西へ、西へ
ティリオは馬車の中にいる。
雇われ冒険者が馬車に乗れるとは思わなかった。護衛は徒歩でついていくのが普通だ。
荷台の中はなかば荷でふさがっているので、さすがにルイーザの馬車に比べれば居住性で見劣りするものの、座って移動できるだけで十分だ。
ルイーザ一行は、大貴族の旅とは思えない少人数であった。令嬢本人に侍女が二人、馬車を操縦する御者が二人。
そしてティリオら冒険者。
なのだが……。
ティリオは同じ馬車に押し込められた同業者たちを見やる。
募集人数は一〇名だった。だが、ここにいる冒険者はティリオを含めてたったの三人であった。
応募が少なかったのだろう。首都住みの冒険者には、旅の護衛は不人気な仕事なのだ。
わざわざ遠くへ行かなくても近辺に仕事は転がっているし、古代都市遺跡や無限洞窟など未踏破ダンジョンもあるから、首都から離れる理由がない。
遠くまで行くのはいいとしても、戻ってくる旅費は自腹だし、時間もかかる。
さらに加えて今回は雇い主が、王子に見捨てられた零落の貴族令嬢だ。依頼を受けただけで王家に睨まれるなんてことはないだろうが、上り調子の依頼人ではないことは確かだ。げんを担ぐ意味でも、あまり近づきたくないという心理が冒険者たちに働くのは無理なかった。
(それにしても……)
不審な点がある、とティリオは感じていた。
いくら不人気な仕事とはいえ、侯爵令嬢の旅に護衛がたった三人というのはおかしくないだろうか? 最低でももう一人か二人……一パーティーぶんくらいはいないと体裁が整わないのではないか?
いや、そもそも冒険者を雇っているのがおかしいのでは?
下級貴族ならわかるが、ヴァロンダ侯爵家は王国有数の大貴族だ。専門の護衛や私兵くらい常時抱えているはずだ。
なぜそれらを使わず、わざわざ冒険者組合に依頼を出したのか?
(まあいいさ)
半ばなげやりに、ティリオは思考を放り捨てた。冒険者に貴族の事情など想像しかできない。
ティリオにしてみれば、旅に出られればなんでもいいという気分だった。
あとはきちんと仕事をこなせばいいだけだ。あるかないかもわからない裏事情にまで頭を回すことはない。
さてその仕事をこなすために、と、ティリオは同行の冒険者二人に目をやった。コンビではない。ティリオも含め全員がソロでの参加である。
一人は戦士。
もう一人はたぶん魔法使いの少女。
戦士はジルト・ウォンド、少女はフィミアダと名乗った。
ジルト・ウォンドは、ティリオどころかアイザーンよりも頭ひとつ以上大きい。巨漢である。
いかにも歴戦の品といった、傷だらけの大きな盾と鎧を脇に置いている。
ただ、いかんせん年がいっている。おそらく四〇は越えているだろう。髪に白いものが混じり、たるんでいるとまではいかないにしても腹に肉がつきはじめている。
そんな大男が、牛のように寝転がっている。男の頭の近くにあるのは酒瓶ではないか。口が開いている。つまりこの男は仕事中真っ昼間から酔っていい気分になっているのだ。
ティリオはジルトのことを知らなかった。首都で見かけたこともない。もっとも、冒険者組合の事務所は首都に四つある。この男は『錆びた盾亭』ではない事務所に出入りしていたのだろう。
もう一人のフィミアダは、戦士とは対照的に荷箱の間に挟まるようにちぢこまって三角座りしていた。
フードつきのマントをはおっている。
長い前髪のせいで目が見えない。何を考えているのか、身じろぎもしない。
彼女のクラスを魔法使いだと推測した理由は、戦士にもシーフにも見えないから、という消去法だ。
ティリオは彼女を『錆びた斧亭』で見かけたことがあった。二ヶ月ほど前から何度か、パーティーメンバー勧誘用の席にぽつんと座っていたが、パーティーには入れずにいたようだった。
彼女はティリオの視線に気づくと、慌ててフードを引っ張って顔を隠した。
怯えているのか緊張しているのか知らないが、今のところずっとこんな調子で、名前以外のことは教えてもらっていない。
(ダメだこりゃ)
どちらもあまり頼りになりそうにない。
ろくにコミュニケーションもとれていない。ソロの寄せ集めだからこうなるのだろうか。ティリオはソロでの仕事ははじめてなので勝手がわからなかった。
(まあ、一人でなんとかするしかないか……)
ティリオはそう腹を決めた。
しばらくの間は平和な旅が続いた。
山を越え、川を渡り、西へ行くごとに秋が深まるようであった。
ティリオは、荷台の中で他の二人とずっと顔を突き合わせているのも嫌だったし、一人で仕事をこなすと決意したので、馬車の外に出ることが多かった。
荷台の屋根に乗ったり、御者台に御者と同乗したり。馬の歩みが遅いときは降りて併走したりもした。
モンスターの襲撃にそなえるためだ。
そのおかげであった。
急に前の馬車が止まったとき、ティリオは瞬時に原因を知ることができたのだ。
「モンスターだ!」
と前方の御者の切羽詰まった声。そのときにはすでに、ティリオは二台の馬車の前に走り出ていた。
怯えて暴れる馬を必死に落ち着かせようとしている御者を背に、ティリオはモンスターを見た。
ウルフバグだ。二体。
ウルフバグは狼の頭と胴体に昆虫の足がついているモンスターで、王国全土に生息している。初心者パーティーにとってはかなりの強敵だ。
ティリオは走ってきた勢いをそのままにウルフバグへと詰め寄る。
(この程度の敵ならいける)
ティリオの手には符が二枚ある。そのうち一枚を左のウルフバグの足元へ投げた。同時に二枚目を自分の体に貼り、右の敵へと向かう。
投げた札を左のウルフバグが踏んだ瞬間、周囲の地面が一気に隆起して、踏んだ者を閉じ込める壁となった。
『土牢』符で片方を足止め。
(その間に右をしとめる!)
ティリオは右へと間合いをつめながら剣を抜いた。
ウルフバグがよだれをまき散らしながらとびかかってくる。ティリオは自らに貼った『筋力増強』符から一・五倍になる力を五秒間引き出し、地面を蹴って攻撃を回避。
自分で増強量と時間をコントロールできる。これが口誦魔法の『筋力増強』にはない、筆記魔法の強みだ。
そしてアイザーンに嫌がられた原因でもある。狙ったとおりに効果を引き出すには、冷静で繊細な魔法の制御が必要なのだ。彼のような勢いのまま暴れまくる戦士には、効果時間中ずっと一定して増強する口誦魔法のバフのほうが合っている。
(あいつは練習しようとさえしなかった)
苦々しい記憶が蘇る。
アイザーンがこの魔法に真面目に取り組んでいれば、それだけでパーティーの戦闘力は倍増しただろう。
(――おれでさえこのくらいできるっていうのに)
ティリオはすでにウルフバグを切り捨てていた。回避した次の瞬間に剣を一閃させたのだ。
次いで『土牢』の壁を駆け上がり、その勢いで跳ぶ。『土牢』には天井がない。逆さに持った剣を、中に閉じ込められた二体目の頭部に突き刺した。
ティリオが馬車の前に出てからここまで、ほとんど二呼吸のうちであった。
倒れたウルフバグの足元から符を回収すると、魔法が解けて壁は地面へと戻っていった。
符を確認した。破損していない。これなら再利用できる。
振り返ると一台目の馬車の御者が、中腰になって馬を抑えながら驚きの視線をティリオに向けていた。モンスターとの戦いを目の当たりにするのははじめてなのだろう。
その脇から、フィミアダが緊張した顔でこちらへ駆けつけるのが見えた。
きょろきょろして、ウルフバグの死骸を見つけると、
「……も、もう終わったんですか? 一人で……?」
驚き戸惑っているようすだ。
ティリオに声をかけてきた。
「あの、ケガは……?」
「いや、無傷だ」
フィミアダはえっ、と目を丸くした……ようなリアクションをとった。実際彼女の目がどうなっているのかは前髪にさえぎられてわからない。
「……二体相手に? あっという間に無傷で……?」
すごい、となかば吐息のような感嘆の声を発した。
(どうやら、ヒーラーか?)
まっさきにケガのことを聞いてきたということは、そういうことなのだろうとティリオは当たりをつけた。
それなら、遅れてきてくれてかえってよかった。戦闘には素人のようだし、下手に戦場に出てくるよりは、あとから回復魔法をかけてくれる役に徹してくれたほうが助かる。
「あら、もう終わったの?」
今度は馬車の中からルイーザが出てきた。御者に戦いのようすを聞くと、ティリオのほうを向いて、
「さすがね」
と輝くように微笑んだ。
それだけならティリオも見とれたかもしれないが、続けて、
「今度は私が見ている前で戦って欲しいわね」
などと言うので、手に負えない、という気分のほうが勝ってしまう。
貴族令嬢だというのに、モンスターの死骸を見ても眉一つ動かさないし、彼女にはやはりどこか規格から外れたところがある。
(そんなにほめられるようなことでもないが)
たしかに初心者にとってはきつい敵かもしれないが、仮にもA級間近なパーティーで戦いを繰り広げていたティリオだ。できて当然である。
フィミアダやルイーザの賞賛は過剰なように思えた。
悪い気はしないが。
ここでようやく、鎧を着終わったジルト・ウォンドが姿を見せた。現場をざっと見て状況を把握したらしいが、悪びれることなくティリオの肩に手を置いた。
「さすが、さすが。『フォーディアンズ』の魔法戦士といやあちょっとした有名人だもんな」
『フォーディアンズ』というのは、ティリオが所属していたアイザーンのパーティーの名前だ。全員が偶然にもフォーディア地方出身だったからだ。その名前で登録はしたものの、本人たちはあまり使っていなかった。
ティリオはジルトを知らなかったが、向こうはこちらを知っていたらしい。まあ、あのパーティーがそれなりに目立つ実力を備えていたことは否定しない。
「このルートならほとんどモンスターは出ねえ、出てもウルフバグくらい、ってのは予想してたし、あんたほどの実力者がいりゃあ心配ねえってことも予測できてたわけよ」
ティリオを持ち上げているジルトだが、その実自分が遅れてきた言い訳を並べているにすぎない。
ティリオはジルトの手を押しのけた。
「今度からは寝っ転がるときも鎧を着るんだな」
前衛を張る戦士が遅れるのは冗談にならないのだ。
「馬車一台が食われてから登場しても遅い」
「そんな強いモンスターは出ねえって」
ジルトはあくまで平然たるものだった。
・
その後はジルトの言うとおりだった。モンスターに出会うこともなく、旅は順調に進んだ。
ジルトはいちおう鎧を着るようになり、フィミアダはちょっとだけ打ち解けた。
西へ、西へ。風物も入れ替わっていく。
屋根が片流れになっている家が増えた。毛織物を着る住民が増えた。食事からパスタが減り、芋が増え、味付けが甘くなった。
首都では嗅ぐことができない草の匂いを帯びた風が、ティリオの胸に開いた穴を爽やかに吹き抜けていく。
ティリオは、知らない地方を旅していることを実感していた。
そしてついに街道の終点の町にたどり着いた。
町を囲う城壁はレンガではなく素朴な石積みで、二階建ての建物は一つか二つくらいしか見えない、小さい町だ。住民の数は四~五〇〇人がいいところだろう。
(ここがデュバリか)
王族の不興を買った娘が隠棲するならこのくらい田舎に来なければならないのかもしれない。ティリオはもうすっかり、ルイーザの旅は隠居のためだと決めてかかっていた。
二台の馬車は町の目抜き通りを進む。といっても馬車がなんとかすれ違えるくらいの、首都の住民が見ればさびれた裏通りにしか見えないような道であった。
ティリオは次のこと、報酬をもらったあとのことを考えていた。
(冒険者組合の事務所がある町に行って、東へ行く仕事をもらって、じょじょに首都へ戻るか……それとも一気に首都まで帰るか……)
相変わらず寝転がっているジルト、隅で小さくなっているフィミアダはどうするのか知らないが、この仕事が終われば関わることもないだろう。
このときはそのくらいにしか思っていなかった。
……何かおかしい。
町知事の館や、町長の家らしき建物をスルーして馬車が進んでいく。
ちなみに知事と町長の違いは、中央から派遣されてくる官吏が知事、住民の中から選ばれた代表が町長である。
この町で隠棲するなら双方への挨拶は必須のはずだが……。
ティリオが戸惑っているうちに、馬車は町をそのまま通りすぎてしまった。
足元が悪くなった道を、馬車はさらに西へと進む。
ティリオは自分の考えが間違っていたことを知った。
(あの町はデュバリじゃないってことか……!)
となると本当のデュバリは、さらに人の少ない町ということになる。今の町でさえかなり田舎だったというのに、あれよりもっとなのか。
街道の終点からさらに西へ。首都を出てはじめて一行は野宿を行なった。
翌朝、とうとうデュバリの町に到着した。
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