勇者の目覚めは胸の谷間で ⑵

 全身の穴という穴から水が流れ込んでくる。

 どうやら巨人の少女にビンタされて吹っ飛んだ後、近くにあった川に頭から突っ込んだらしい。


 お陰で寝起きの頭もスッキリしたし、落下の衝撃も幾分か緩和された。…そういうことにしておこう。


 幸い、浅瀬で流れも緩やかだったので、溺れることもなかった。

 はたかれたダメージも然程ない。もしかすると直接ビンタを食らわせられた訳ではなく、風圧だけで吹き飛ばされたのかもしれない。人間相手だからと加減をしてくれたのだろうか?


 水底の砂利に両手をついて、ずぶ濡れになった顔を上げる。


(そういえば、目が覚める前にもこんなことがあったような……)


 巨人のビンタの衝撃か、ほんの少しだけ目を覚ます前のことを思い出せた。

 巨大な何かに吹き飛ばされる視界と、その衝撃が、意識に記憶となって焼き付いている。


(そうだ…こんな感じでトラックに轢かれたんだ、オレ……)


 だがそれ以外の記憶が、どうも思い出せない。


(多分、異世界転移でもしたんだろうけど……こういうのってだいたい現代社会の知識で無双すんのがセオリーじゃねぇのか…? 何も思い出せねー…)


 今のこの世界と、前の世界の記憶とで混濁する意識。

 頭の中だけで考えてもどうにもならないだろう。踏ん切りをつけ、とりあえず失われた記憶については頭の片隅に追いやることにした。

 見ず知らずの場所で目覚め、挙句に巨人族に吹っ飛ばされた直後にも関わらず、我ながらえらく冷静だなと思う。


 さて、周囲に現状把握ができそうなものはあるだろうか……そこで改めて、目の前にいる巨人の少女に視線が行く。

 彼女から話を聞くのが手っ取り早いだろう。だが、それは叶わなかった。


 ……少女が、こちらに背を向けて蹲っていたからだ。

 それどころか、抱いた肩を小刻みに震わせて、嗚咽を漏らしている。

 流石は巨人、ああやって限界まで縮こまっている状態でも、自分の倍ほどの丈がある―――いや。今はそこは全く重要ではない。


(まさか……な、泣いてる…!?)


 少女が泣いているではないか。

 まさか…何故泣いているんだ? いや、思い当たる節はある。


 巨人といえど女性だ。先程自分が寝ていたあの場所は恐らく、彼女の肌の上。それも……胸の谷間。

 寝込みに女性があんなことをされてどう思うだろうか?


 もしくは、巨人から見た人間のサイズ感からして……服の中に小型の野生動物が入っていたようなものだ。

 起き抜けにそんなことがあれば、大人の男でも相当驚くだろう。


(……現実じゃあり得ないラッキースケベ的シチュエーションでぶっちゃけテンション上がってたけど、女の子からすりゃあ確かに怖いよな……)


 故意ではないが、ひとまず謝罪すべきだ。


 穏やかな水流をかき分けつつ、彼女の背中に向かっていく。

 途中、陸に上がった際に大きな水音が周囲に響いた。驚いたのか、彼女はまた一段と大きく肩を揺らした。相当怖がっているようだ。


 なるべく優しい声色で、宥めるように語り掛けるのが良いだろう。


「わ、悪かった……わざと君の胸に入ったわけじゃないんだ」

「じゃ、じゃあ何で…!? どうやってあんなところに入ったんですかっ!?」

「そ、それが…記憶が無くて……」

「なんですかそれっ!!」


 声を荒げてこちらに振り向く少女。

 もう一発ビンタが飛んでくるのではないかと身構えるが、それは杞憂に終わった。少女がまた背を向けてしまったのだ。


 一瞬だけ見えた自分の顔ほどもある大きな瞳には、涙が浮かんでいた。


(て言っても…こっちも何であんなとこに居たのか分かんないんだよな……)


 弁明のしようがなかった。下手に言い訳をしても更に不快感を煽るだけだろう。

 それから少女はと言うと、「屋根のあるところで寝たいよう…」と涙声でこぼして悄気込んでいた。あんなに大きな背中が、なんとも心許ない。


 これから何を言っても遅いとは思うが……。

 改めて謝罪の言葉をかけるべきかと逡巡した―――その直後。

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