第2話 神レグルスと選択



「いいわね、その中でしばらく大人しくしていなさい。死んだ母さんがここなら絶対に見つからないって言ってたから」


 女の人は必至の形相で僕を隠し穴に押し込むと、背板で塞ぐ瞬間不安が色濃くにじむ笑みを僕へ浮かべてみせた。

 

 平和な家庭に突如押し入った僕を守ろうとした彼女の不可解な行動は、僕の頭になぜという言葉を埋め尽くすのには十分だった。

 

 ただ、暗闇の中から見た弱弱しくも強い意志を持った彼女の微笑みは、遠い昔に僕を抱きしめて見せた母の笑顔を、思い出させてくれそうなそんな気がした。


……………。


…………。


………。


……。


…。


 無理だった…。

 美ヤギを抱きしめて高笑いしてる母の笑顔強キャラすぎだった…。

 衝撃のトレードから10年ぐらいたったけどお金持ちになることは出来たかなマイマザー…。


|||||


 夢見心地の中、ゴポゴポと遠くの方から泡が弾けるような音が近づいてきた。それは次第に大きさを増し顔まで撫でてくるようになると、嫌々ながらも僕にまぶたを開かせた。

 

 視界に広がったのは水底から吹き出る大量の泡と水。

 未だはっきりしない意識だったが、身体が命の危険を感じ無意識に水底に手を押し当て、鉛のように重い身体を無理矢理起こす。

 

 深い水中ならほとんど意味をなさない行動だろう。しかし僕がいた場所は肘ぐらいしか深さがない浅瀬だったようで、そのまま上半身を水面の上に出すことに成功した。


 辺りは明るいから昼間であることぐらいしかわからない酷い濃霧に包まれ、僕から吐き出される荒れた呼吸音しか聞こえない程そこは静かな場所だった。


 間違いなく言える事はここは僕が人生で訪れたことがない場所だ。


「どこだここ…」

「やぁ、お目覚めだね」


 背後からの突然の呼びかけに、反射に近いレベルで銃口をその方向に向けた。

 銃身の先にいたのは長い白銀の髪をアップした20代後半ぐらいの男だった。

 その男は黒と赤と白で構成されたストラを肩にかけ、4つの太陽が背板に刻まれた巨大な黒い木製の椅子に座り、僕に向け笑みを浮かべていた。


 初めて見る人種だ。

 目に見える武装も仲間も見当たらない。

 ストラを着けているから見た目通り司祭か何かにも見える。


「あなたは?」

「あぁ僕かい?僕のことはレグルスとでも呼んでくれていいよラーズ君。みんなもそう呼ぶからね」


 レグルスと名乗った男のなんてことのない自己紹介に、僕はため息が出そうになる。

 名前を把握されている。たまたま居合わせたわけじゃないようだ。

 丸腰に見えるこの人が、子供とはいえ銃口を付きけている僕を前に落ち着いているのも気がかりだ。敵意がないのか、もしくは僕が既に彼の用意した型にハマっているのか。恐らく後者だろう。


 状況はあまりよくはない、頭もまだハッキリとしない。


 直ぐにでも会話を打ち切りこの場から離れたかったが、辺りにこの人以外水しかない状況では選択肢が他になかった。


 僕は銃口を下すことをせず、そのまま会話を続けることにした。


「ここは…どこですか?バルムスという村にいたはずなんですが?」

「ここ?ここは【集約の泉 アルバ】って所だよ。言ってもわからないと思うけど」

「集約の泉 アルバ? ……それで、僕の名前を知ってるってことは、僕に何か用があるんですよね?」


 僕の端的な問いに彼は少し笑みを浮かべて見せた。


「話が早くて助かるよ。でもまず用件を伝える前に、君の現状を説明するよ。君は死んでここアルバに戻ってきた。それで君に頼みたいことがあるから、泉の管理人に頼んで今君を呼び起こしたとこだ。何かご質問は?」


 何を言っているんだこの人は??

 僕が死んだ?こうして今生きているのに??

 呼び起こしたという表現もよくわからない。

 あぁ…この人はあれか…重度の薬中ってやつか…。それなら宗教にすがってそんな恰好をしてるのも仕方ないことだ。お大事にレグルスさん。


 自分より可哀そうな人には優しく出来る育ちの良い僕は、レグルスさんを憐れんで見ていた。そうしたら彼の後ろから5m以上はある巨大な黒い塊がのっそり音もたてずに顔をのぞかせてきた。その黒い塊は6本角を持ったヤギの頭蓋骨の仮面を被り、両手には鎖付の手錠を身に着け巨大で質素なクワを手にしている。


 僕はその異質な存在の登場に面をくらい二の句を告げないでいたが、レグルスさんは特に気にすることもなく口を開いた。


「今の話で君がそう思う理由はわからないけど、想像力が豊かなことはわかったよ。ちなみにかれこれ数千年は薬なんて飲んだことないよ、意外と頑丈なんだ僕は」


 心を読んだ…のか?

 飲んだくれのジーンが言葉と相手の精神、状況を狭めてやれば似たようなことは可能だと言ったことを思い出す。実際やられるとひどく動揺するな…状況は少し悪くなった。


「………、それで僕に何をやらせたいんです?」

「大したことじゃないよ。ちょっと前から【選定の儀】っていうのが開催されているんだけど、それに僕の【代理人】として君に参加してほしんだ。」


 選定の儀?代理人??

 駄目だな、何をするか以前に意図がわからない。

 初めて会った子供の僕に自分の代理人をなぜ任そうとするんだ?


「もしその提案を断れば?」

「元通り世界の一部に戻すだけさ、残念だけどね」


 それは土に帰すと同じ意味だろうな。こっちに選択肢があるようにみせて、実質一つなんて見た目によらずとてもいい性格してるなこの人は…。


「それは見解の相違だね、僕はその選択を悪いとは思ってないんだ。望む人も少なくないからね。何にせよ、他に質問したいことはないかな?あるなら手短にはした方がいい。君は目覚めるのが一番早かったけど、他の人間もそろそろ起きてくるだろうからね。」


 他の人間もという言葉に疑問抱く僕に答えを示すように、彼が指を鳴らすと、周囲の濃霧が一瞬にして晴れ、見渡す限り水面に浸かる大量の人間が現れた。

 誰一人 人形のようにピクリとも動かない。歳も恰好も肌の色バラバラだ。

 そしてそれらの傍らには、僕の目の前いる男とうり二つの男が同じ椅子に座って、それらが起きるのを肩肘ついて眺めていた。

 目の前に広がるホラー映画に出てくるような光景に、僕は思い出し、現実をはきっりと理解出来た。


 僕は死んだ、あの後自分の手で。

 目の前にいるレグルスと名乗る人物は神か悪魔の類で、僕が今こうしているのも彼のおかげ。

 そして何より重要なのは彼は真実のみを述べている。なぜならば彼にとって僕は嘘をつくほどでも、変わりがきかない程の存在でもないのだから。


 僕は無意識に彼から銃口を下した。

 その行動に彼が少し微笑んだように見えたのは気のせいか。


「なぜ手短にしないといけないんですか?」

 だから端的に


「神一柱に付き代理人の枠は一つしかないんだ。時間も勿体ないし僕は一番初めに決断した人間から選ぼうと思っているからだよ」

 目の前の人物の気分が変わらないように


「あなたの…神の代理人としてそれに参加させようというのに?」

「参加はしてほしいけど、特に何かしてほしいというわけじゃないんだ。選定の儀の結果にも興味がないしね。法紳のフルールが今回全員参加にした上、代理人を立てないやつは神界から追放するって無理矢理ルール化しちゃってね。やらなきゃいけないことが出来たのに、追放されると色々とやりづらくなることが多くて仕方なくさ。」


 やれやれと身体で表現するレグルスさん。そして彼は神であることを否定しなかった。

 神様って何人もいるもんなの?一人しかいないって聞いてたんだけど…。

 彼と僕との温度差は広がる一方だ、まるで彼との間に分厚い見えない壁があるようだ。

 いや、実際あるのだろうそれは。神と人間の子供とでは比較すること自体話にならないのだから。


 視界の端で水に浸かっていた何人かの人間が起き上がろうと動き出す。

 僕には考える時間も質問する時間もないことを伝えてくる。

 何をさせられるかわからない、ただ断ればそこには死が待っている。ただ…、一度死を経験し、あの夢見心地のような気分で眠り続ける事が出来るのなら、そんなに悪くない選択肢のような気もしていた。


 でも…。


 僕は大きく一呼吸おいて、レグルスさんの青く透き通るような瞳に視線を合わす。


「その代理人、僕にやらしてくれませんか?」

「そう?じゃあ彼らは元に戻そうかな」


 彼は僕の返答に一考もしなかった。

 彫刻のような綺麗な顔で微笑むと再び彼は指を鳴らす。すると集められたであろう無数にいる人間が一瞬にして光の粒子へと変わると、中から体を形成する元となったであろう白骨が現れ崩れ落ち、そのまま水の中へと沈んでいった。

 彼らの前にいたレグルスさんもまた光の粒子へと変わり空へと消えていく。

 あらためて目の前の人物が超常の存在であることを思い知らされた。


「まぁ気楽にやってもらえばいいよラーズ君!これ以上僕が君に何かを求める事はないから」


 その光景にあっけにとられている僕をしり目にレグルスさんがそう言い終えると、僕の身体も所々光の粒子へと変わり始め、空に昇って行こうとしだした。


「ってちょっと待ってください!」


 話を切り上げようとしたレグルスさんを僕は大慌てで止めた。

 初めて見せた大声にレグルスさんも驚いたのか、ビクッ身体が跳ねこちらを見つめてる。


「あの結局、その選定の儀で僕は何をやればいいんですか?」

「詳細は僕も知らない。」

「えっ!?」

「あ、でも大丈夫大丈夫。今回管理を担当するメル曰く現地に案内人ってのがいて、それに従っていればいいみたいだし、まぁ~長生きでも心がければいいんじゃないかな?」

「えっ、命の危険があるんですか?神の代理人なのに??」

「それは君の行動次第じゃない?」


 駄目だ、びっくりするほど会話にならない。

 選定の儀も僕のことも、本当にどうでもいいんだこの神は。


「そ、そんなことないって。あ~…、うん…、そうだ!じゃあ君ともっと仲良くなりたい僕はちょっとプライベートな質問でも君にしようかな?」


 レグルスさんは変わらず微笑みを浮かべていたが、瞳が深く沈んだ色へと変わったように見えた。


「どうして参加することを選んだの?君にとって人生は酷く辛く酷く理不尽なイメージだったのに…。」

「えっ…」

「いやほらだって、生きてた時は朝には夜が来ないことを願い、夜には朝が来ないことを願っていただろ。参加するってことはもう一度生きることを選択したってことだ。心のどこかで常に人生なんて終わらせたいと願っていたそんな君が、なぜもう一度生きる事を選択したのはなんでかなぁって思って。」


 僕はその唐突な投げ掛けに一拍言葉を詰まらせるが、頭の中に僕を決死の覚悟でクローゼットの奥の隠し空間に押し込む女の人の顔が思い浮かぶと、自然と口から感情が言葉としてこぼれでてきた。


「………、ほんの一瞬でも、僕に生きて欲しいと願ってくれた人に、最後出会えたからですかね…。」


 返答は考えて出たものでも、相手の印象を良くしようとしたものでもない。

 理由は?と聞かれたら、自然とそれしか思い浮かばなかった。


「そっか………。君と僕は似てるかもしれないね。」


 レグルスさんからポツリと言葉がこぼれた。その言葉に反応するように顔を見上げると、彼は少し感慨深い表情を浮かべ過去を振り返っているようにも見えた。


「じゃあ、そういことで。」


 勘違いだった…この神ただそれっぽいこと言っただけだった…


 レグルスさんの反応に先行き不安になるが、有無を言わせず身体は光の粒子へと変わり僕はそのまま意識を奪われたのだった。


 光となって天へ昇っていくラーズを眺めながらレグルスは横にたたずんでいた六本角のヤギの髑髏被った泉の管理人にねぎらいの言葉をかけた。

 管理人は一礼すると、水中に先ほど出来たばかり無数の小さな砂山をクワを使いならし始めた。


 レグルスが水面へと降り立つ。

 水面は波紋を浮かべはするが、沈むことなくその体重を支えた。


「さてと……追放はとりあえず無くなったことだったし、まずは何本か枝でも切り落としにでもいこうかな?」


 水面の反射によって青空に浮かんでいるように見えるレグルスは、大きくのびをしながら決意の言葉をつぶやいた。

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