第14話 パーティー

「綾野さんはパーティー後に時間が取れるらしいです。編集者って忙しいんですよ」

「……一般論としてその通りだが綾野さんが今忙しいのはお前の責任だと思うぞ」


 パーティー会場に向かうタクシーで、俺は隣に座る咲季に言った。


 咲季はフォーマルなブラウンのワンピースだ。黒須さんに選んでもらったようだ。黒須さんも参加するらしい。


 ちなみに俺は普通の背広だ。咲季にはため息をつかれたが壇上に上がるわけじゃない。というか小説企画の売り込みという普通の仕事だ。パーティーの裏方として忙しい綾野氏に時間を取ってもらうのだからしっかりやらないと。


「あっ、帯の推薦は私が書きますからね」

「今はまだその二段、いや三段階前だ。俺はお前が分かっていないと分かってるからいいけど、ほかの作家に言うなよ。特に今日はダメだ」

「分かってないことが分かってるって、仕事じゃあるまいしそんな凝った言い回しされても」

「いや俺にとっては仕事なんだよ。っていうか本当はお前も……。そもそも俺の小説がどんなのかも知らないだろう」

「そりゃ先輩がまだ納得いかないからって見せてくれないから。でも私がヒロインなんですから大丈夫ですよ」

「いや、お前は……」

「そうだ推薦者としてチェックしてあげましょう。綾野さんに見せるんだからいいですよね」

「おい、人の鞄を勝手に開けるな」

「終わった後にちゃんと返しますから。出番が来るまで暇なんですよ。これですね」


 咲季が封筒をカバンから取り出した時、タクシーがちょうどホテル前に止まった。咲季は車を出ると、茶封筒を戦利品のように振るって、迎えに来た綾野さんと行ってしまった。


 自称弟子ってキャラ設定はどこに行った?





 高い天井から眩しい光が照射される壇上には、名の知れた作家たちが並んでいる。ホテルの会場で表彰式が始まっていた。俺は隅のテーブルでそれを見ていた。


 こういう時の順番は決まっている。まず新人賞の受賞者。次が今一番旬の人気作家。そして最後は大御所だ。


「……先生。ありがとうございました。今後も文芸界に新風を巻き起こす作品を期待しております」


 パチパチという拍手の中、若い男性作家が壇を降りた。その表情は自信に満ちていて自分の将来を疑っていない。俺にもこんな頃が…………なかったな。


「これが最初で最後の晴れ舞台なんですけどね」

「……一応めでたい席なんで、殺人予告に聞こえそうなセリフやめてもらえますか」


 横でぼそっと毒を吐いた黒須女史をたしなめた。名前にちなんでいるのか、黒いスーツを着ている。ミステリ小説では探偵が存在するところに殺人あり、パーティーともなると一人二人死ぬのは当たり前だ。まあこれは小説ではないので俺は命の心配はしないが。


 自信に満ち溢れた新人と入れ替わるようにして壇上に上がったのは咲季だ。新人作家とは正反対におどおどしている。盾を受け取った後のスピーチが始まるや噛んだ。小説ではあれだけ見事な描写をするのに自分で喋るとなったらこれだ。


「そういえば『死角の色は?』は集談館から出ることになったんですね。ここのミステリ文庫は狭き門ですよね」

「そうですね。まあ出版社としては早瀬咲季の次作までのつなぎ的なことを考えてると思いますけど」

「ああなるほど。『お品書き』が早期終了する枠埋め」

「そこは否定するところでしょう」

「コンペの負け犬の遠吠えということで。同業者同士、誤魔化しても仕方ないでしょう」

「まあそうですけどね。本が出るならいいんですよ。ここなら印税を踏み倒されることもないし」


 俺と黒須は黒い笑みを交わした。


「最後は沖岳幸基先生ですが。例によって欠席です。今頃私も知らない次回作を書いています。最先端技術を扱ったものっぽいので皆さんは来年は避けた方がいいかもしれません」


 司会者の言葉に会場が苦笑に包まれた。よく見るとあの時沖岳幸基とメタグラフに来た編集者だ。懐かしいな。アリスが読者じゃないという問題は『債券崩壊』で見えたんだった。小説の教師役がなぜか伊豆まで出張したんだった。


 しかし沖岳幸基が最先端技術みたいな流行りネタに飛びつくとは……まさかAI物じゃないだろうな。


 …………


「おっと皆さんおそろいじゃないですか」


 授賞式が終わってパーティーが始まった。若い男が突然話しかけてきた。今朝買ったのかって感じのスーツに着られている男だ。どこかで見たことがあるような……。


「ええっと……。あの時以来ですねコンペの……」

「そうだ確か宮本君だ」

「おい。ここで表の名前を出すんじゃない。胡狼だ」


 そう、本格ミステリコンペで戦った胡狼だった。表の名前を出すなってなんだよ。ここは悪の秘密結社か何かか? 社会不適合者の存在率で言えばそうかもしれないが。


「そういえばなんでいるんだ? 野菜を届けに来たのか?」

「だから表の仕事のことは、っておい。そりゃデビュー決まったからだよ」


 宮本改めペンネーム胡狼はそういって胸を張った。スーツの皺の寄り方が微妙に残念だ。


「デビュー作が売れるかどうかもわからないのにここに顔を出すとは身の程知らずめ」

「えっ、そうなの? ……ってそんなロートルのルールなんて知らねえよ」

「冗談だ。編集者に期待されてて結構なことじゃないか」


 その期待は一巻の売り上げが出るまでの命だ。いや、こいつの場合はもうちょっといけるかもしれない。ゲーム実況の経験にweb小説的なノリの組み合わせはレアだし下手したらアニメ化とか……。


 なんか途端に食事の味がしなくなってきた。周りの若者全てが才能あふれるように見える。


「そういえば『死角の色は?』も書籍化されるって担当さんから聞いたけど」

「……書籍化って。いえ、間違ってないですけどね」


 黒須女史が微妙な表情になった。


「じゃああんたの『毒と薬』も?」

「んっ、いや違うぞ。あれはそもそも俺の小説とは言えないしな」


 法的には半分以上の権利が俺にあるらしいが、あの小説のコアはアリスが生み出した。探偵から犯人に変わった真理亜の二面性、期せずして生まれた信頼できない語り手。俺には絶対に書けない。


 あれが生まれた時は正直驚いた。アリスは真理亜が犯人になったことをずいぶん気にしていたけど。あのキャラを意識的に作れるならそれこそAIは人間よりもうまく小説を書ける。


 でも全く本人の中に存在しない面がキャラクターになるとは思えないんだよな……。アリスの中にもそういう二面性が……まさかな。


「ふーん。そう言えばあんたのパートナー、今週急にチャンネル休んでるし」

「いや、俺はもうアリスの…………チャンネルを休んでる? 急に?」


 そう言えば最近アプリの通知が来ていない。自分の小説に必死だったから意識しなかったが、あのアリスがチャンネルを休むというのは……。


「なあその話もうすこしKW――」

「なんてものを読ませるんですか先輩!!」


 俺が胡狼に詳しいことを聞こうと思った時、裾をグイっと引かれた。


 振り返るとぶすっとした顔の咲季が俺を睨んでいた。手には俺の原稿を入れた茶封筒がある。


「お前が勝手に持って行ったんだぞ。そりゃ読後感は良くないだろうけど。それはそういう小説なんだ」

「そうじゃなくて。なんでピコピコの小説なんてまだ持ってるんですか」


 よく見ると咲季が突き付けている紙束は俺の書いた二話分だけの原稿の三倍くらいの厚さがある。そういえば出る前にアリスの小説を読み返していて、時間に遅れそうになって鞄に放り込んだんだった。


「よくわかったなアリスの小説だって」

「そりゃキャラクターを見れば一目同然でしょ」

「まあそうか。詩乃ってアリスそのままだからな」

「詩乃? いやこっちの『女の子』でしょ。すべてをわかってますって澄まし顔が読んでて頭に浮かんできました」


 咲季はバンバンと原稿を叩きながら言う。


「はっ? いやよくできてるけどその『女の子』はアリスとは違うぞ。何言ってるんだ?」

「先輩こそ何言ってるんですか。生意気なところとか、何より小説を読むのに読書感想文のためって理由付けしないとダメなところとか、まんまじゃないですか」

「いやそれは小説のストーリーに必要なキャラ設定…………」


 詩乃じゃなくて女の子がアリス? アリスが作ったキャラクターだからアリスっぽさがあってもおかしくはない。でもあの原稿を読んで詩乃よりも女の子にアリスを感じるなんてことあるか?


 …………そういえば計算高いところとか、それに今咲季が言ったことだ。本を読むのに理由がいる、それはまるで…………。


「咲季、ええっと――」

「っていうかピコピコの小説のことはいいです。問題は先輩の小説のピコピコです」

「俺の小説のアリス?」 


 さっきから何を言ってるのかさっぱりわからん。


「二話で出しゃばってくるこの女優、どう見てもピコピコですよね。なんで私がサブでピコピコがヒロインなんですか」

「いや誤解だって。小説の登場人物はフィクションであってだな」

「へえぇ。じゃあなんで名前が亜里沙アリサなんですか」

「うわぁ、女に頼っていながら懐に前の女の写真を持ってるみたいな」


 黒須女史が虫を見るような目で俺を見た。あなたのミステリの殺人の動機にその手の設定使うでしょ?


 いや確かに外見とか話し方のちょっと無機質なところとかアリスをモデルにしている部分がないとは言わない。でもそもそもアリスは感情表現が豊かで……。


 …………感情が豊か?


 自分の思い浮かべた言葉に、大きな違和感を覚えた。わからない感情を演じて見せることで自分の物に出来ると考えている女優の亜里沙は、自分が理解していない小説の面白さをチャンネルで演じているアリスの、その矛盾を体現したようなキャラクターと言えないか?


 待てよ。だとしたらさっき咲季が言ったもう一つのこと、アリスの小説の『女の子』がアリスだってことはどうなる。


 あの女の子はあくまで主人公の詩乃を引き立てるために存在するサブキャラクターだ。詩乃はアリスだ。俺はそう思う。だけどそうだ。『毒と薬』の真理亜の二面性のように、そのどちらもアリスだとしたら?


「……なんで気が付かなかった。そうだこの『女の子』はアリスだ」


 全てのピースがピタリとはまった感覚。頭の中にある要素が、一つの世界に結実する瞬間のように、作者アリスの見ていた世界に触れた感覚。


 俺は突如アリスがあの小説を書けなかった理由を理解した。


 アリスのテーマには本質的な矛盾がある。この矛盾はアリスの小説にとって大事なものだ。だが同時にこの矛盾の存在に気が付かない限り、アリスは決してあの小説を書けない。


 なぜならそれはアリスの小説のテーマ、いやアリスのテーマである『小説の面白さ』と表裏一体だからだ。そしてそれはアリスの役割アイデンティティーと真正面から衝突する。


 そういえばさっき宮本胡狼はなんて言っていた。アリスが急にチャンネルを休んでいる?


「すまん咲季、ちょっとこれを預かってくれ」

「えっ? 綾野さん後十分で来るそうですよ」


 咲季に原稿をもう一度押し付けて、俺はホールからラウンジに出た。携帯を取り出し連絡先リストを探る。目当ての名前を『く』の段に見つけた。


 そこで我に返った。今更何をしようとしているんだ。そもそも俺の仕事はもう終わっていて。それにアリスはもう小説を書くことをやめたんだ……。名前の上で指が止まる。俺が集中すべきは俺の小説だ。


 いや、違う。アリス自身が小説を書くことをあきらめたんじゃない。それに何より……。俺が指に力を入れた瞬間、携帯が震えた。


 液晶画面には【九重詠美】という名前。まだ押していないぞ。


『海野さん。今大丈夫でしょうか。実は、折り入ってお願いしたいことが』

「九重さん? ええっと、ああそうだ。なんかアリスがチャンネルを休んでるって…………えっ?」


 九重女史の話を聞いた俺は携帯を持ったまま固まった。


 …………


「ああやっと戻ってきた。先輩、良いですか編集者っていうのは忙しくてですね」


 ホールにもどった俺に咲季が文句を言いながら駆け寄ってきた。咲季の背後に綾野氏の姿が見える。綾野氏は俺も知っているベテラン作家につかまって話している。


 俺は咲季が差し出した茶封筒を押し返して頭を下げた。


「すまん。ちょっと行かなければいけないところが出来た。この企画咲季から綾野さんに説明してくれないか」

「いやだってこれは先輩の……。急に何ですか。いかなければいけない所って?」

「……前の仕事のことでトラブルが起きた」

「つまりピコピコですか。なんかさっきチャンネルがって言ってましたし……」


 咲季は俺をじっと見た。


「引き受けませんって言ったら?」

「そりゃまあそう言われても仕方ない。綾野さんには後で俺から謝っておく」


 俺は答えた。咲季は大きくため息をついた。


「……この小説がどれだけ駄目か私がちゃんと説明しといて上げます。特にメインヒロインがどうしようもないってね」

「すまん。恩に着る」


 俺はエントランスに向かって絨毯の上を走った。ホテルの入り口を出るや、並んでいたタクシーの一台に滑り込んだ。


 自分の小説よりも副業を優先するとか小説家失格だな。でも俺は小説の教師役として、いやむしろ小説家としてアリスに教えなければいけないことがある。

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