辺境への誘い(貴族のご令嬢肝いり)
「……ちょうどよかった。旅に出たい気分だったんだ」
ティリオは、依頼掲示板の前で自嘲気味に笑った。
『錆びた斧亭』に入ってすぐの依頼掲示板には、仕事内容の書かれた紙が壁一面に、鱗のように重なってびっしり貼られている。
ティリオの視線の先にあるのは、旅の護衛依頼だった。……
・
冒険者組合のパーティーランクはAからCまでの三つである。
まず、パーティーを組んでから一年間安定した活動を行なうとC級にランクされる。それまでは無級である。やたらと解散や再結成を繰り返したり、メンバーの入れ替えが頻繁に過ぎるパーティーはC級にもなれないということだ。
ランクは組合への貢献度によって決められるため、極端な話、C級パーティーに金持ちがいて多大な献金を組合に行なえば、それだけでB級に上がることができる。「Bは金で買える」と言われるゆえんである。
ただしA級は違う。冒険者としての大きな功績がなければAに上がることはできないし、その後も実績を積まなければ維持できない。
ティリオらの場合は古代硬貨の発見がその功績に当たる。
A級パーティーである、ということは、金やコネではなく実力でのし上がった一流の冒険者だと胸を張れる、ということなのだ。
あこがれのA級。そこへついに手が届いた……という瞬間に、ティリオはハシゴから突き落とされたのだった。
あのあと職員に確認したところ、アイザーンの言うとおりティリオはすでにパーティーから脱退したことになっていた。
ハシゴから落ちたティリオの胸には穴が開いたようだった。今までの三年間が無に帰したのだ。
宿に戻って数日寝て過ごした。
金がなくなりそうだ、という現実的な理由から、いつまでも寝ていられなくなった。仕事を探しに事務所に足を運んだ。
そして今、ティリオは、依頼掲示板に旅の護衛の仕事を発見したのだった。
募集人数は最大一〇名。パーティーでの応募だけでなくソロでも受けつけてくれる。
目的地はデュバリという聞いたことのない町だ。(王国の西部辺境に位置する)と注釈がついている。
首都から遙か遠く辺境へ向かう旅――。
ティリオは、誰も自分を知らないところに行くのもいいかもしれない、と思った。
行って帰ってくるころには、モチベーションも回復しているだろう。
この時点では、あくまで一時的に首都を離れるだけのつもりだったティリオ。だが、この仕事を受けたことによって、彼の人生は大きく変化していくことになる……。
・
出発の日、ティリオは集合場所である首都の西門へと向かっていた。
門近くの広場では定期市場が開かれている。賑やかな通りをティリオはすり抜けて歩く。
市場の一角に立ち、ヴァイオリンを弾きながら歌っている男がいた。『新聞歌手』と言われるタイプの楽人だ。興味深いニュースや、話題の事件をメロディに乗せて伝える。
「さても怒りのルイーザ嬢、嫉妬を緑の炎と変えて、無垢なる娘を焼かんとす……」
近頃街で流行っている『不名誉令嬢』の歌だ。
ヴァロンダ侯爵令嬢ルイーザは美しい少女だが、その美貌を鼻にかけて高慢なふるまいが多い。婚約者の王子に対しても差し出がましい口を利き、煙たがられている。
王子は市井の娘を見初め、娘も王子を慕うようになったが、令嬢は二人の仲を引き裂こうと悪辣な計画を立てた。
だが神の恩寵か、王子の明察によってか、その計画は未然に防がれ、令嬢はついに王子から婚約の破棄をつきつけられたのだった……。
そういう筋立てだ。
ティリオは唇を歪めて笑みを作った。
いい調子で歌っているこの歌手は知るまい。自分が題材にしている『不名誉令嬢』がこの近くにいることなど。
西門で待っている、今回の旅の依頼者こそ、ヴァロンダ侯爵令嬢ルイーザその人なのだ。
なぜ彼女がデュバリという遠くの町まで行く用があるのかは推測しやすかった。
王子との婚約が破棄になれば、首都にいづらくなるのは当然のこと。おそらくは、デュバリという町で隠遁生活に入るのだろう。
ティリオの仕事は都落ちのお嬢様を護衛する役というわけだ。
もっとも、ティリオ自身はルイーザの顔を知らなかった。仕事の受付や連絡は組合の職員が行なった。だから今日が初対面になるはずだ。
「まるで見てきたかのように歌うのね」
歌手の前で足を止めていたティリオの隣に、いつの間にか少女がいた。
「あなたは疑問に思うことはないかしら? 市井の楽人がどこまで真実を知っているのかと」
ティリオに向かって話しかけてきた。
「新聞歌手なんてそんなもんだろ。尾ひれで飯を食ってるんだ。少なくとも婚約破棄は本当のことだしな」
「あなたは歌が丸々真実ではないと知って楽しんでいるということね」
「みんなそうだと思うけどな。ひれのほうが美味いからそっちを食ってるだけで」
「いいえ、意外と多いものよ。ひれを本体だと思い込んでしまう聴衆は」
これからの旅のことを考えてティリオは、高慢で悪辣というのが尾ひれだと助かるんだが、と思った。依頼人をえり好みするわけではないが、旅の途中で居丈高にふるまわれては愉快な気持ちにはなれないだろうし。
(ところで……誰だ、この子は?)
ティリオは改めて隣の少女に目をやった。
その視線に気づいた少女はいたずらっぽく笑った。
「そろそろ集合時間が近づいているわよ。冒険者ティリオさん」
名を呼ばれて、ティリオは思わず身構えた。
よく見れば彼女は丈夫そうな服や靴を身につけている。旅に出るようなかっこうだ。それに、着ているのはどれも地味に見えてかなり質のいい新品だ。だが最上級品というわけでもない。
ということは、この少女は侯爵令嬢の関係者か。おそらく令嬢に同行する侍女なのだろう。
「おれを迎えに来たってわけか?」
「偶然見つけただけよ」
(本当か?)
今の会話は直前テストみたいなものかもしれない。仕事に不適格な者を直前で落とすための。たとえば、依頼人に批判的な考えを持っているとか。
歌に同調してルイーザの悪口を言っていたらどうなっていたか、ティリオは内心でひやひやしている。
(わりと冷静な答えを返せたと思うが……?)
彼の思考をまるで読んだみたいに、少女はおかしそうに笑った。
「別に、今の会話に何もないわよ」
何歩か歩き出して、こちらを振り返る。
「私は先に行っているわね。またすぐに会いましょう」
すぐに会った。
「いやいやいや……」
ティリオは驚きのあまりあんぐりと口を開けている。
西門外には馬車が二台用意されていた。一台はもちろん侯爵令嬢がお乗りあそばすもの、もう一台は荷を運ぶ用のものだろう。
何人か雇われた者たちが忙しげに馬車に荷を積んだりして動き回っている。
そんな中、さっきの少女は、
「お嬢様、ご乗車の用意がととのいました」
――とうやうやしく主人に報告する……ほうではなかった。
逆であった。
侍女が、少女に向けて言ったのだ。少女は報告されるほうであった。
つまりは――
彼女がヴァロンダ侯爵令嬢ルイーザその人だ。
「来たわね、冒険者ティリオさん。あなたが最後よ」
驚きの顔をしているティリオに、笑いをこらえながら彼女が話しかけてきた。いたずらが成功したという顔だ。
歌に出てくる不名誉令嬢とは、まるで別人みたいな印象を受ける。
大貴族の娘が一人で市場を歩き回っているとか、平気な顔で自分を揶揄するような歌を聞いているとか、冒険者風情に気安く話しかけてくるとか、
「気づくわけないだろ!」
と、ティリオは声には出さず内心で突っ込んだ。
「さっきの尾ひれの多い歌、実は婚約破棄以外にも真実が混じっているのをご存知かしら?」
とルイーザが言う。
「……それは、どこがですか?」
相手が貴族と知ってティリオの口調も改まっている。
「私が美貌というところ」
そう言うと、ルイーザは身を翻して馬車のステップに足をかけた。
「……さあ、それでは出発よ!」
その姿は都落ちする失意の令嬢とは思えないほど凜としている。そんな彼女を見てティリオは、
(たしかに自分で言うだけのことはある)
――と、思った。
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