしていたのが幸いしたか、ミエリの体は隙間に挟まるようになっていて、潰されてはいない。

 とはいえ無傷では済まず、ミエリは体をよじって、

「痛いよう!」

 と泣いている。


 荷車にはまだ石材が入っていて、下手に動かすと一気にバランスを失い崩れてきそうな状態だ。そのせいで近寄るのが難しい。

 ジルト・ウォンドは躊躇なしで駆け寄ろうとする。その背をティリオが叩いた。振り向いたジルトに一言、

「『筋力増強』」

 ジルトの背に筆記魔法の符を貼ったのだ。


 次いで自分にも『筋力増強』符を貼る。

「筆記のバフは口誦と違って……」

「知ってる」

 ジルトはティリオの説明を遮った。過去に筆記魔法のバフを受けたことがあるのだ。

「おれの経験は宝らしいからな」

 ニヤリと笑って、荷台に取り付く。

 この時はじめて、ティリオはジルトがただの役立たずの中年ではないのかもしれない、と感じた。


「待ってろ、今出してやるからな」

 泣く少女に声をかけてやるティリオ。

「もう安心だ」

「おじさんたち……誰?」

 か細い声で訪ねるミエリ。


「冒険者さ」

 とジルトが応える。ティリオは、

(冒険者か。おれはなぜ冒険者になってここにいる? ……)

 さっきの問いをまだひきずりながら荷台に手をかけた。今は幼い少女の命が先決だ。

「いくぞ、せーの……!」

 ティリオの合図に合わせ、二人は符の増強を全開にする!


「うおおおお!」

 ジルトが吠えた。ティリオが歯を食いしばる。全身に力を込める。符が光を放った。

 ジルトは『筋力増強』符を完全に使いこなしていた。経験がなせるわざであった。

 二人の力で荷台が動く!

 石材を満載した荷車がわずかに持ち上がった。


 特に、ジルト・ウォンドである。隣のティリオですら驚くほどの力を発揮している。

 全盛期を通り越した年代の肉体とは思えない、鋼鉄のこぶのような筋肉の盛り上がり。魔法でのバフを考慮に入れてなお、体格に恥じない剛力であった。


「出られるか?」

 食いしばった歯の間から出すようにして、ティリオはミエリに呼びかけた。ミエリは弱々しく首を振る。

「動けない……」

 すでに二人は限界まで力を使っている。これ以上荷台を持ち上げるのも無理だし、このままでは再びミエリの上に荷を戻すことになってしまう。

 他の人たちは遠巻きにしており、今すぐ力を借りられる者はいない。


「一人で持てるか?」

「少しだけならな」

 というティリオとジルトの会話は、声でなく目配せだけで行なわれた。

 呼吸を合わせて、ティリオが荷台から手を離す。瞬間、凄まじい重さがジルト一人にかかった。

 その間に、ティリオがミエリを一気に引きずり出した!


 同時に符の魔力を使い切ったジルトが手を離した。石材がバランスを崩して轟音とともに崩れる。

 少女を抱いたままティリオは素早く距離を取って逃げる。土ぼこりがそれを追って広がる。

 見ていた人びとからどよめきが起こった。

 ジルトは横に転がって無事だった。ただほこりまみれになっているが。


 周囲のどよめきが歓声になりかけた。が、すぐにしぼんだ。

 ミエリの右脚が真っ赤に染まっていたからだ。大量の出血。

 折れた荷台の板が鋭く彼女の太ももをえぐっていたのだ。服ごと切り裂かれて、痛々しい傷口が露出している。

 傷は深く、出血が止まらない。流れる血がしずくとなり地面に落ちていくつも赤い花を作る。


 ミエリの両親が駆け寄ってきた。激しく娘の名を呼ぶ。

「痛いよ……お父さん、お母さん……」

 ミエリの表情は弱々しい。顔色が蒼白だ。

 ティリオは彼女を地面に横たえ、すぐに『治癒』符を彼女に貼ったが、ティリオが使える『治癒』は初級のものだ。直接傷を治すというよりは自然の回復力を上げるもので、即効性は薄い。今みたいな大けがには役に立たないのだ。


(このままじゃまずい……!)

「医者は! いないのか!? ヒーラーは!」

 ティリオが叫んだ。

 フィミアダがヒーラーだったはずだ。彼女は?


「い、います……!」

 フィミアダが、割って入るようにしてミエリの隣に膝をついた。彼女の目は隠れて見えないが、真剣な表情をしているのはわかる。

「大丈夫、大丈夫だからね」

 ミエリに優しく声をかけると、ぎゅっと唇を引き結んだ。ミエリの手を両手で握って、祈るようにうつむいた。深呼吸を一つ。

 すると――痛々しいミエリの傷口がみるみる小さくなっていく。


「こいつは……すごい」

 ティリオは息を呑んだ。この治癒スピードは常識を外れている。ありえない、と言ってもいい。少なくともティリオは、こんな速度で傷を治す回復魔法を見たこともないし、噂で聞いたこともなかった。

 これほどの凄腕だったとは思いもよらなかった。


 フィミアダが使った魔法だが、呪文の詠唱をしたようすはなかった。口誦魔法ではない。何かを書いたふうでもないので、筆記魔法でもない。

 なんらかの特殊な魔法体系を体得しているのだろう。それがなんなのかはティリオにはわからない。


 ミエリの傷はもとの半分くらいまで浅くなった。息を詰めていたフィミアダは、強く握っていたミエリの手を放し、水中から出てきたみたいに大きく息をした。

「すみません、これが、限界……」

 完治はしていない。回復速度が速いかわりに魔力消費量が大きいのだろうか。

「これで……ひとまずは安心です。あとは、ちゃんと傷の手当てを……」

 汗を浮かべながら、フィミアダが両親に言った。かなり消耗しているようだ。


 だが半分までしか治っていないとしても、出血は目に見えて減っている。ミエリの表情もゆるみ、血色も心なしかよくなったようだ。

(これなら……!)

 ティリオは驚きとともに安堵の息を吐いた。もう致命傷ではない。通常の治療で助かる。回復過程で『治癒』符も力を発揮するはずだ。


 母親は泣き崩れ、父親はフィミアダとティリオに絞り出すような礼の言葉を口にした。

「あ、ありがとうございます……!」

 その言葉にティリオは思い出すことがあった。

 ――あのときのサリーもミエリと同じくらいの年だった。


「おう、ミエリを運べ!」

 見ていた周りが声をあげ、何人もの男が少女を慎重に持ち上げてこの場から運んでいく。

 今度こそ歓声が沸き起こった。

 住人たちが一斉に、ティリオとフィミアダに集まってくる。

「よくやってくれた!」「すげえぞ!」「ありがとうよ!」

 荒っぽく肩を叩かれまくるティリオ。屈託ない笑顔で入れ替わり立ち替わりやってくる住人たち。


 荷台の脇で座り込んだジルトに、さっき無愛想だった食い物屋の店主が酒の入ったグラスを手渡した。

「こいつはおごりだ」

 それを受け取り、ニヤリと笑って、周りの連中と一緒に乾杯するジルト。

 さっきまでのよそよそしさは、もうどこにもない。


(ああ――そうか。そうだったな)

 まだティリオが郷里にいたときの話だ。隣家のサリーが疫病にかかった。

 ティリオと友人のグレイは、モンスターが出るという洞窟に薬草を取りに行った。まだ子供だったティリオたちにしてみれば初めての経験だった。


 傷だらけ泥だらけになりながら、ティリオたちは薬草を持ち帰ることに成功した。

 そして、両親と、筆記魔法の先生にこっぴどく怒られた。

 でもサリーとその親からは、ありがとう、と言ってもらえた。

 ありがとう、と。ちょうどミエリの親のように。屈託なく、ちょうどデュバリの町民たちのように。


(――だからおれは冒険者になったんだ)


 実に単純な話だ。

 なぜA級になりたかったって?

 実力があるほうが多くの人びとの助けになれるからだ。必ずしもA級という肩書きがほしかったわけではなかった。

 忘れていた。


 冒険者組合での仕事は間に職員が入るから、直接礼を言われることは少ない。それに、ダンジョンアタックがメインになっていたので、人助けなんてすることは滅多になかった。

 そんな中で、少しずつ最初の動機を見失っていってしまったのだろう。


 我ながら青臭いというか、子供っぽいというか、恥ずかしくて人に言えるような動機ではないけれども。

 思い出してしまったからにはしょうがない。

 ティリオの唇の端に、微笑が生まれた。


   ・


 騒ぎが一段落すると、ティリオは座ったままのフィミアダに、

「いや、あの回復魔法はすごかった」

 と声をかけた。

「あの速度で傷がふさがるなんて見たことない。どんな魔法を?」

 素直に賞賛したティリオは、フィミアダのようすがおかしいことに気づく。

 汗の量が尋常でない。


 ふらついたフィミアダを抱き留めるティリオ。その拍子に彼女のフードがずれ、前髪が乱れた。ティリオは彼女の目をはじめて見た。

 ルイーザのような華やかさはないが、素朴に整った顔であった。ただし、左目を斜めに横切るようにして、大きな傷痕がある。

 フィミアダは苦しさの中、恥じるようにフードをかぶり直した。


 彼女が前髪を伸ばしているのはその傷痕のせいなのか。

 気になったが、今はそれを追及している場合ではない。

 ティリオは、彼女の服、右脚のあたりに血が滲んでいるのを見つけた。

「大丈夫か? 何があった?」

「あたしが使ったのは、回復魔法じゃなくて……呪術」


「呪術?」

 聞いたことはある。呪術は、非言語魔法の一種だ。

 だが呪術師といえば、街のまじない屋で縁切りとか、縁結びとか、そんな感じのやつをやっているイメージが強い。冒険者のイメージはなかった。


「あの子の傷を、半分あたしに移したんです」

「そんなことができるのか……!」

 ミエリの傷が半分以上は治らなかった理由がわかった。

 一〇の傷を二人で五ずつ分担する。傷の深さが半分なら、ミエリもフィミアダも死なずに済む。そういうことであった。

 フィミアダは自らを傷つけてミエリを救ったのだ。


「早く言えよ」

 ティリオはもう一枚『治癒』符を取り出してフィミアダに貼った。

「こんなとこにいる場合じゃないだろ」

 ミエリと同じ傷なら、同じように治療しなければならない。ティリオはそのまま彼女を抱き上げた。

「えっ……!?」

 フィミアダはびっくり顔で全身を緊張させた。出血がなければ赤面していただろう。


「あ、あの、あの……」

「どうした? 傷が痛むか?」

「いえ、あの……はい」

 何か言おうとしていたようだが、フィミアダは結局言葉を飲み込んだようだった。ただ体はぎゅっと縮こまったままだ。


「ゆっくり急ぐぞ」

 あまり衝撃を与えないようにティリオは歩く。

 まだ事情を知らない村の住人たちが二人を冷やかすような歓声を送った。


 そういえば、

(どこで治療を受けさせようか)

 考えていなかった。できれば柔らかいベッドがいいだろう。

 向こうからルイーザがやってきた。

「あら」

「ケガだ。どこで治療したらいい?」

 ルイーザが軽口を言う前に訊ねる。


「ミエリという少女は食堂に運ばれてきたわ」

 どうやらあの食堂がデュバリでは一番大きい建物らしく、部屋数も多い。もし外から人がやってきたら宿としても機能するという。

「じゃあそこに行ってみよう」


 ティリオはいったんルイーザとすれ違ったあと、歩を止めて振り返った。

「そうそう……明日からもよろしく」

 ルイーザは目を見開いた。ティリオに抱かれたフィミアダもはっと反応した。

 それは、このデュバリで冒険者をするという承諾の意志に他ならない。


 どうやら冗談じゃないことを理解して、ルイーザはひょうし抜けしたように、

「あの手この手で引きとめようと策を考えていたのに」

 と言った。まるでティリオがもっとごねればよかったと言っているかのようだった。

「どういう風の吹き回し?」


「人間ってのは忘れっぽいもんだなって――」

 ティリオはルイーザに背を向けた。

 だから、そのときの彼の表情を見たのはフィミアダだけだった。

「――それだけ」

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