「なんや。そんなん、あんたなんも悪いことないやん」

 すべてを告白し終えて、なにを言われるだろうかと、怯えながら構えていたわたしに、亮治さんはそんな言葉をかけてくれました。あまりにあっけらかんとして、迷いのないその物言いに、わたしは心底驚いて、亮治さんの顔をまじまじと見つめました。すると彼はわたしの戸惑いに答えるように薄く微笑んで、こう言いました。

「好きでもない人と一緒になるなんて、そんなん、誰だって嫌や。約束だけでも嫌や。それで当たり前とちがう?」

 亮治さんの声は、不思議でした。他の人に同じことを言われたとして、たとえそれがお母さまであろうとも、きっと伝わらないだろうなにかが、彼の声にはありました。思えば亮治さんは、いついかなる時もそうでした。彼の話し方や態度からは、一見しただけでは冷めきって皮肉めいたものを感じるのに、実のところ、それは常に熱を帯びて力強い意志に裏打ちされたものでした。

 わたしは頷くでも返事するでもなく、ただ亮治さんの瞳を見つめ返しました。それだけで、今の今まで胸の内につかえていたものが、綺麗さっぱり洗い流されるような、どんな風より清々しい心地よさを感じられました。わたしはその時、初めて真に思いました。わたしは生きよう、生き続けようと、真に強く思いました。

 いつの間にか、涙は嘘のように引っ込んで、視界は雨上がりの空のように澄みきっていました。庭の景色はいつになく明瞭に、遠くの山までくっきりとして、わたしはここに来てようやく光というものを見た気さえしました。するとその時、地面の方で、なにやら赤い点のようなものがちらついているのが、目に留まりました。

「あ」

 わたしは言いました。亮治さんが気付いて、わたしの視線を追いました。

「あれ、赤い花やったか」

 それは、先だってこの場所で亮治さんが見つけた、わたしが待宵草だと述べた例の草でした。以前と比べ丈が倍ほどにも伸びたその草は、黄色い花をつけるどころか、真っ赤に膨らんで見慣れない姿の、美しい花を咲かせていました。

「なんの花なんやろ、これ」

「さあ。なにかしら」

 その赤は、信じられないほどに深く、濃い色をしていました。わたしがそれ以前に見たことのあるどんな花にも、そこまではっきりと真紅と呼べる色味のものはありませんでした。まるで血にも似た暗さも含んだその色は、けれど花として日差しの中、可憐に咲き誇ることにより、その暗さを凌駕するほどの明るさを放って、輝いて見えました。

「名前もわからん花、か」

 ため息を吐くように、亮治さんが小さく呟いた声を、わたしは聞き逃しませんでした。強い風が何度も吹きつけて、赤い花はひらひらと、絶えず揺れ続けました。

「なあ、修子。あんたにだけはわかっておいて欲しいのやけど」

 亮治さんが、わたしに背を向けたまま言い出したので、わたしはその背中を見遣りながら、黙って続きを待ちました。浴衣の袖が、花と同じく、風に遊ばれはためいていました。その濃紺と、花の真紅とが、入れかわり立ちかわり視界に眩しく飛び込む間、わたしはまばたきも忘れて、景色に見入りました。一瞬は、永遠にも思われるかのようでした。

「ぼくは女になりたいんとちがう。姉さんに……、夢子になりたいんともちがう」

 背中の向こうで、彼はどんな顔をしていたのでしょう。

「ぼくは、はようぼくになりたいのや」

 亮治さんは、知らないうちにわたしの方を振り向いて、穏やかに微笑んでいました。けれどその眼差しには、隠しきれず切なさが滲み出ていました。

 それでも彼は泣いたりしませんでした。「お腹空いたわあ」と、あくびをするような調子でひとりごちると、亮治さんはさっと立ち上がって歩き出しました。お勝手に向かうその背中を、わたしも後からのろのろと追いかけました。日が高くなるにつれ、風の勢いはどんどん強まっているようでした。角を曲がりかけて、なんとなく振り返ると、軒下で、赤い花はまだ揺れていました。

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