第3話 西暦二〇三二年の日ノ本に移った
舞台は、ウル王朝が滅んで四千年後、西暦二〇三二年の日ノ本に移った。
ここは日ノ本の国、函館五稜郭大学文学部の教室の一つ。よれよれのスーツをきた中肉中背の中年男が教壇に立っている。天然の茶髪にハーフのようなはっきりした目鼻立ちがこの男の唯一のイケメンポイントだが、だらしない恰好と軽薄そうな丸眼鏡が色々と台無しにしている。
当然、そんなことに本人は気が付いていない。なんの取り得もない男が、なんの変哲のない日常を過ごすうちに30歳になっていた。
そんなわけで、今日もこれまでと同じように、緩く授業が始められたようだ。
俺は教壇に立って教室を見回す。相変わらず教室内の生徒の数はパラパラといるだけ。この国の経済を支えようとする大学生たちにとって、俺が指導する考古学は興味を引くものではないのは分かっていることだ。ここにいる物好きたちに新学期恒例の自己紹介を始める。
「諸君! 形代(カタシロ)ゼミへようこそ。俺がこのゼミの担当教諭の形代崇(カタシロ タカシ)30歳独身。薄給の考古学者で准教授だ。専門は縄文文化全般だ。
単位は履修申請書だけ出せばくれてやる。興味がない奴は出て行ってもらって結構。物好きな変わり者だけ教室に残ればいいぞ!」
俺はそう言って、教壇の上の書類回収ボックスを指さした。初めてやったときは度肝を抜いたパフォーマンスも今年で四回目、この大学の文学部の全ての学年の前でやらかしている計算になる……。
元々、パラパラとしかいなかった生徒たちは、教壇の上の箱の中に申請書を放り込んで教室を出ていく。教室に残ったのは五人だけだ。
「毎年、最低人数をきっちり更新しているんだが今年は五人か。ちょうどいい人数だな。じゃあ、そちら側から自己紹介をしてもらおうか? 名前と専攻動機を頼む」
俺はそう言って、やや平べったい顔のお笑い系の奴を指さした。
ぬぼっと立ち上がると、
「わいの名前は、吹戸主人(フキト カズト)や。関西出身で古墳が身近にあったんで興味があったんや」
「そうか? 俺の専門は縄文時代、特に紀元前二〇〇〇年ごろの縄文時代の考察で、古墳はまだだいぶ後の時代だけどな。じゃあ、次は真面目そうなお前だ」
髪をぴっちりと七三に分けた黒縁メガネを指さした。
すると、そのメガネの隣に座っていた女の子が立ち上がった。
「私たちは双子で、そっちのむっつりが兄の開戸洋(かいと ひろし)。人見知りが激しいタイプなの。それで私が妹の開戸ミヒロだよ。チャームポイントはフワフワのボブカットです。似合ってるでしょ。私たち考古学には全く興味が無くて……。私はどちらかと言うと万葉集とかの古典が好きなんですが、形代先生のプロフィールを見て専攻することに決めました。よろしくお願いします」
双子と言ってもあまり似ていない。ボブカットに似合う丸顔で、大きな瞳はたれ目がちで美人というより可愛らしい顔立ち。年齢より幼く見えるロリ御用達だ。
「プロフィールの写真もひどかったけど、目の前の本人はさらに下の下だな」
「お兄ちゃん。余計なことは言わないの。はい、よろしく」
妹に頭を押さえつけられて、二人揃ってお辞儀をしたところで、兄貴は顔だけを正面に向けお辞儀している。
そのお辞儀、工事現場で頭をさげているふりをしているおじさんの看板にそっくりなお辞儀だから。
それに兄貴の独り言はしっかり聞こえた。君は妹さんと違って、建前社会になじめないようだね。一生引っ込み思案で閉じこもって、授業にも出てこなくていいから……。心の中でつぶやいて、気を取り直して、自己紹介を進める。
「写真は余っていた数年前の免許写真を使用した。――少し印象が違っていて悪かった。じゃあ、次は君だ」
ヒョウ柄のジャケット、茶髪のレイヤーカットに派手めの化粧の女の子を差した。キャバクラの指名ナンバーワン間違いなしの美貌なんだけど……、これは引っ込み思案とは真逆の意味で危ないタイプだな。
「うちも最初の男と同じ関西出身で根戸ルリ(ねと るり)っていうねん。以後お見知りおきを。で、何でこのゼミを専攻したかやねんけど……。ここ来たら小遣いがもらえるって聞いたんやけど? ちゃうのん? 知らんけど?」
「いや、根戸は誰にそれを聞いたんだ?(小遣いって援交が目的?)」
「ちゃうのん? たしか山田っていう入学式に声を掛けてきた先輩? 知らんけど」
「そこで疑問形っていうのはよくわからないが、知らんけどが口癖なんだな。その山田ってやつは、最初の一回だけフィールドワークに付いて来て、そのあと一度もゼミに来なかった奴だな。そういうことか? 大体言いたいことは分かった。その件については後で説明するとして、最後に君だ」
俺に指されて、女の子が静かに立ち上がった。彫りの深い顔立ちで、はっきりした二重の大きな瞳がまず印象的で、通った鼻筋とやや厚めの唇の位置関係が黄金比の理想的、サラサラの緑がかった腰まで伸びた黒髪は古風な大和撫子だ。
「あたしの名前は瀬戸ミズエ(せと みずえ)。この選択授業のコマは占いで決めたの。あたしの運命を左右する出会いがあるらしくて……。うん。絶対に外れてるよね。おかしいな? あたしの占いは外れたことがないのに……」
俺も外れていると思う。そう思った時点で退室するのが正解だと思うだけど……。
「わかった、わかった。当たるも八卦当たらずも八卦だ。ところで偶然だろうが、今年残った生徒たちの名前はみんな戸が付くんだな。
戸っていうのは、地名によく使われている漢字でな。万葉仮名の「ト」を表してるんだが、現代のような入り口という意味はない。
戸は横に引く引き戸の意味を表すんだ。これは空間の線引きという意味で、結界を張るとかナワバリをはっきりさせるとか……。字のごとく閉鎖的で自分勝手な感じのお前ら、ゼミで仲良くできるのか?」
「形代先生、そんな名前の由来みたいなことはどうでもええですから。仲良うする以前に、どうせ文学部は読書好きのオタクかコミュ症がほとんどやないですか? それより、さっきの小遣い云々という話のほうを聞かせてなぁ」
「吹戸か?! お前ら先輩たちから正確な情報を聞いてないんだな。まったく、情報こそ他者に先んじる武器なんだけどな。まあ、毎年残る奴は先んじることができず、人生で損をしそうな奴ばっかりだったわ。
そんなお前らのために、このゼミは授業以外に銭を稼ぐフィールドワークに参加してもらう。ほぼ毎週土曜日と遠くに出かける場合は土日が潰れる場合もあるぞ」
「先生、フィールドワークってなんですねん? それって儲かるんでっか?」
「どうせ、ろくなことあらへんって、知らんけど」
興味深そうに、前のめりがちな吹戸に対して、同じ関西弁でも根戸の方はさすが女の子、現実主義者で疑り深いわけだ。この場合は根戸が正解だ。
「フィールドワークっていうのは、発掘作業のバイトだな。穴掘って時給千円、強制じゃないけど、このゼミは遠征が多くて金がかかるぞ。覚悟しろよ」
ネタバラシをして周りを見回す。五人の反応が薄い。ここは畳みかけてなし崩し的に納得させるのべき。そう考えた俺は、教科書と一緒に持ってきたビラを五人に配った。
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