第10話 アリスの企画 (2/2)

『テーマ』

 小説の面白さは小説と読者の心の間に生まれる。

――――――――――――――――


 ホワイトボードに表示されたアリスの『テーマ』に俺は衝撃を受けた。


「どうやって思いついたんだ?」

「…………やはり問題があるでしょうか」


 振り向いて尋ねた。アリスはびくっと体を震わせた。不安そうな生徒に、俺は自分の表情がこわばっていたことに気が付いた。ゆっくりと首を振る。


「コンセプトに苦戦していたアリスがテーマまでできていたから、どうやったのかなと思ったんだ」

「…………実はテーマが先に成立しました。私の役割と問題を小説の企画と照らし合わせた結果、正しいテーマではないかと考えました。そこから詩乃のやるべきこと、コンセプトが明確になりました」


 「カリキュラムと違う順番です」アリスは小さな声で付け加える。コンセプトよりも先にテーマが出てきたと。なるほど、むしろ納得できる。


「企画はループ構造だから問題ない。そもそも主人公と舞台はテーマともつながっている。それより確認なんだが、アリスの中にあった問題っていうのは小説の面白さだな」

「はい。私の欠失データです」


 このテーマがアリスの中から出てきたのだと確信した。しかしそれにしても…………。


 『小説の面白さは小説と読者の心の間に生まれる』これだけを聞かされてもそこまで響かない。あいまいで抽象的、ある意味当たり前にすら聞こえる。だが先ほど説明されたコンセプトによりこのテーマが描かれるなら話は別だ。


「あの、どうでしょうか。この企画のテーマは……先生の期待と比べて……」

「…………」


 俺は一度息を吐き、努めて顔から力を抜いた。そして教師役としての判断を告げる。


「期待以上だ」

「本当ですか」

「ああ。アリス自身この企画を良いと思ったんだろ」

「……はい。私はこの企画の生成を通じて、先生からこれまで教わってきた小説の概念構造をより深く理解できたと感じました」

「……あ、ああそうだ。知識や技術は実際に使ってみないと本当には理解できない。うん、そういう意味でも本当によく頑張ったなアリス」


 改めて褒めると、アリスは安心したように表情を緩めた。彼女が授業を始めてからずっと緊張していたことに改めて気が付いた。優秀な生徒に比べて俺ときたら。教師役としてはアリスを誇りに思うところだぞ。


「前回があんなことになったから心配していたけど……。そうだ、前回は途中で授業を中止するようなことになってすまなかった」


 俺はアリスに謝った。最初に言うべきだったのに企画の衝撃ですっかり飛んでしまっていた。


「あのトラブルは先生の責任ではないと理解しています」

「いや、まあ咲季の暴走もあるんだが。ちゃんと時間を管理が出来なかった俺に責任がある」

「ですが先生が人間である早瀬さんを重視するのは当然だと思います」

「俺があの時優先するべきはアリスだった。アリスが俺の生徒であることに人間かViCかは関係ない。だから俺が悪かったんだ」


 アリスは人間に対して一歩引き、敬意を忘れないが、ViCとしての自分を卑下するようなことは言わない。今のを言わせてしまったことはそれこそ教師失格だ。俺は改めて謝る。


「…………そのお言葉をいただければ十分です。ありがとうございます先生」


 アリスは一瞬驚いたように目を見開いたあと、そう言ってくれた。謝っているのにお礼を言われるのもおかしな話だが、アリスの寛大さに甘えることにする。


「実はもう一つ話があってだな。ちょっと待っててくれ」


 俺は鞄から小さな長方形の箱を取り出した。箱を開いて四つのアクリル製の部品を取りだし、テーブルの上で組み立てる。円形の台座に背景と本体を差し込み、最後に本体に円形の輪をかぶせると、小袖を着た女性が巻物を読んでいる姿が現れた。


 立体アクリルフィギュアというらしい。平面だけから構成されているのに、半立体に見える凝ったものだ。


「これは何でしょうか?」


 目の前に現れた文を読む姫君にアリスは首を傾げた。


「実は最終日の午前に甲府の図書館に寄ってみたんだ。アリスが舞台設定で郷土資料のことなんかを考えていただろ。それを思い出して何か参考になることがあればと思ってな」


 ちなみに咲季は旅館で二日酔いに苦しんでいた。昼間、帰る前に見た時もまだ顔色が悪かった。


「私のために図書館に赴いていただいたのですか?」

「授業の償いになるほどの収穫はなかったけどな。甲府の図書館だけあって歴史コーナーが充実してたんだけど、リストなんかは電子化されていたから。ただ、そこに展示してあったこれが目についたんだ。図書館の人に聞いたら駅に売っていると教えてくれたから買ってきた。良ければ受け取ってくれ」

「…………この物体を、私に、ですか?」


 アリスの図書館はよくできているが、あまりにデータ的だ。こういった物体が一つあると違うだろう、というのは建前。実は黒髪の上品な女性がどことなくアリスに似ていたので思わず手が伸びたのだ。


 アリスが興味を持ってくれるか全く自信はなかったのだが、どうやら杞憂だったようだ。アリスは目を輝かせてフィギュアの姫君を見ている。


「………………ですが、私は物体を所有しません」


 フィギュアに手を伸ばそうとしたアリスは何かに気が付いたように途方に暮れた顔になった。


 AIの所有権については一応考えた。どこかのAI研究者くろまくと違い人類社会の将来に影響するような答えは出せないが、俺は小説家でアリスの教師役だ。


「これはアリスに必要な資料だともいえるんじゃないか。図書館に飾ってあったんだから」

「…………はい。そうです。これはきっと私のこれからの学習に必要なものです」


 アリスはぱっと顔を上げた。そして、両手でアクリルフィギュアを包み込むようにした。触ることはできないのだが、それこそ宝物を扱うような仕草だ。


「置き場所は九重女史と相談してくれ。ここに来る前にそうお願いしておいたから」

「ありがとうございます先生。この……この資料は私の宝物です」


 アリスの様子に俺が目を細めた時、目の前に無粋な数字が表れた。


「今日はもう時間だな。企画が出来たから、次からはいよいよ本当の意味での小説の執筆だ」

「そうです。これからのことは大事です」


 アクリルフィギュアから手を離したアリスは真面目な顔にもどった。


「例によって授業の進め方は少し考えさせてくれ。執筆はこれまで以上にアリスが主体になる。俺がどうアドバイスするかちゃんと考えたい」

「分かりました。よろしくお願いします。先生」


 アリスは礼儀正しく頭を下げた。生徒の信頼に満ちた瞳を何とか受け止めて頷き、俺はバーチャルルームを出た。


 ◇  ◇  ◇


 目の前を変わらぬ殺風景な世界が揺れる。


 どんな季節でも時刻でも同じ光景、それが地下鉄だ。それでも昼と夜では雰囲気は違う、仕事前と後では乗客の気持ちが違う。


 今の俺の気分はといえば、どうなんだろうな。一山超えてほっとしたというべきなのだろうが。


 アリスの企画、図書館司書と女の子の関係になっているが、アリスの読書会と同じ構造だ。俺自身が何度も驚かされた、そして梨園社長やシオンを圧倒したアリスの転移学習能力のたまものだろう。


 それ“だけ”なら問題かもしれない。だが、重要な違いがある。


 アリスの読書会では、アリスがどんな本を紹介するかは九重女史が決めている。アリスはそれを多くのリスナーに向かって紹介する。


 だがこの企画ではアリスは自分で紹介する本を決める、一人の相談者のために。これはアリスにとって挑戦になるはずだ。その挑戦を通じて、アリス自身のテーマである小説の面白さを探求することが出来れば、それは間違いなく小説になりうる。


 読書感想文をコンセプトの中心にしたり、コンセプトよりも先にテーマが出てきたり、アリスの自主性が強くなっていることも心強い。


 そう、あの企画は俺が……するほど良いものだった。


 気になることがあるとしたら、企画としてあまりに完璧すぎることだ。全てのパーツが計算しつくされたようにぴったりとはまっている。コンセプトの中で相談者を『補足』として分離する手際なんて、プロ顔負けだ。咲季の企画ともいえないアレを見た後だとなおさらそう感じる。


 …………アリスといい咲季といい、俺と違って…………。


 向かいの窓に映る自分の顔が見えた。過ぎ去っていくコンクリートを背景に、情けない小説家が映っていた。


 俺が書けないこととアリスや咲季のことは全くの無関係。首を振って気持ちを立て直す。俺はアリスの先生役だ。これからアリスがどんな小説を書くのかを見守る立場だ。


 とはいえ、それが出来るかどうかはあの男次第でもあるか…………。


 まるで計ったようにポケットが振動した。携帯を取り出し、銀行アプリをタップする。今回の報酬が振り込まれている。多いと思ったら成功報酬込みだ。相変わらず金払いだけは本当にいい。


 今回は最後まで出てこなかったし、毎回これなら本当に最高の雇い主だ。


 しかしこの成功報酬って何を基準に決まってるんだ? 家庭教師だったら志望校合格とか模試の結果とかなんだろうけど。


 まあメタグラフの報酬体系なんて気にしても仕方がない。この様子だとしばらくは首ってことはなさそうだし、それで良しとしよう。


 鳴滝を頭から追い出し、アクリルフィギュアに興味津々だったアリスを思い起こす。


 アリスの『企画』は確かに優れている。だがそこからどんな『小説』が生まれるかは、アリス自身が書いてみなければわからない。おそらくアリスが本当の意味で自分の小説を書くということを学ぶのはこれからだ。


 俺に出来ることはそれに必要な知識と技術を教えることだけだ。


 もう一度窓の自分を見る。多少はましな顔になった小説教師がいた。次にやることが決まったら前向きになるのはAIも人間も変わらないか。


 地下鉄が駅に着いた。俺は立ち上がり開いたドアに向かった。





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2023年9月30日:

ここまで読んでいただきありがとうございます。

おかげさまで四章まで書き上げることが出来ました。楽しんでいただければ幸いです。

ブックマークや評価、いいねなど応援感謝です。感想はとても励みになっています。誤字脱字のご指摘は本当に助けていただいています。


今後のことですが五章を構想中です。最終章となる予定です。十一月中に始めたいと思っていますが、現状ではあくまで予定とさせてください。

最後まで楽しんでいただけるように頑張りますので、引き続き本作『AIのための小説講座』をよろしくお願いします。



カクヨムのサポーター限定ノートに投稿した本作SS『まぼろしの対談―仮想生徒と自称弟子―』のpdf版の販売について活動報告/近況ノートを書きました。興味を持っていただける方は活動報告/近況ノートを見てやってください。

*SSですので読まれなくても本編を理解していただくのに支障はありません。

近況ノートURL

https://kakuyomu.jp/users/norafukurou/news/16817330664502816931

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