第9話 川野昌と和田祥平

 晶は昼過ぎに目が覚めた。頭が重たい。昨日帰宅してから薬を飲んでも眠れず、空が明るくなるころにやっと睡魔が来た。布団に横になっている間、久々の飲み会の喧騒と、そこでの自分のふるまいの反省、そして祥平の横顔が頭の中で渦巻いていた。そういえば、いつでも連絡していいって言ってたっけな。連絡するって、どんなことを言えばいいのだろう。おはよう。今起きた。腹減った。とか?そんなこと言ったら、くだらないって幻滅されるんじゃないか。ふう。プライベートの連絡って難しい。

 スマホの画面が光る。

 どうせ広告のたぐいかと思ったが、「和田祥平」と表示されて慌てて起きた。

「昼飯でもどう? 」 よりによってあっちから誘いが来た。どう答えればいいのかわからなく、いったんコーヒーを飲んだ。少し落ち着いた。

「行きましょう」 メールを送った後に、不自然な敬語に後悔した。


 待ち合わせの場所に行くと、すでに祥平が到着していた。白いポロシャツに、うっすら汗の染みが浮かんでいる。それさえも爽やかに思える笑顔で手を振ってきた。

「急にごめんな」

「いや、うれしかったよ」思わず言ってしまったが、祥平は笑っていた。

「腹減った? 」

「うーん。少しだけ」正直、空腹ではなかった。

「そっか。じゃあ軽めに食べれるところ見てみよう」

 祥平は事前にいくつか店をピックアップしてくれていたようだが、すべて混雑していた。

「困ったなあ」

「あ、あのパン屋は? 」晶の指の先に「まるやまベーカリー」と書かれた看板がある。

「パン屋でいいの? 」

「うん。あそこで買って、公園で食べない?」

「おう。そうしよう」と祥平がうなずく。よかった。がっかりされるかと思ったが。大丈夫そうだ。

 まるやまベーカリーはいろんな種類のコッペパンやデニッシュが売っていた。これなら食べられそうだ。むしろ食べてみたい、と思えることに晶は安堵した。二人で5個のパンとアイスコーヒーを買った。


 近くの公園の、ちょうど日陰になっているベンチに座った。

「祥平ってさ、結構無邪気なところあるんだな」

「え、そうか? 」

「パン選ぶときにあんにはしゃぐか? 」

「どれも美味しそうだったからなー。迷っちゃったよ」

 そういうところ、きっと生徒から愛されるんだろうなあ。

「昌も、パン好きなんだな」祥平が照り焼きチキンとふわふわの卵が挟まれたコッペパンに豪快にかぶりつく。

「うん。最近はご飯よりパンが多いかな。炭水化物取りすぎちゃってるけどね」

「いや、昌はもっと食べたほうがいいよ」

「そうかな」とお腹をさする。「腹の肉が落ちないよ」

「まさか」と祥平が晶の腹を触る。「全然じゃん」

唐突に他人のぬくもりを感じて、晶は赤面するが、夏の日差しがごまかしてくれた。

「祥平は筋トレしてるの? 」シャツ越しにわかる胸筋や腕を見て言った。

「一応な。教師も体力仕事だから」祥平が晶の手を取り、自分の腕に触れさせた。二の腕に力を込めて、祥平がにかっと笑う。汗ばんでいたが、滑らかな肌質に晶はまた恥ずかしくなる。

「買いすぎちゃったね」残ったパンを見ながら川野が言うと、「明日の朝ごはんにしよ。帰ったらすぐ冷蔵庫入れなきゃだな」

 祥平に会って2時間近くたった。昨日からの疲れと、暑さで少し頭が重たくなる。

「そろそろ帰ろうか」祥平が察したように言う。

「ああ。今日はありがとう。楽しかった」

「俺も楽しかった」

なんとなく沈黙になる。

祥平が晶の腕に触れる。

「また、会おうな」

「うん」なんとなく祥平に目を合わせられない。祥平の腕に力が入る。晶は思わず抵抗してしまった。

「ごめん」

「いや、そんなこと。僕こそごめん。今のは、単なる条件反射というか」あはは、と乾いた笑いが出た。

「もっと晶のこと知りたい」

「そう、だね」なんて間抜けな返事なんだ!

「えっと。どんなこと知りたい?」そうじゃなくて!

「なんとなく上の空というか、たまにぼんやりすることもあるし」

薬の副作用とはさすがに言えない。

「仕事のこと考えちゃんだ。色々あってさ」

「そっか」

 なんかあったら連絡しろよ。昨日と同じ別れ方をした。祥平になら、少し頼ってしまいそうだ。うれしいが、どう接していいのかわからない。


 帰り道、アパート近くの小さな公園のベンチで休憩した。人と関わるって難しい。友達付き合いも少なく、一人でいすぎたか。頭を抱えていると、

「大丈夫ですか」と声をかけられた。顔を上げると、トレーニングウェアを着た女性がいた。息が上がっていたので、ジョギングでもしていたのだろう。

「熱中症ですか?少し顔色も悪いし、救急車呼びますか?」

「いえいえ、少し疲れただけです。家もすぐそこなので、大丈夫です」

「そうですか。よかった~ 」

 晶は会釈して立ち上がったが、めまいがして座り込んだ。女性が慌てて「これ飲んでください。まだ未開封なので」と水のペットボトルを差し出した。

「すみません。ありがとうございます」晶は少し水を飲んで、ため息をついた。

「何かありました?」

「あ、いえ。なんとなく」

「なんとなく?」

「人付き合いって難しいなと思って」

「なるほど」女性が隣に座る。「気持ち、わかるかも」

「人に受け入れてもらうってどんな感覚かわからなくて、優しくしてもらっても、うれしいより戸惑う方が大きくて」なぜか晶は饒舌になる。

「せっかくだから、思い切り甘えちゃうのはどう?」

「甘えるか~。難しい」

「大丈夫、思ったことをちゃんと言葉で伝えれば、その人きっとわかってくれますよ」

女性の言葉に説得力がある。「勇気持って踏み込んでみたら、もしかしたらいいことあるかも」

「なんだか、達観してますね」晶が笑う。

「いえいえ、私も最近うまくいかなくて、自分に必要なものなんだろうって思ってました」

「なるほど。あ、パンでも食べますか?さっき買ったばかりなので」

「ありがとうございます。でも私パン控えてて。お気持ちうれしいです」

「こちらこそ話聞いてもらっちゃって。すっきりしました」

「本当?よかった。じゃまた」女性は軽やかに走り去っていった。近所の人だろうか。お礼を言い忘れた。また会ったら言おう。


 帰宅し、すぐにシャワーを浴びた。少し気持ちが軽くなった。祥平とも会えたし、今日はとてもいい日だったと思う。久しぶりに充足感がある。日曜の夕暮れ、いつもは憂鬱だったが、今日は落ち着いて過ごせそうだ。空腹ではなかったが、残りのパンを一つだけ食べ、頭に浮かんでくる明日からの仕事のことをなるべく気にしないためにもテレビをつけた。

 祥平にメールをした。

「今日はありがとう。楽しかった。また会おう」送信した後に、そっけないのでは、と心配したが、すぐに返信があった。

「俺も。また近いうちに会おうな!」

 その文面を見ながら、すこしにやけている自分に驚いた。

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