「修子は、のんびりさんやから」

 それは、わたしが幼い頃から、なにかにつけてお母さまが口にする、常套句のようなものでした。それを言う時、お母さまは決まって京言葉に戻ってしまうのでした。

 思い返せば、わたしはいつもそうでした。小学校に上がる前は、近所の同じ年頃の子どもたちから煙たがられるほど、ひとり遊びに夢中になっていましたし、学校が始まってからも、集団生活になかなか馴染めずに、教室の隅から皆の様子をぼうっと眺めているばかりの子どもでした。女学校に入ってからは、少しは人付き合いもできるようになって、お友達もいくらか増えたものの、皆が休み時間の度恋愛や結婚の話をしているのを、いつも他人事のように聞き流していました。それだから、いつまで経っても自立できず、甘えたのまま育ってしまったわたしを、お母さまは憐れみと愛情のこもった優しい眼差しで、「のんびりさん」と、叱ることなしに見逃してくれていたのでした。

 戦争が始まって、時代の空気が年を追うごとに暗く、重たく変化していく中、やがて女学校の生徒が工場へ勤労動員されるようになってからも、わたしは未だのんびりとしたままでした。むしろわたしは、工場で電気部品の組み立てなどの作業を行う非日常を生きることで、将来の色々なことを考えるのを先延ばしできると、喜ばしく思ってさえいました。

「戦争で、若い男の人が皆兵隊に取られてしまって、わたしたちはこれから、一体どこにお嫁に行けばいいのかしら?」

 ある日の昼休み、仲良くしていたお友達の何人かが集まって、深刻な雰囲気でそんなことを話し込んでいました。わたしはそれをいつものように聞き流していたのですが、不意を突くように「修子さんは、どう思う?」と訊ねられてしまいました。焦ったわたしは、さんざん迷った挙句、

「ええと、皆さん、大変なのね」

 と、思ったままを口にしました。すると途端に、彼女たちは互いの顔を合わせ、くすくすと笑い出しました。

「修子さんてば、変な人。大変なのね、ですって」

 彼女たちがおかしそうにそう言い合うのを、わたしはひとり、わけもわからず黙って眺めていました。後日、この話はその場にいなかった他のお友達にも知れ渡って、皆ことごとくわたしを笑い者にしましたが、当のわたしはなにがそんなにおかしいのか、さっぱり理解のできないまま、日々は刻々と過ぎていきました。

 

 市川森太いちかわしんたさんが我が家を訪れたのは、昭和十九年の秋の終わりのことでした。

 来訪は、わたしにとってはなんの前触れもない、全くもって突然のことでした。その日は土曜日でした。普段の休日と変わらず、わたしは少し遅めの朝食を摂り、その後は自室に篭って本など読んでおりました。十時過ぎ、お母さまに呼ばれて居間へ行くと、お父さまがなにやら難しいお顔をして座り込んでいるので、わたしは不思議に思いながらも、声はかけずにその正面に着席しました。

 しばらく、お父さまは黙ったままでした。わたしは、もしかしてなにか叱られるようなことを気付かないうちにしてしまったのかしら、と、沈黙の中だんだんと不安を覚え始めていました。けれどそれは、全くの見当違いでした。お父さまの隣に座ったお母さまが、しびれを切らして口を開きました。

「市川さんのところの息子さんが、もうすぐうちへいらっしゃるから、あなた、お着替えしてらっしゃい」

「息子さんって?」

「森太さんよ。覚えているでしょう?」

 市川さんとは、わたしが女学校へ入学する頃までご近所に住んでいて、引っ越されてからも付き合いの続いていた、学者さんのお家でした。その息子の森太さんとは、わたしより二つ年上の、幼い頃何度か一緒に遊んだ記憶のある人でした。森太さんとは、確かこれより一年ほど前、女学校の帰り道に急に名前を呼ばれて、ばったり再会したことがありました。学生服に身を包んだ森太さんは、わたしの記憶よりずっと背が伸びて、まるで知らない人のようでした。わたしはその時、あまり彼のことをよく覚えていなかったせいもあって、二言三言挨拶程度の言葉を交わして後、そそくさと逃げ帰ったのでした。

「ああ、あの人」

 わたしはその時のばつの悪さを思い出して、気落ちしてしまいました。

「でも、なぜ、あの人が、うちに?」

 嫌々ながら訊ねると、お母さまはお父さまに説明するよう促しましたが、お父さまはそれでも黙ったままでした。呆れた様子のお母さまは、ひとつ大きなため息を吐いて、

「あなたにご用があるそうよ」

 それだけ言うと、お母さまはすっと立ち上がってわたしの席まで回り込んで、「さ、さ。修子。早くお着替えしないと」と、急いだ様子でわたしを部屋まで送り返しました。

 森太さんがわたしになんの用があるというのか、お母さまはなぜわたしをそんなに急かすのか、その上、どうして着替えをしなければならないのか、わたしはちっともわからないまま、お母さまが箪笥の奥から引っ張り出した、一度だって着たためしのない上等の振袖に着替えました。もんぺではないものを着るのは、随分久しぶりのことでした。

 お母さまの言ったとおり、それから一時間と経たないうちに、森太さんはご両親とともにやって来ました。玄関先で両親同士が妙にかしこまって挨拶し合うのを、わたしは変に思いながらもぼんやり眺めていました。すると森太さんが、ご両親の後ろからにこりと笑いかけてくれました。そのあまりに影のない笑顔に、わたしはなぜかちょっとばかり気が引ける思いがして、目線を逸らしながらも、ごまかすように会釈しました。

 小さな客間に、わたしと森太さんは向かい合わせに着席し、それぞれの両親が傍らに座りました。最初に口を開いたのは、森太さんのお父さまでした。

「この度、息子の出征が決まりました」

 おめでとうございます、と、お父さまとお母さまが口々に言ったので、わたしも慌てて、おめでとうございます、と言いました。その時わたしは、あ、と気付きました。先ほど森太さんが見せた笑顔は、きっと、死を覚悟した人にしか持ちえない笑顔でした。それは、いくら空襲でいつ死ぬかわからない毎日を過ごしているとはいえ、まだ明日のことを希望を持って考えられるわたしから見れば、あまりに遠く、隔たりのある笑顔でした。

「修子さん」

 森太さんから呼びかけられて、わたしは面を上げました。けれど表情は硬いまま、愛想笑いもできませんでした。わたしはその時、紛れもない恐怖を感じていました。背筋から、ぞわぞわと予感されるものがありました。叫び出したくなるほどの耐え難さに、それでも場の空気は、わたしが身動きすることさえ許しませんでした。

「僕の気持ちは、手紙でお伝えしたとおりです。今すぐ祝言を上げたいというわけではありません。ただ、どうか僕が無事に帰国したあかつきには、修子さんと結婚し、ともに家庭を築いていきたい、その約束だけが欲しいのです」

 わたしの顔を真正面から捉えて、森太さんは告げました。

 その瞬間、わたしはようやくすべてを理解しました。なぜお父さまはずっと黙り続けていたのか、どうしてお母さまは森太さんの手紙を見せてくれなかったのか、それら疑問の答えさえ、訊かなくともわかりました。もし事前に少しでも聞かされていたならば、のんびりでなんの準備もできていないこのわたしは、きっと大いに取り乱して、自室に逃げ込んで森太さんとは顔を合わせようともしないだろうと、お父さまとお母さまはそれぞれに考えたのでしょう。そしてそれだからこそ、こんな風に逃げ場のない状況に持ち込んで、普段からなにかと流されやすいわたしが、断れるはずもなく「はい」と承諾するのを、お父さまもお母さまも、きっと他にどうしようもなく予想していたのでしょう。だって、それ以外に、彼らの取りえた手段がどこにあったでしょうか。わたしたちの未来を守るために死んでいく人へ向けて、その最後の望みを断ち切ってしまうことを、優しいお父さまもお母さまも、どうしてできたというのでしょう。

 だからこの時、唯一残酷だったのが、わたしでした。森太さんの、わたしへ向けてご自分の人生を投げかける、必死の眼差しを、わたしは、受け入れられなどしませんでした。わたしは、だから、誰より身勝手でした。わたしは引き込まれたくありませんでした。森太さんの死に、わたしの生を引き込まれたくはありませんでした。わたしは望んでいました。わたしがわたしだけのために生きることを望んでいました。それだから、自らの未来を、わたしだけの生を、よく知らない誰かの死のために捧げ出す、そんな行為はわたしにとって、たとえどんな時代であったとして、打ち捨てることにほかならなかったのです。

「お断りします」

 わたしは言いました。自分でも驚くほど、その声は震えなく、明瞭に響きました。

 まっすぐ見つめ返した先の森太さんの顔から、絵に描いたように綺麗な微笑みが消えて、みるみるうちに表情が失われていくのを、わたしは最後まで見届けました。そうしてわたしは、現実に立ち返りました。お父さまも、お母さまも、森太さんのご両親も、皆が皆、森太さんと同じように、凍りついた瞳でわたしを見ていました。その場にいる全員の視線に射抜かれて、その時になってようやく、わたしは自分のしてしまったことに気付きました。その気付きは、まるで出血のように具体的な痛みとなって、わたしの胸の内から噴き出ました。

「ごめんなさい」

 痛みをごまかすようにして、わたしは小声でひとりごち、そうしてあとのことはもうなにも考えられず、急いで立ち上がると、客間から飛び出しました。誰もいない廊下を、これ以上はありえないほどの速さで駆け抜けて、どうにか辿り着いた自室の襖をこじ開けると、勢いよく閉めきり、机の上に顔を伏せるようにして、音もなく崩れ落ちました。

 それから日が暮れるまで、わたしはその場から動けませんでした。なにが起きて、なにをわたしは起こしたのか、わかりきっているのに、なにもかもわからないままでした。ひどい気分で、けれど眠ることもできずに、わたしは冴えた目で暗闇を見つめ続けました。

 ようやく顔を上げることができたのは、襖が遠慮がちに開かれる音がしたからでした。振り返らずとも、足音でわかりました。お母さまでした。

「お母さまは、ひどい」

 背中を向けたまま、お母さまがなにか言い出す前に、わたしは言いました。

「お母さまも、お父さまも、ひどい」

 言いながら、それが全くお門違いのそしりであることを、わたしはちゃんとわかっていました。それでもわたしは、そう言わずにはいられませんでした。涙が、ようやくもって目からこぼれ落ちて、わたしは声を上げて泣き始めました。お母さまがすぐに駆け寄って、わたしの全身を包むように、柔らかな両腕で抱きしめてくれました。

「修子、修子」

 お母さまは繰り返し呼びました。次第に、お母さまも涙声に変わっていきました。

「お母さまは、本当は、知っていたの。修子は、小さい頃から色々なことに敏感で、よその子とは比べ物にならないくらい繊細な子だって、本当は、ずっと前から知っていたの。だからお母さまは、修子がどうかそれを自覚してしまわないよう、どうか普通の人と同じように、苦労なく生きていけますよう、毎日祈るような気持ちで、あなたのことを、のんびりさん、のんびりさんて、おまじないでもするみたいに、呼び続けてきたのよ」

 お母さまは畳の上に泣き崩れて、わたしに詫びるみたいに告白しました。わたしはそれを聞いて、涙が余計に止まらなくなってしまいました。お母さまがかわいそうでした。わたしより、お母さまの方が、よほどかわいそうでした。

 最後の方には、わたしがお母さまを抱くようにして、わたしたち母子は、いつまでもくっ付いていました。その夜は、数年ぶりにお母さまと同じ布団で寝ました。


 翌日、午後になって、再び来客がありました。驚くことに、それは森太さんでした。

「昨日はすみませんでした」

 前日とは違い、ひとりで来た森太さんは、家の中に入ろうとはせずに、玄関に立ったまま、どうしてもわたしに会って伝えたいことがあるとのことでした。きっと昨日のことを咎められるのに違いない、と、怯えたわたしはお母さまを通して断りましたが、それでも森太さんはあきらめてくれませんでした。お母さまに説き伏せられる形で、わたしがようやく玄関に足を運ぶと、森太さんは目が合って早々、深々と頭を下げました。

「出征が決まってから、どうやら僕は悲観的になりすぎていたようです。そのせいで、修子さんの気持ちを少しも考えられていなかった。あなたを傷付けてしまい、本当に申し訳ありませんでした。昨日のことは、どうかすべてなかったことに」

 わたしの予想を外れて、森太さんは、ちっとも怒っても不機嫌でもありませんでした。むしろ前日にはなかった気さくささえも感じられて、その微笑みもごく自然なもののように感じられました。そのように自然体で謝罪する森太さんに、わたしはかける言葉も見つからず、ただ同じように頭を下げるしかありませんでした。

「修子さん」

 帰り際、森太さんに改まって呼びかけられて、わたしは顔を上げました。

「僕は、僕の明日を生きていこうと思います。ですから修子さんは、どうか修子さんの明日を生きてください。お互い、それぞれの道を行きましょう」

 森太さんは、にこりと笑って、そう言ってくれました。笑顔に西日が射して、その眩しさは、どこか寂しげに見えました。

「あの、どうか、お元気で」

 それだけが、わたしがどうにか口にできた言葉でした。

「ええ。あなたも」

 最後にもう一度笑って、森太さんは去っていきました。

 この一件は、それですべて終わったように思えました。森太さんに言われたとおり、わたしはなにもかもを忘れることに決めて、戦争が終わる気配の微塵もない日常へと戻っていきました。お母さまもお父さまも、そんなわたしを見守っていてくれました。

 冬の初めのある日、わたしはいつものように工場で働いていました。小休憩の間、お手洗いへ行こうと、廊下の角を曲がった時、向こうから声が響いてきました。

「でも、修子さんは、ほら、変わり者だから」

「だからって」

 突然現れたわたしに、二人は驚いた様子でこちらを振り向きました。会話をしていた二人のどちらとも、わたしが普段から仲良くしていたお友達でした。

 わたしはその場に固まってしまいました。たった今二人が話していたことが、あの秋の終わりの一件に無関係のはずがないことは、わたしにも瞬時に悟られました。そのまま、わたしがなにも言い出せずに目の前の二人を交互に見ていると、先ほど話し始めていた方のお友達が、わたしの顔をきっと睨んで、こう言いました。

「変わり者、で済まされる話じゃないわよ」

 彼女の瞳は、わたしへの侮蔑に満ちて、鋭く突き刺さるようでした。

「人でなし、って言うのよ。そういうのは」

 彼女はわたしを睨み続けていました。けれど言い終えた途端、まるで興味を失くしたかのようにさっと視線を逸らすと、「行きましょう」ともうひとりの子に声がけて、連れ立って作業室へと戻っていきました。

 それから帰宅するまで、わたしは誰にも話しかけられず、目も合わせてもらえませんでした。皆が皆、わたしを徹底して無視しました。それは翌日も、その翌日も続きました。

 つまりは、そういうことでした。どこから漏れたのか、今になってもわかりませんが、あの件は、わたしの知らないうちに噂が広まって、いつの間に、ひとり残らずすべての人の知る事態となってしまっていたのです。

 平穏に続くはずだった日々は、冷えきって刺々しいものに、一瞬で変わり果ててしまいました。その変容は、わたしの心を見事なまでに粉々に壊してしまいました。

 工場へ行くことはおろか、わたしは眠ることも、食事を摂ることもできなくなってしまいました。自室に引き篭ったきり、一日中涙は止まる気配もなく、壊れてしまったわたしは、ものをまともに考えることもだんだんおぼつかなくなっていきました。戦時下の東京で、わたしほど使い物にならない人間もいないのだろうと、自虐的な思いに支配され、わたしは自分で自分の首を絞めるような苦しさに苛まれ続けました。もはや自分に許されるのは、ひとえに死だけなのではないかと、そんな考えさえ浮かぶようになりました。

 けれどわたしは死にませんでした。死ぬことは、お母さまが許してはくれませんでした。不甲斐ないわたしを見かねたお母さまは、すぐさま威一郎おじさまへ手紙を送り、逃げ道を作ってくれたのでした。

「修子、もうなにも考えなくていい」

 京都へ向かう夜行に乗る前、駅までお父さまとお母さまが見送りに来てくれました。そこでお父さまはようやく、わたしにそんな言葉をかけてくれました。

「修子が生きることさえ考えられたら、それでいい」

 普段から寡黙なお父さまのことですから、熟考した末に出てきた言葉だったのでしょう。それだけに、お父さまがわたしをいたわる気持ちが、十分に伝わってきました。その時、お母さまはお父さまの傍らで、黙ったまま目に涙をいっぱい溜めていました。列車が来るまで、わたしの手をぎゅっと握って離しませんでした。

 そうしてわたしは、ひとり京都まで逃げ延びました。絶え間なく揺れる列車は、どこまでも遠くへわたしを連れ去ってくれるかのようでした。それでもわたしは、とうとう忘れることはできませんでした。わたしの罪は、どこまでもわたしを追いかけて、消えることなく心の底にこびりついてしまいました。

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