第3話 案内人ベルモントと代理人ラーズ

 

 顔に生温い風を感じ目を開くと、そこは雲一つない星空と広大な海が広がっていた。

 僕の生まれた国に海はない。しかし独特のにおいでこれが話に聞いていた海だと直ぐ気が付くことができた。初めて見た海はとても雄大で暗く、近づくと吸い込まれてしまいそうに暗く、そして暗かった。ほぼ何も見えなかったので感じることこれ以上ない。


 僕は目の前にある縁から下を見下ろした。

 どうやらここは360度海に囲まれた直径2㎞はある小島のようだ。僕は島の中心にそびえ立つ100m以上はありそうなレンガ造りの塔の頂上にいる。

 塔の周囲には市場を思わせる色とりどりの布屋根が広がり、真夜中ではないのか人の活気もわずかに感じられた。


 僕は誰かいないか辺りを見渡した。

 そして念の為もう一度見渡したが当然のごとく誰もいない。


「現地に案内人がいるって言ったのに、いないのはどういう事なんでしょうかレグルスさん…。」


 誰かくるのを待っていた方が良いのかしばらく悩んだが、存在しないと思っていた時よりも下がった神への信頼度のせいで、僕は自然と移動することした。


 ふと、レグルスさんが神様だったと思い出す。あの神にはいないとは思うけど、これからはレグルスさんの狂信者に出会う可能性も考え、賢い僕はレグルス様と呼ぶことを決めた。



|||||



 螺旋状になっている内階段をしばらく降りていくと、古びた鉄扉が僕の前に現れた。扉の左側には小さな犬のような生き物を大事そうに抱える子供が描かれ、右側には果物を差し出す子供が描かれていた。恐らくどちらも同じ子供だろう。


 つい癖で扉に耳を当て入る前に部屋の中を探る。扉が厚いのか何も音は聞こえず、ひんやりとしていた。

 仕方なく扉の取手を握ろうとすると、鍵穴のようなマークが扉全体に青白く浮かび上がり、僕を迎え入れるように独りでにそれは開いた。この取手は何のためにあるのだろうか?


 扉に部屋へ招かれ一番最初に感じたのは、薬草をいぶしたような独特の匂いだ。

 傭兵団の拠点にたまに出張儀式にやって来るシャーマンの怪しい薬の匂いを思い出す。

 部屋の中は黄土色の明かりに照らされ、一本足の巨大な丸椅子が中央に陣取り、その上ではこの部屋の主人と思わしきローブ姿の巨大な人物がもぞもぞと動くのが見て取れた。


「この部屋に私の許可なく人の身で入れたということは、お前さんは神の代理人かい?」


 その人はこちらを見ようともせず、そう僕に声を掛けてきた。その巨体から勝手に男だと思っていた僕は、女性のような声に戸惑いながらも、レグルスという神の代理人だと伝えた。すると上手に椅子の上で体を回転させ、僕に振り向いてその顔を見せた。


 長い鼻には小さい老眼鏡をのせ、花と果物の装飾が施された黒いローブを身にまとい、初めて見るが年老いているのはわかる真っ白い人型のドラゴンだった。


 レグルス様…、ファンタジー生物がいる世界かどうかは教えて欲しかったです。


「【絶海の交差市場 ラズベル】へようこそ、代理人殿。この島の所有者で選定の儀の案内人の一人、ベルモントという者さ、どうぞよろしく。」


 顔の動きとローブから出てきたゆったりと揺れるしっぽを見る限りどう見ても着ぐるみの類ではない。首からぶら下がる巨大な宝石が埋め込まれた金のアクセサリー一つとってもその知性の高さが感じられる。

 

 どうやら僕は肌の色など誤差の範囲でしかない世界に送り込まれたようだ。

 銃口を向けなかった自分を褒めてあげたい。まぁ驚きすぎて身体が動かなかっただけなんだけど。


「気負う必要なんてないさ。ここは所詮スタート地点一つだからね。次の場所へ向かう方法も単純明快、【この島から出ていく】ただそれだけさ。出て行くことさえ出来れば、どこへ行こうとも必ず次の案内人が現れる。まぁ気張らず頑張りな」


 そう言い終わると、ベルモントと名乗ったドラゴンさんは出口の扉を指し示す。

 そして話は終わった言わんばかりに僕に背を向け、またもぞもぞ机の上で作業を再開した。


 ………、えっそれだけ…?


 当然の如くその後の言葉を待った僕は、イメージしてた展開と全然違う事に肩透かしをくらった。てっきり案内人の人に導かれながら、神の代理人として何かするかと思っていた。そもそも神様が代理人を立ててまでさせたいことが島を出て行くことなんて、何の意味があるんだろうか一体…。

 

 未だ立ち尽くす僕に気が付いたのか、ドラゴンさんは再びこちらに目を向ける。


「…まだ何か用かい?」

「あの…、僕、レグルス様という神の代理人です。」

「それはさっき聞いたよ。」

「…、この後どうすればいいんですか?」

「それはさっき言ったろ、この島から出て行けばいいんだ」

「おすすめの方法は?」

「それを話したら、お前さんを代理人に選んだ神の資質を問えんじゃろうて…。」

「資質を問う?神様の??」


 部屋に微妙な空気が漂い始める。

 お互いの事前の認識が違うのだろう。話がかみ合っていない。

 昔リーダーが見張りの仕事を受けに現地に行ったら、野菜の送り先と逃げたら地の果てまで追うと無駄に脅された時に状況が似ている。その時の解決策はシンプルだった。疑問に思った事は聞く、ただそれだけだ。


「あの…、そもそも【選定の儀】ってなんですか?」

「お前さん本当に神の代理人であってるか??」


 僕の質問に怪訝そうな顔をしたドラゴンさん。

 意外に爬虫類の表情って読めることがわかる。

 でもその表情はちょっとやめてほしいな。

 僕が悪いわけじゃないないのになんかいたたまれない気持ちになるんだけど。


 とりあえず場の空気を変えるため、ドラゴンさんに僕はそれはそれは可愛いエンジェルスマイルをプレゼントしてあげた。首をかしげられたけどね!



|||||



「これは驚いた…正真正銘ただの人間の子供だ…。その上かなり脆弱な部類の…。なぜこんな子供を神が代理人に選んだんだ??紳印は確かに刻まれている、間違いなく本物。親神とのやり取りはフィルターがかかってて私程度腕じゃ覗けないね…。」


 ふぅとベルモント(ドラゴン)さんが一息つき、僕の額につけた指をゆっくり離す。

 指に展開されていた青白く発光する魔法陣も音もなく消えた。


 地球以外では人の記憶を読めるのが珍しくもないのかな?

 一つ分かったのは他人の悪意のない独り言でも精神的ダメージは蓄積するってことだけだ。一瞬でも自分が人よりちょっと優れていると思ってた過去の自分が恥ずかしい。


「代理人に余計な肩入れするなと言われているが、流石に自分が置かれた状況もわからぬようではな…。これから先進んでいけば理不尽な目にもあうだろうし、理由も知らない子供にそれはあんまりだ。」


 ベルモントさんは椅子の上から2m以上はある両腕で僕を持ち上げ、自分胡坐の上に座らせた。てかてかとしたローブの肌触りが実に気持ちいい。


 そしてこれから僕は理不尽な目に合う可能性があるらしい。悪いニュースしかまだ見聞きしてないけど、大丈夫でしょうかレグルス様?


「前を見な」


 ベルモントさんは手を前方へと向けた。

 手の平にはおびただしい数の小さな文字が球体状にひしめき合いうごめいているのがわかる。


≪示せ≫


 鳴き声のようにつぶやかれたその言葉、空間そのものに命令しているようにも聞こえる。音に近いそれに呼応するように、無秩序だった文字達は帯状に前方へと伸びていくと、7つの巨大な垂れ幕のような文章へと姿を変えた。


 ベルモントさん、残念ながら僕は町の看板すらまともに読めないタイプの人間ですよ。そんな人間にそもそもドラゴン語で書かれた文章を見せたって読めるわけ…、あれ、読める。なんでだろう見たこともない文字なのに間違いなく目の前の文章が理解できる。



|||||



選定の儀


統治の権能を持つ主神を選ぶための儀式である。

主神が任期を満了するかその役割を担えない状態と判断された時、大紳による協議のもと開催は宣言される。宣言が発出された時をもって主神の権能は儀終了まで凍結される。


選定の儀の期間中統治の権能は法紳が神格名簿に記載されている全大紳と協議のもと代理として必要最低限の権能の行使を許されるものとする。緊急の際、法神は大副紳との協議のみで必要最低限の権能の行使を許されるものとする。


選定の儀の期間中いかなる理由があろうとも神格名簿からの抹消、追加を禁止するものとする。


選定は公平でかつ公正でなければならない。

選定方法は選定の儀管理者に一任され、いかなる者もそれに干渉してはならない。

選定結果は選定の儀管理者の承認によって確定するもとする。

選定結果をもってその代理人を選出した神に、統治の権能を占有することを認め、主神へと選任するものとする。

選定の結果はいかなる理由があろうとも覆してはならず、全ての神はそれを尊重しなければならない。


代理人は神格名簿に記載されている者から選出してはならない。

代理人は管理者が定めた種より選出しなければならない。


全ての神は代理人を選出し、選定の儀に参加させなければならない。

代理人を管理者が定めた定刻までに選出しない場合、その神格は剥奪されるものとする。但し選定の儀を管理・運営するものに限りそれを除外する。


神は自身の選出した代理人にのみ、加護という形で力の一部を貸し与える事が可能である。しかし与える加護は管理者の許諾を得たものでなければならない。


神は選定の儀の期間中 日に一度、100秒のみ代理人に助言を行うことが出来る。

但し助言内容は管理者の判断によって自由に制限出来るものとする。


神は選定の儀の期間中 10日に一度 1000秒のみ代理人に助言を行うことが出来る。

但し助言内容は管理者の判断によって自由に制限出来るものとする。



|||||



 契約書を読めるけどわからないとぼやいていたリーダー。

 本当は文字が読めないんだろうと疑っていたが、今ならリーダーの気持ち痛いほどわかる。ごめんねリーダー、文字が読めると見栄をはってたわけじゃなかったんだね。


 一番近い文章をさらっと読んで既にお腹一杯の僕は、視線をベルモントさんの長い顎下へ向け、助けを求めた。


「要するに選定の儀って何なんですか?」


 読むのを諦めた僕に呆れるベルモントさん。

 彼女からふふっと声が漏れたかと思うと、その青い大きな瞳で僕を見つめ、二カリと白い歯を見せてきた。


「まぁ言うなれば、20026柱の神々の頂点、主神の後釜をかけた神々の代理戦争の事をいうのさ。」


 なるほど…、僕は一番偉い神様を選ぶ為の戦争に派遣されたんですね。

 なるほどなるほど…、意味がわからん。

 レグルス様…生き返られせて頂いた身ではありますが、世界のことを考え人選はもっとまじめにした方が良かったのではないでしょうか??


 様々な事が頭の中を駆け巡り脳みそが現実逃避したくなったのか、ふとよぎった素朴な疑問を口にする。


「なぜ代理人を使うなんてわざわざ回りくどい方法を?」

「大昔誰がというか、どの派閥から主神を出すかでもめにもめたらしい。それこそ選定の儀の最中神々の3割が消えさっちまうぐらいド派手にね。それの対策として代理人制度を導入したとメル様は言っておった。代理人同士に争わせておけば、儀にかこつけた神同士のきったはったは出来ないし、恨みもそこまで膨らまない。主神の任期を定めたのもその時という話だ」


 クリアでわかりやすい人柱だな、巻き込まれ側にたったら大分迷惑な話だ。


「今回の選定方法は【到達】だ。お前さんら代理人は案内人の指示に従い最終目的地である【真なる椅子】へ誰よりも早く辿り着くのが目的となる。」

「真なる椅子…。」


ベルモントさんは僕の頭をひと撫でし、僕はレグルスさんが残した不穏な言葉を思い出す。


「死ぬこともやっぱりあるんですか?」

「無いとは言えんな、人の身体は酷く脆い。ただ死ぬことを前提とした試練はないはずだし、仮に死んでも蘇れるようにはなっている。そうじゃなければ神ですらない案内人が主神を選ぶことも可能になるからね」


 ベルモントさんが腕を振るうと、中空に制止した文章たちは静かに消えていった。僕が読む気が無い事が伝わったのだろう。ごめんね、わざわざ出してくれたのに。


「話を聞く限りおまえさんを送り出した神は、不参加による神格剥奪を逃れる目的でお前さんを選んだようだ。まぁ色んな神がいる。人にとって良い神も悪い神も。お前さんを生き返らせた親紳がどういう方かわからんが、おまえさんは辛くても立ち止まらず、可能な限り先へ進んだ方がいい。」

「…逆ではないのですか?僕は結果を求められてないので、安全そうな所を見つけたら終わるまでそこでやり過ごす方がいいじゃないですか?」

「神は残酷だからね、意味をなさないものに慈悲は与えない。」


 ルールか期限でもあるのかな?

 悪意をもって言ってないことがなんとなくわかるのが救いだな。


「さて横道にそれてしまったね、そろそろお行き。選定に役立つ親神からの加護がわからないのは痛い所だが、親神関連は私の腕じゃ覗けない」


 ベルモントさんは大きな両手で再び僕を持ち上げると、優しく床に下し再び頭をなでた。

 どうやら話は本当にここまでらしい。僕が入ってきた扉とは逆の鉄扉がひとりでに開かれた。その扉の先には塔の上から見た市場と思われるテントの布屋根が広がっているのがわずかに見える。


 別れ際僕がお礼を伝えると、少し悲しそうに見えるベルモントさんの瞳が印象的だった。

 僕が扉を出て階段を降りようとした時、ベルモントさんが急に思い出したように僕を呼び止めた。


「ラーズ坊。親神を怨むんじゃないよ、それは何の意味のない事さ」


 それはつぶやくような、不安と心配が入り混じっているように感じた。

 優しい人だ。

 恐らく選定の儀の説明はおろか、虎の子の加護の説明すらされていないことをあんじたからだろう。僕が神と世界を恨んでこれからを駄目にしないように。


 僕はベルモントさんの気が少しでも晴れるように、僕の隠してはいないが話してもいない秘密を教えてあげた。


「僕はレグルス様には感謝しているんですよ、これでも。」

「………生き返らせてくれたからかい?」

「それもありますが…、実は僕、生きてる頃文字が読めなかったんです。普段よく目にする単語ぐらいはわかりますが、文章になるとさっぱり駄目で。でもそれがさっき、ベルモントさんが選定の儀の説明の時に見せてくれた文章を読むことができたんです。」


 ここまでは事実だ。そしてこれからは予測の話になる。

 ベルモントさんは沈黙によって僕に話の続きを促した。


「レグルス様がくれた加護は恐らくあらゆる言葉や文字を理解できるようになること。文字が読めなくていつも馬鹿にされてて、いつか本が読めるようになりたいという夢の一つを加護という形で叶えてくれたんだと思います。もしかしたら選定の儀にもっと役には立つ加護があったかもしれませんが、それでも僕はこの加護で良かったと思っています」


 だからそんな顔をしないでベルモントさん。優しいあなたにそんな表情は似合わないですよ。

 大丈夫、僕はそれなりにうまくやります。どのようにものをとらえるかで精神を安定させる方法も知ってます。例え普通を手に入れることが出来なくても、それは今までと大して変わらないのだから。


 僕の言葉にベルモントさんは表情は曇ったままだ。

 いや、よく見ればより悪くなった気もしないでもない。


 あれあれ?なんでそんな反応するの??そこがひっかかっていたところじゃないの??


「ラーズ坊………、それは大紳メル様が代理人全員に与えた加護の力で、おまえさんの親神の加護とは全くの無関係だよ…。」


 ベルモントさんはいたたまれなくなったのかついに視線をそらし、僕の作り笑顔は固まった。そして僕はそのままの表情で扉の外から見える雲一つない星空を見つめ、空の向こうから僕を見守っているだろうレグルス様へ祈りをささげる。


 レグルス様…いつか僕に与えてくれた特別な加護について知る日を心から楽しみしています。まさかとは思いますが、大事な大事な加護を与え忘れたなんてことあるわけないですよね、信じていますよ、レグルス様…。

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