第3話 芸術療法の実際
〇月▽日
火野先生の患者になって3か月経つが、幻聴はあまり経過がはかばかしくはない。幻聴についてはまた稿を改めて触れることにして、これまでの途中経過をメモとして残しておこうと思う。
「異界からのギフト」は、幻聴がし始めた、というか自分が自覚し始めたその夜の描写から書き始めた。最初は近所の誰某が自分のことを罵っているのだと勘違いしていた正体不明の「声」が、エスカレートしてうるさくなってきて、耐えられないような騒音になっていき、ついに眠れないほどな騒々しさになった。
そうして、或る夜に飲酒して酩酊状態のときに自分の憤懣が「爆発」してしまった。
私は激昂して外に飛び出し、夜の闇の中で罵声を喚き散らした。
完全に理性が消し飛んでいて、聞くに堪えないような「悪口雑言」だったと思う。
その瞬間に何かが「破綻」したのだ。コワレタのだ。
… …
「なかなかよく書けていますねー日本語が精確で綺麗です。知性の欠損は全くないですね。内容も真に迫っている。記憶も明晰ですごくよく伝わる。」
「お褒めいただいて恐縮です」
「こういう幻聴が始まるまではお仕事をなさっていたんですね?職場での適応状態とかはいかがでしたか?」
「基本的に幼児性格というか従来からどうも集団や社会に馴染めない感じがあったんですが、何とか業務も人間関係もこなしていました。ですが結局、そういう社会との齟齬というか軋轢が幻聴という形で表面化してきた…そういう風にも理解できると思っています。」
「なるほど。なかなか厄介ですね…つまり社会との関係性がファクターとして大きいのかな?根本的な問題は適応の障害で、かなり特殊なケース、とこれは私の見立てです。」
… …
セラピーのセッションはだいたいこういう感じで、主観的な症状である「幻聴」を多角的、客観的に分析して、本当の正体を探ろうとするプロセスである。
治療のゴールは「幻聴の消去あるいは改善」、「生きることの幸福感の回復」、できうれば社会復帰」の3点に設定した。
私は話下手で、人と相対するとへどもどしてしまうという緊張の高い人格なので、小説を書くことで普段に言い足りない点でもかなり正確に理解してもらえるのがこの治療法のメリットだと思う。
暇を見てパソコンでぼつぼつと書き進めているともう原稿用紙で50枚くらいの長さまで来た。火野先生は評判の名医だけあって、話の引き出し方も上手で、直観力もすごい。毎回のセッションですごくいろいろなアドバイスをもらえるし、啓発もされる。意欲が湧く。
今は小説の執筆と、毎回のセッションが生きがいのようになっている。いい兆候だと思う。
<続く>
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