辺境の町デュバリ
案の定、昨日通過した町よりも、デュバリはさらに小さかった。
森と草むらに半ば埋もれるようにして町はあった。
町を囲む城壁などといえるようなものはなく、町の内と外を区別している木製の柵が途切れ途切れに続いているだけである。
建物も、これは石造りとはいえ、小さいものばかりだ。
(こんなところで隠棲するのか?)
貴族のお嬢様にとってはつらい暮らしになるだろう。
大貴族の隠棲場所ならば、田舎といってももう少し行き届いた場所になると思うのだが、これはあまりにも辺境すぎるのではないか。
もしかして、王子の不興を買ったことに対する罰なのか……?
そのわりには、ルイーザの態度はずいぶん快活だったが、あれは貴族の矜持というやつなのだろうか。打ちのめされたみじめな姿を見せるわけにはいかないから、空元気を出していたとか……。
町の真ん中で馬車は止まった。
一台目の馬車からはルイーザをはじめ全員が降りていた。
町の住人たちが遠巻きによそ者のようすをうかがっている。そのうちの一番近い女に、ルイーザの若いほうの侍女が声をかけた。
「町長はいらっしゃいますか? お嬢様は町長との面会をお望みです」
戸惑っているようだったが、女はその場から去り、少しして背の低い老人を連れてきた。
「わしが町長ですが……?」
頭髪は完全になくなって、顔に皺が寄っているが、腰は曲がっておらず動きもきびきびしている。
ルイーザが目で合図すると、もう一人の年かさの侍女が、持っていた紙を広げて示した。
「綸旨。レディ・ルイーザ・レオスノール・プライセ・ファースト・ヴァロンダをデュバリの初代知事として任命する」
(……知事ぃ?)
声はあげなかったもののティリオの口は大きく開いている。
一体どういうことだ? 王子に婚約を破棄された令嬢が隠棲するために来たんじゃないのか?
なんで貴族のお嬢様が文官の仕事をするんだ? しかも町レベルの知事といえば、下級の貴族や平民がするような仕事だ。侯爵家の人間がつくような官職じゃない。
知事として赴任、という名目で隠棲するのでは、ということも考えたが、わざわざそんな名目をもたせる意味がないし、文官になるためにはちゃんと試験を通らなきゃいけないはずだ。
ということは、ルイーザは大貴族の娘のくせに文官試験を受験したということか? しかも合格したということになるが……?
ティリオの混乱した頭の中にいくつもの疑問が浮かんで渦巻く。
何もかもが似つかわしくないように思えた。
ルイーザが振り向いてティリオを見た。その目が笑いを含んでいる。
ティリオが誤解したのを知って面白がっているのだ。それは、出発前にルイーザが正体を明かしたときに見せたのと同じ顔だった。
(たしかに、デュバリで隠棲するとは一言も言ってなかったけど)
依頼人が冒険者に事情を説明する義務もない。ティリオには、ルイーザに文句を言う筋合いはないのだった。言ってやりたいのはやまやまだが。
御者の一人がこちらへやってきた。銭の入った袋をティリオに握らせる。
「冒険者たちは、赴任の手続きが終わるまで食事でもしているといい、とお嬢様の仰せだ」
金の管理や伝言をルイーザから任されるということは、この御者は単なる雇われではない。旅の途中での態度から薄々察していたが、二人の御者はヴァロンダ侯爵家に仕えている男たちに違いない。
ティリオ、ジルト・ウォンド、フィミアダの三人は仰せの通りその場を離れた。
デュバリ唯一の食堂を見つけて入った。
出てきた料理は、ごく質素なものだ。この町の家庭で出しているのと変わらないだろう。
ゆでた芋に、塩漬け肉と野菜のスープ。芋に味付けはなく、スープは肉から出る塩味のみだ。
店主は無愛想で、ティリオらに対しあからさまに警戒心を見せていた。先払いでないと注文に応じないというし、銭を出しても不満そうであった。
他のテーブルに座った住人や、入り口や窓からさりげなく覗いている者たちの視線が、ティリオら冒険者に向けられている。
よそ者が何をしに来たのか。そういう視線であった。
居心地が悪い。
ティリオはスープを飲み、芋を食う。フィミアダはスープが口に合わないようで、スプーンの進みが遅い。
「……なんだか、怖いです」
と、小さく呟いた。彼女も視線の圧を感じているのだ。
ジルトはそんな視線を知ってか知らずか、
「酒はねえのかい」
と不躾に声をかけたが、店主に無視された。
監視されるような状況の中、しばらくモソモソと芋を食って、ほぼ食べ終えた頃に、ルイーザが侍女と御者を引き連れて颯爽と入ってきた。手続きは終わったということか。
二人の御者はまるでルイーザを護衛するように左右に立っている。いや、まるで、ではなく、それが彼らの本業なのだろう。
ルイーザは冒険者と同じ卓に堂々と座った。手元に革袋をがしゃりと置く。音からして中に入っているのは硬貨だ。冒険者三人への仕事の報酬に違いない。
だがルイーザはそれを置いたまま、袋ではなくまず自分の口を開いた。
「私は、幼い頃から王子の婚約者として育てられてきたわ。そう、将来は王妃になるのだと無邪気に思っていた。けれども王に付き従って笑顔を振りまくだけの『レディ・シャドウ』になるのは嫌だった。それなら私である必要がないもの」
神妙な、少しさみしげな表情で語り出したルイーザ。
そんな彼女を見てティリオは、
(いや、なんの話だ?)
と思った。他の二人も似たり寄ったりの顔をしている。
ルイーザは、戸惑ったような冒険者たちに構わず話を続ける。
女は政治に口を出すな、夫に付き従って、子を産めばよい、などと――。
そんな周囲の声に反発し、将来の国王を実務面でも補佐できるようにと統治のことを勉強し、内緒で受けた文官試験。大貴族の娘が何をしに来たかという周囲の視線を跳ね返し見事合格した。
婚約者の王子も、未来の王妃が有能だと喜んでくれるはずだ。そしていつかは、ともに手を取り合って王国をよく統治してゆく日が来るのだろうと。
当時のルイーザは無邪気にもそう思っていたのだ。
それが、婚約破棄で王室と侯爵家の関係が微妙になった今、対立派閥による侯爵家追い落としの手段として使われることになった。
相手の思惑はこうだ。侯爵家の娘を、手近な味方もいないはるか辺境の知事に任命する。
試験に受かったとはいえ世間知らずの小娘が、統治の実地において成功するはずもない。治政に失敗するに決まっている。
その失敗を、父である侯爵を攻撃する武器とするのだ。
父侯爵はその思惑を外すため、ルイーザに隠棲せよと勧めた。が、ルイーザは従わなかった。任命を断ったら、それを口実に攻撃してくるに違いないからだ。
父もそれはわかっているが、知事で失敗するよりはましと考えて隠棲をすすめたのだろう。
だがルイーザは、そんな父の反対を押し切り知事となることに決めた。
みんなルイーザが失敗することを前提にしているが、彼女は、そうはさせないと誓った。
仮にルイーザが成功すれば侯爵家の派閥が西部にも地盤を持つことになり、逆にこちらが有利になる。
今、王家に対する影響力は二つの派閥がかなり均衡しているが、今回の婚約破棄で対立派閥側に傾きかけている。
その傾きを戻せるかどうかは、ルイーザがデュバリで成功するか失敗するかにかかっているのだ。
彼女の双肩にかかる負担は、大きい。
ルイーザは真面目な顔で自らの過去を語り終えた。彼女の目には、覚悟がある。
父のすすめに応じて隠棲するほうがよほど楽な道だったに違いない。自分が選んだのは苦しい道だが、それでも、国をよくするために歯を食いしばって挑むのだと、彼女の瞳がそう言っていた。
話を聞いて、ティリオにはなるほどと一つ得心がいったことがあった。
父の反対を押し切って来たから冒険者を雇わざるをえなかったのだ。
侯爵家から満足な援助を受けることができず、供回りが侍女二人に使用人(御者)二人だけしか用意できなかった。だからそのぶんを冒険者で補った、というところか。
――だが、その推測はまだ完全な正解ではなかった。
ルイーザは指先で硬貨の入った袋を撫でた。
「つまり、私はなんとしてもデュバリの統治を成功させねばならない。そのことは理解してもらえたと思うのだけれど、いかがかしら」
冒険者たちをその大きな瞳で見回す。
「まあ、はい」
ティリオはうなずいた。それを冒険者に聞かせてどうするのかという疑問はあるが、口にはしなかった。
我が意を得たりとうなずいたルイーザはさらに言いつのる。
「ところが、残念なことにデュバリの現状は豊かとはいえないわ」
それは一見しただけのティリオにもわかる。辺境だからある程度は仕方ないとしても、それにしても貧しい。
「それには様々な要因があると思うのだけれど、中でも、モンスターの脅威が大きい」
ルイーザはぐいと上体を前に出した。
(何か嫌な予感が……)
ティリオの思いに関係なくルイーザは続けた。
「森を切り開き開墾するのもままならない。モンスターがどこにいるのかわからないから。周囲の地図も作成できていない。以前、町の中にまでモンスターが侵入してきたこともあるそうよ」
あの頼りない木の柵では仕方あるまい。
「そんなときに心強いのは、モンスター退治の専門家なのだけれど、最寄りの冒険者組合事務所ですらあまりに遠い。そこで――」
(ああ、大体わかった)
なんでルイーザがこんな話を長々としたのか、ティリオは理解した。
その答えが目前に迫っている。
「この町に住んでくれる冒険者がいればうれしい」
……やっぱり。
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