第5話 黒川健司と佐々木久美子
社会の授業中、先生の背中を見ていた。白いポロシャツが似合う。匂いをかいでみたい。そんなことを思う自分はおかしいのだろうか。和田先生をかっこいいと言う女子は何人かいる。激しく同意したいが、心の中でとどめておく。
とはいえ、ポロシャツから伸びるきれいな腕と、チョークを持つ手から目が離せない。この美しさを誰かに伝えたい気持ちが強くなる。もやもやが止まらなくなり、机に突っ伏して視界から遮断した。しばらくすると、背中を軽くたたかれる。顔を上げると、和田先生だった。
「部活で疲れてるのはわかるけど、起きててほしいなあ」とほほ笑む。
「ごめん、なさい」健司は体を起こし、教科書を読むふりをする。心臓が激しく波打つ。なんて笑顔なんだ!あんな笑顔を生徒に向けるなんて。隣の席の佐々木久美子に笑われた。「黒川、慌てすぎ」
昼休みになり、弁当を机に置くと、「私も一緒にいい?」と久美子がこちらを向く。
「おう」
「黒川って部活以外あまり人とつるまないよね」
「そうか?口下手だからかな」
「でもそんなに気にしてなさそう。うらやましい」久美子がうつむきながらおにぎりを食べる。
「佐々木はめっちゃ友達多いじゃん。入学してすぐ人気者になってんじゃん」実際、久美子は同性からも異性からも好意を持たれやすい。気さくだし、よく笑うから「うらやましい」は意外だった。今も健司と弁当を食べる光景が珍しいらしく、クラスメイトたちから注目を浴びている。
「黒川って、和田先生のこと好きでしょ」健司がご飯を吹いて咳き込む。
久美子は健司の背中をたたきながら「ごめんごめん!」と笑う。
「おま、おま、なんなんだよ急に!」健司は小声で慌てる。久美子はまだ笑っている。
「そんな慌てるとは思わなかったよ」
「びっくりするだろ」
「見てたらわかる。目が違うもん」
「えー。やべえ」健司は頭を抱える。
「大丈夫よ。みんなは気が付いてないと思う」
「でも、勘違いだよ」
「なんで?」
「だって、男だもん」自分に言い聞かせるように健司は言う。
「だから?」
「えー」健司がうなだれるのを見て、久美子が面白がる。
「黒川、おもしろいな~。先生なんてハードル高すぎだけど、頑張りなよ」
「お前、何目線だよ」健司も笑う。
放課後の部活前、体育館のそばにいた。スマホをいじっているふりをしていると、和田先生が通りがかる。
「よう」和田先生が声をかけてくる。
「おう」健司は会釈する。
和田先生はそのまま体育館に行こうとしたので、思わず、
「あの、こないだの」
「うん?」
「こないだの、遊ぼうぜっていったの、冗談だから」
「なんだ、残念だな」和田は笑いながら手を振って体育館に入ってい行った。健司は自分がどんな顔をしているのか考えたくないくらい、恥ずかしかった。
なに小芝居してるんだ俺。絶対不自然だろう。
「あーもう!」
その夜、食欲がいつもよりなく、ご飯は3杯だけにした。姉の圭子が「やっと食べ盛り終わったか」と安心していた。
「姉ちゃん、恋人とか作らないの?」
圭子が目をまん丸にして手からどら焼きを落とした。
「え、え、恋人?健司の口から恋人って聞こえた?」
「うるせーなあ。もういいよ」
「だめよ。恋人。お姉ちゃんは今いないわよ。健司は?いるの?」目を輝かせている。なにせ弟から恋バナを振られたことなんてなかったからだ。
「いねーよ。興味ないし。もう寝る」リビングから出る弟の背中を、圭子はしみじみと眺めていた。
「世の中恋人作らなきゃいけねーのかよ」ベッドに横になりながら、思い浮かべるのは和田先生だけだった。かき消したかったが、かき消すにはもったいない笑顔だった。
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