第5話 最初の一冊 (1/2)
【第二話:夏休みの宿題】
「この本、面白くありませんでした」
女の子はカウンターに出た詩乃にいった。少女の手には一冊の本がある。小学校高学年の読書感想文の課題図書で、詩乃が作ったポップが差し込まれたブックスタンドごと手に持ってきている。
「それは残念です。ではどのような本を希望しているの」
詩乃は笑顔を作って応じた。
…………
「なるほど。夏休みの読書感想文の本を探しに図書館に来たのですね」
「宿題は最初に片づけることにしているの。課題図書は学校のタブレットに配信されるから読んでみたけど。このイジケタ女の愚痴がつづくの、げんなり。この本で感想文を書いてもいい成績にならないわ」
児童書コーナーの横にある展示スペースで、詩乃は女の子と向かい合っていた。本の読み聞かせなどに使われるスペースで今は空いている。
女の子は周囲に並ぶ絵本に眉をひそめた後、詩乃にむかって来館の目的を語った。
読書という素晴らしい行為を成績で判断する姿勢に詩乃は抵抗を覚えた。それでも強いて笑顔を保つ。相手は小さな女の子だ。情緒の発達がまだ未熟なのは仕方がないこと。
「本の好みは人それぞれです。あなたがこの小説を面白いとは思わなくても問題はありません。ですがコンクールである以上レギュレーションがありますよね。もう一度この本と向かい合って――」
「読書感想文には二部門あるわ。課題図書じゃなくて自由課題の方にするつもり。ジシュセイってやつ」
詩乃はコンクールのHPを確認した。確かに課題図書部門と自由図書部門の二つがある。
「小説なんかのためにお小遣い使えないし。だからただで本が読めるここに来たの。学校の図書館よりもたくさんから選べるだろうし」
「なるほど、当館には書庫と合わせると十七万八千五百二十三冊の小説があります。あなたの望みに合うような小説がきっと見つかります」
「じゅ、十七万……」
詩乃が告げた数字に女の子は圧倒されたように呟いた。
「そう、逆に多すぎるの。だからセンモンカの出番なのよ。司書っていうのは本のセンモンカなのよね。それにあなたはここに書いてある」
女の子は詩乃のポップを指さした。ポップの横には「夏休みに本を読みませんか。本選びお手伝いします」というメッセージが書かれている。それは確かに詩乃が書いたものだ。
詩乃のメッセージはあくまで本を読みたい、少なくとも読んでみたいという相手を想定している。夏休みの宿題の補助は司書の役割ではない。そもそも自由課題は自分で対象を選ぶことも大事な要素ではないか。
(でも、これはいい機会かもしれない)
ポップを見て詩乃は考え直した。彼女が作ったポップが利用者に希求しない理由を知るヒントになるかもしれない。
それにこの女の子も素晴らしい小説を知れば読書が好きになるに違いない。これは一石二鳥だ。
「分かりました。ではあなたの希望を教えてください。どのような小説がいいのですか?」
「それならもういったでしょ。コンクールでいい点が取れそうなもの。じゃよろしくね」
当たり前のようにそういうや女の子はトートバックから夏休みの宿題らしき冊子を取り出した。どうやら歴史の課題のようだ。成績にこだわるだけあって、熱心に勉強している跡がある。
それを見て詩乃は一つの小説を思いついた。
…………
「歴史小説?」
詩乃の差し出した本を見て、女の子は興味なさげに言った。表紙には日暮れを背にした和装の女性が描かれている。大江ドラマの原作にもなった作品だ。当然評価は高い。文章は平易で読みやすく。それでいて歴史考証などはきちんとしている。
主人公は戦国武将の妻で、夫の死を乗り越えて動乱の中で強く生きて行く。最初に女の子がいったイジケタ女とは正反対の強い女性だ。
「第二話を書いてみました。いかがでしょうか」
「…………ああ。うん、ちゃんと出来ていると思うぞ」
ホワイトボードを前に沈黙する俺に、アリスが緊張の面持ちで聞いてきた。我に返った俺は笑顔を作った。
アリスの小説の第二話は、第一話最後に登場した女の子に最初の一冊を紹介するシーンだ。相変わらずキレイで読みやすい文章で、生意気盛りの小学生に丁寧に接する主人公の詩乃が描かれている。実にいい出来だ。
「どこか間違っているところはないでしょうか?」
「間違っているところといわれてもな……」
「私は小説を書くのは一度目です。問題点はなるべく早く洗い出すべきだと考えます」
アリスは真面目な顔で指導を求める。小説初心者のクオリティーじゃないから言ってるんだが……。
「強いて言えばここかな。詩乃が読書感想文のレギュレーションを確認している文章があるよな」
「はい。実際の読書感想コンクールのレギュレーションを参考にしています」
「いや、レギュレーション自体じゃなくて。詩乃はどうやってそれを確認したんだ。文章からして絵本コーナーで女の子に向かい合ったままだよな」
「それはインターネットで読書コンクールのサイトを読み込んで確認したのです」
「どこに?」
「それはもちろんデータベースにクエリーを送ってです」
「人間の頭にネットがつながるにはもう少しかかるぞ」
「………………修正します。女の子からスマホの画面を見せられたことにします」
きょとんとした表情を浮かべていたアリスは頬を赤くして文章の訂正にかかった。「どうしてこんな初歩的なミスをしたのでしょうか」と困惑する様子は微笑ましい。
ただ、こんな重箱の隅をつつく必要はない。はっきり言えば放置しても問題ないレベルだ。
この文章に引っかかる読者は皆無ではないかもしれないが、それで読むのをやめたり評価を下げたりはしないだろう。俺としてもアリスが本当に詩乃になりきろうとしている証拠として好ましいくらいだ。
それよりも詩乃と女の子のやり取り、そのなんともかみ合ってないさまが良い。
「この本もやっぱり面白くなかったですけど」
二日後、図書館に来た女の子は返却された本を本棚に戻している詩乃を見つけて言った。
「ええっと、どこがおもしろくなかったか具体的に教えてくれないかしら」
「なんで親が勝手に決めた最低男に振り回される女の人の話なんて読まなくちゃいけないの。最後まで立場逆転しないし。しかも好き勝手やって死んだ男の菩提を弔うってどんだけよ」
女の子は詩乃にまくしたて始めた。詩乃は慌てて女の子を前回と同じ児童書コーナーの横のスペースに連れて行った。
…………
「っていうか、どうして歴史小説なの」
「それはあなたが歴史の宿題を最初にしていたでしょう。だから好きなのかと思ったの」
「歴史は好き。覚えればすむもの」
「…………そうですね。じゃあ改めて希望を教えてくれないかな。コンクールにふさわしいだけでは、絞り込めないから」
「……そうね、次は豊臣秀吉とか言われたら困るし。やっぱり出来る女が主役なのがいいわ。舞台も現在の方がいいかも。時代錯誤の男なんて読みたくないし」
相変わらず年齢の割にませたことを言う。しかし、これは貴重な情報だ。主人公の性別とタイプ、それに舞台が決まれば、絞り込みはだいぶ楽になる。
詩乃は次のおすすめを考える。思いついたのは詩乃にとって少し抵抗がある分野の小説だった。
ジャンル的には読書感想文にはそぐわないかもしれない。でも、とにかくこの子の希望に沿うことが優先すべきだろう。自分の役割は教師ではなく司書だ、この女の子に読書の魅力を教えること。
そしてそれは読書感想文という課題にとっても、一番大事なことなのだ。
「ふーん。これが出来る女の小説ね」
白衣の女性が表紙の本を渡すと、女の子はぺらぺらとページをめくった後、貸出カウンターに向かった。
「最初の一冊は失敗したな。予定通りだ」
「…………。はいそうです。予定通りの結果です」
アリスははっとしたように頷いた。
インパクトある二人の出会い、小学生に歴史小説を勧める詩乃、そして当然の結果としての失敗。実に素晴らしい。教科書通りの展開の中に、この二人の関係性がどんどん展開していく。
やはり先に第二話を書かせたのは正解だった。俺は心の中で頷いた。
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